追憶は星の名前に照らされて(掌編/短編)

 ぱちんと弾けた後の静謐。思い出す、ゴム風船のその中に、仕込んでいた紙吹雪みたいに。
「懐かしい?」
「懐かしい、けどどうやって思い出したか思い出せない」
「いいんだよ、それでいいんだ」
 君の声。消えて行く、波間から波間へ。
 
     x x x
 
 ここにある全てが砂の一粒で出来ている事、泣きそうになる。君だけの浜、君だけの海だから、教わった私と二人切り。海鳥も、船も見ないね。そう言うと、魔法みたいに君の手に蟹。日常と地続きなんだ、今はよく分からないだけ。その時、までは。
「ねえ、昴。一万キロの高さからここへ落ちたら、僕はどうなる?」
「……君は死ぬ、北斗。それから砂浜のどこかが君の形に沈む」
「ありがとう」
 不思議な会話ばかりして、誰も解き明かせない引力。始まりも、そうだったよね。君が今した問い掛けと、まるで同じだ。落としものみたいに不意に現れて、何がそんなに悲しいの、って。理由なく悲しい事も見透かした眼差しを信じた二年前。ここじゃない海辺、私が立ち尽くす夏の一コマ。そう言う街だ。潮風が、やまない街だ。
 座り込む。水平線がどこまでもある。もう朝は来ない、季節の奪われた午後三時、満点の星空。僕たちの運がよければオーロラが見えるよ、そっか、北斗は見たい?
 どちら共、食べ残されたバースデイ・ケイクくらいに考えている。後悔も未練も紙に書ける程持っていなくて、空は綺麗で。でも北斗、虹の代わりにオーロラが架かるとすれば、ちょっと怖いな。
「覚えてる? 前に昴が言った夢」
「……『兎の種を月に植えたい』?」
「うん。あれは、ファンタジーでもあれだけは、僕も叶えてみたかったんだ」
 恥ずかしい、忘れてくれた方がいい。けれど私が抱え続ける――幼少の頃からずっと心臓の辺りに抱え続ける夢だ。下らない雑談をまだこうやって君が覚えていてくれた事。どうせすぐ終わるんだって考えてみれば、一番嬉しい、今は。
「寒くない?」
「大丈夫、まだそんなには。昴は寒い?」
「私も、平気」
 運命の暗示の様に君と見た、二度と会えない無数の光。他愛ない話は続く。何時間経って、残りは何日だろう。変わらない君と私が変わらないままで自然なキスをしていた。恋仲じゃ、別になかった。キスをしてみた後だって違うと思う。でも、それで――それが、よかった。隠れ家の海、ひたすらに相応しかった。
 もう誰も残っていない。駐車場、ガレイジ、どこも空っぽだった。田舎町。車に頼る生活が功を奏した、と言えばそうだ。公共の交通機関、今頃はどれも止まっているんだろうな。私には、あまり関係ないけれど。両親は遠くに住んでいる。
 母方の実家。祖父母が亡くなって、今は私の一人暮らしだ。思い出の詰まった家がどうしても惜しくて、ここを離れなかった。高校も近くにあって、転校はしたくない、我がままを通した。大丈夫、家事はやるから、勉強も全部一人でちゃんとやるから。……よかったと思う。私はその結果、北斗に巡り会えたんだから。
 食事でもしよう、北斗の提案で、星の下から初めて逃げる。文明の限られた灯のもどかしい一夜、缶詰ばかりの宴。私たち、それでも笑い合えるからいいね。生まれた場所を選んで。
「お風呂って、どうすればいい?」
「沸かそうか。こんな時代に火で焚いてるよ」
 お言葉に甘え、準備を待つ間、着替えを取りに自宅へ帰る。真っ暗な中で粗雑に掴み出す、厚手の衣服なら構わない。適当な鞄に詰めた。道程のわずかな距離を意外に思う。こんなにも近くに暮らす君だった。……そう言えば、全然知らないな。君の家、君の家族に関しても、聞いた事ない、君の口から。何となく嫌がりそうな雰囲気があって、私も尋ねなかった。寧ろ、ただ君は不思議な存在で居て欲しかった。願望、として。
 ちょうどいい往復だった。リヴィングの、孤独の時は長くなかった。
「待たせたね、用意出来たよ」
「……先、いいの?」
「いいよ。ゆっくり温まってね」
 飄々としていて無垢に優しくて、ありがと、意味を沢山込める。
「僕はまた空を見てるよ。上がっても呼びに来なくていいよ、冷えるし」
 外へ出る背を見送って、幸福な時間を先に貰う午後九時。不自由に囲まれてまだ何一つ変わらずにある……君さえ、居れば。
 浴槽の古めかしさが愛しくて、明るめな曲ばかり歌った。こんな時でさえ未来は現在へ、現在は過去へと変わり行く。緩やかに近づく最後、感謝する訳じゃないけど、君と一緒で。
 特別な時を過ごしている事に、間違いはない。それだけでいい。
 入浴を終えた私は、リヴィングで正直に言いつけを守った。一〇分もすると、玄関扉から北斗はちゃんと姿を見せた。
「上がったよ、北斗もどうぞ」
「ありがとう。それじゃ、入って来るね、待ってて」
 何気ない会話がとても大切に思える――ほんの八分前の。
「……早くない?」
「いつもこうなんだよ、僕は」
「人にはあんな事言っといて」でも、北斗らしい。
 烏の行水を済ませた後の、淡い談笑。敷布団だけど寝られる? うちもそう、ベッドじゃないよ。そんな淡さだ。危機的な状況なのに、二人には緊張感の欠片もなくて。……楽しいよ。罰当たりかな。でもきっと君も同じだ、寝顔で分かる。
 日常と非日常との境目で、
 私は君の隣に眠る。
 
