無料【番外編・自己啓発コラム前編】KOUMEってどんな人?究極の他人軸だった私が本来の私を取り戻せたきっかけはズバリ「闇」です
あなたの欠点は本当に欠点ですか?
そこが長所だと判明したら、今までの生き方が根底から覆るほど解き放たれます。
エンパスやHSP気質な方には特にご覧いただきたいです。
このような特性の気質の存在を知ったことが最終的に私が私を取り戻したきっかけになりました。
さて今回のテーマは"私"です。
なぜ急に?と思われるかもしれません。
近頃はとてもありがたいことに、引き寄せコラムをご購入してくださる方がたくさんいらっしゃって、感想をいただいたりと、思いが伝わっていることを嬉しく思います。
感謝の気持ちを伝えたいのですが、ただ"ありがとう"を唱えても、どんな人物がどんな思いで執筆し、それにどんな気持ちで感謝をしているかが読者様に伝わらないなと思ったのです。
私という人間を曝け出し、知ってもらうことで言葉に箔が付くのではないかと考えました。
そんな観点から、主に内側がどんな人物であるのかを幼少期から辿っていきたいと思います。
この"幼少期"がのちにキーポイントになります。
もくじ
①自由を愛する怖いもの知らずな野生児
②中学生になり思春期に突入、この頃からネガティブに③高校進学、母の死、ブラック企業へ就職
④結婚と離婚が統合のきっかけに
後編につづく
①自由を愛する怖いもの知らずな野生児
小学生の頃は活発なアウトドア派。
四人家族で妹がいますが性格は正反対。
妹は家の中でいつも決まった子とリカちゃんやシルバニアでお人形遊び。
私は学校から帰るなり、ランドセルを放り投げては家から飛び出し、仲良しの男子とサッカーや野球、鬼ごっこや格ゲーに明け暮れる毎日…
とにかく人が大好きで、傷は勲章と言わんばかりの絆創膏だらけの女の子でした。
クラスでは学級委員長に立候補したり、音楽発表会ではとにかく珍しい楽器を弾きたくて立候補したり、私としてはいろんなことに挑戦して体感したいし、まず第一に好奇心が先行していて目立ちたがり屋なんて思ってもいませんでした。結果としてとても目立っていたと思いますが。
周りの目なんか全く気にせず、
私は私がやりたいことをやる!だってすごいじゃん!野球ができる友達がいる、ザリガニ釣りをする仲間がいる、目の前にアコーディオンや鉄琴もある!この機会じゃなきゃ出来ないじゃん!絶対やってみたい!
体全体でワクワクし、目はキラキラしていたと思います。人にどう思われてるかなんて、全く考えることもなかったです。
とにかく明るく毎日笑顔が絶えない子どもでした。
ただし、父親がとても厳しく、幼い頃から顔色を伺いながら生きてきました。
怒らせないように、機嫌が悪い時は話しかけないように、父の帰宅時間が近づくと車のエンジン音を聞き分けて察知したり、空気を読むことは当たり前。
この頃から五感どころか第七感まで研ぎ澄まされたと思ってます。
②中学生になり思春期に突入、この頃からネガティブに
アクティブな小学生時代。
おてんばな割には感受性が強く、体を動かす事以外でも絵を描いたりピアノを弾いたり相対音感があったり、アートな分野も大好きでした。
密かに持ち合わせていた繊細な面が中学生で一気に私を支配し、ふと今までの生き方に恥ずかしさを覚え、目立つ事が怖くなり"第二次モノゴコロ"みたいなものが活発な私を自制しました。
元々男勝りな性格なのに、女子特有のトラブルに巻き込まれたりすると、自分の価値観が誰とも合わず、次第に口数が減り、嫌われたくない一心で発言が怖くなり、友達に同調するだけの日々が始まりました。
35年の人生の中で一番つまらなく、二度と戻りたくない期間は文句なしでこの頃です。
③高校進学、母の死、ブラック企業へ就職