     x x x
 
 日が経つにつれて寒さもいや増して、そろそろかもね、なんて話した。
 もし上手く行けば、コールド・スリープと似た状態にならないのかな。呟けば、北斗はなぜかいつだってその回答を蓄えていた。追いついてないんだよ、まだ現実に、技術が、期待した空想が。
 細胞が凍る時、その水分が膨張すると、細胞膜が破壊され、元通りには戻せない。だから復活は遂げられない。世界には〈クライオニクス〉なんて言うサーヴィスもある、死後に遺体を冷凍し、技術の進化した未来、そこに一縷の望みを賭ける――人類が考えそうな、哀切の塊じみたものだ、と言った。残念な事に、それより終焉が先に来ちゃったみたいだね、とも。
「……北斗って、元々『HVS』の事は知ってた?」
「どう言う意味で?」
「存在を、知識の意味で」
「知ってたよ。宇宙はとても面白いから。正式に『ハイパーヴェロシティー・スター』、日本語で超高速度星。観測はされてるんだよ、これまでも。……まあ、名称があるくらいだし」
 もの凄い浸透圧で、急激に、世界中から認識された。時速一〇〇万キロさえも超えて飛ぶ星で、地球の側を通った、それだけで軌道を逸らすくらいには、あまりにも桁外れな力。……現実に、太陽系と地球とは切り離された。無限の旅だ。
 太陽が、熱源が恵みが、遠くなればなる程、死へは近づく。地上では、ありとあらゆる人たちが生きる手段を探し求める。太陽の光が反射して届く、または単なる恒星である関係で、少しの間星空は変わらないまま拝めるんだよ。オーロラが現れるのは太陽が離れる事の磁場の問題。一切の情報はいつも通りに、北斗が教えてくれたものだ。
「地球って、太陽系の軌道から外れた場合、最後、どうなる?」
「公転と同じ速度で宇宙へと放り出されてそのまま進む。暫くは銀河の中を彷徨って、他の星へと衝突するか――太陽と似た恒星を見つけたら、仲間に入れて貰えるかもね」
「つまり、また……運がよければ、恒星の周りを回る『地球』になるの?」
「うん。但し、運がよければ。それにほら、命が宿るとも限らない」
「でも……なくはない可能性なんだよね?」
「僕は専門家ではないけど。……あり得るよ。言わば『天文学的な数字』だなんて、当てにならない」
 君の言う通り、だろうな。天文を語るとすれば笑える比喩だ。第一に、北斗はHVSが地球の側を通る確率――その事も、極めて低い筈なんだ、本来は――そう言っていたんだ。
 ふと、思う。もしも「天文学的な数字」を気にしなくていいなら。
「北斗はさ、輪廻についてどう思う?」
「生まれ変わりね。君は信じる?」
「信じるよ。多分何年、何憶年経ってもいずれ君と出会える。だからこそ、訊いてみてるの」
「同じかな。信じる信じないは別にね。昴とはどうせ出会える、その時に、互いが忘れ合っていたって」
 見て昴、ほら、オーロラだ。少しだけ、北斗の声が楽しく弾む。私たちらしく、最後は砂浜でその時を待つ事にしていた。
「もう一つ、訊いていいかな」
「ご自由に」
「生まれ変わりを前提として、……輪廻って、そもそもそこに生命が生まれない環境だったらさ。どうなるのかなって、少し思ったの。それでも人は、生まれ変われる?」
「その時は、地球の外で目覚めるよ。縛られないから魂なんだ」
「……ならいいや。いつか必ず、また会おう」
「勿論だとも。いつか、必ず」
 約束を交わす小指が冷たくて、分かってしまう。……さよなら、北斗。
 その時に、君が私を忘れるか、または私が、君を忘れる――だとしても、巡り会えたら、嬉しいな。今の私が、そう思うから。
 それだけは伝えておけた。
 辛うじて、弾けて消えてしまう前には。
 
     x x x
 
 ――それがまず、最初の記憶。二番目に、連星の、繋がり合う記憶。
 ああ、そうだ。教えてくれていたっけな。超高速度星の由来を。連星は、二つの星が引力で……重力だっけ? ごめん、忘れた。質量の等しい星がそれぞれに楕円軌道を描くんだよね。引かれ合う事の公転運動で、二つの星は回り続ける。
 その内の一つがとある原因で――それは超新星爆発や、超巨大ブラック・ホールに吸い込まれ、ちょうどあの日の地球みたいに、彼方へと信じられない勢いで飛ばされ、HVSとなる。
 分からないけれど、何千何万の出会い、別れをしていたのかな。私たち、こうなる前も。何となく、そう思うんだ。君は、どうかな。
 確信があった。私は君を今失って、関係は崩れた。片方が抗う事も不可能な重力に消え、私が残る。滅亡の後で私と北斗とは輪廻したんだ――連星として。君の言う通りだったね、魂は違う場所でも生まれるんだね。
 そしてまた、次は私が生命のある惑星へ終わりを告げる。
 運命は、繰り返される。こうやって。
 その中にあるといい。希望が。
 
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「――どれくらい、経ったんだろう」
「宇宙規模だったとしたら、凄いだろうね。……原始星、星の卵が出来るのに、一〇〇万年は掛かるらしいよ。僕たちが星へと輪廻したのなら、まあそれくらいなんじゃないかな」
「ねえ、北斗。やっぱり君も」
「覚えてる。僕と昴は、連星だった。前世では、僕がブラック・ホールへと吸い込まれ、君だけが残った」
「……不思議だね。どうして思い出せたのか、どうして巡り会えたのか、さえ」
「僕たちの与り知らぬ摂理だよ。……また会えた、『再びの地球』で僕たちは、月でなければ兎でもなかったけれど、種を咲かせた」
「そう、だよね。それが私たちの全て。それで、いいよね?」
「それで、いいんだ」
 追憶を頼りに話す。この星の、誰も知らない言葉で、話す。二人して、誰も知らない星の名で、呼び合う。それが、答えなんだね。
 運命は、繰り返される。こうやって。
 そして希望は、確かにあった。
 
 改めて思う。全ての出会いには意味があるらしい。
 ――輪廻と、名前。


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 あなたには「守れない約束があった」で始まり、「手のひらから零れ落ちた」がどこかに入って、「ぱちんと弾けた」で終わる物語を書いて欲しいです。

 あなたには「弾けて消えてしまう前に」で始まり、「全ての出会いには意味があるらしい」がどこかに入って、「また来世で」で終わる物語を書いて欲しいです。

#書き出しと終わり
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