厳しい父親の元、相変わらず思ったことや意思を心の中に封じ込め、他人に合わせるだけの生活を送っていました。ホームステイやバイオリンなど、新たに興味を持つことがほんの僅かに芽生えても、意を決して父親に打ち明けてみれば案の定"おまえには無理だ"と一蹴され、言ったことすら後悔し、私は何の才能のカケラもない、何の可能性もないつまらない人間なんだと思い込むようになりました。
やりたいことも夢もない。
楽しいことが何ひとつない。
そんな高校生活中、最愛の母親が病気でこの世を去りました。
厳格な父親に相反し、優しくて明るい太陽のような存在でした。
温かく愛情をかけてくれる母親がいなくなり、益々私は自分を押し殺し、みんなが丸く収まるなら自分が我慢したらいいんだと強く思うようになりました。
その後就職するも、後々地元では悪名高いブラック企業へと変貌する会社に入社してしまいました。
やりたいことがなかった為、自ずと適当な会社を選びました。
そんな中でもプライベートではLIVE観戦が趣味だったり、同僚と飲みに行ったりと、同期に恵まれて楽しい瞬間はありました。
でも私はこの頃を暗黒期と呼んでいます。
私が頑張るのは周りを安心させたいから。
父親に喜んでもらいたいから。
弱音を吐けば周りを心配させてしまう。
強い自分を演じなければ。
とことん自分を犠牲にし、この頃には小学生の頃の私はもうどこにもいませんでした。
そして私は自分で自分を縛り上げた結果、息ができないくらい苦しくなり、うつ状態にまで陥ってしまいました。
④結婚と離婚が統合のきっかけに
ブラック企業の中で意気投合した同期の異性がいました。とても物静かで感情の波風がなく、周りからはマイペース、ミステリアスと言われてるような人でした。
今の私なら人生のパートナーには100%選びません。
しかしこの時は自己肯定感がこれでもかというくらい低く、こんな私なんかをもらってくれる人なんて、生涯でこの人しかいない。他にいるはずがない。と愛情とはかけ離れた動機で結婚しました。
好きだと言われたこともありませんし、結婚式も挙げてません。写真すら撮っていません。
今思えば彼もなぜ私と結婚したのか不思議です。
私なんかにはこのくらいで丁度いいんだ、それより親や親戚を安心させないとと、この頃は本気で思っていました。
私は大事な結婚すら他人軸で決めてしまいました。
7年の結婚生活の後半。
旦那は残業を理由に帰ってこなくなりました。
新築戸建てに住み、趣味のガーデニングをして、帰ってこない旦那のために晩御飯の支度をする毎日でした。
このときの自分を思い返すと、あまりにも可哀想で涙が出てきます。
虚しさと寂しさと悲しさ。
負の感情ばかりが私を支配し、結婚相手を間違えてしまったと酷く後悔をしました。
家を建ててしまったし離婚なんて出来ない。
こんなことくらいで離婚を切り出したら相手が可哀想かもしれない。
親や親戚に何と言ったらいいか。
まず世間体を考えてしまい八方塞がりでした。
毎日どうやって人生を終わらせるかそればかり考えて悩み抜いた苦しい日々でした。
一層のこと、"致命傷を負わせてくれ"と毎日願いました。
程なくして私の負の願いは神様に届きました。
言霊がちゃんと効力をみせてくれました。
旦那から「子どもはいらないし、君のことは幸せにできない。でも離婚はしたくない」と切り出されました。
私の視界は怒りで明るくなりました。
今でも覚えています。
勢いよく内側から殻を破り、本当の私が飛び出してきた感覚です。
頭がおかしいんじゃないか?
ふざけるのもいい加減にしろ。
幸せにできないって?
私はあなたとじゃ幸せになれない。
でも離婚はしたくない?
私の人生をなんだと思っている。
こんなやつと老後まで添い遂げるなんて真っ平ごめんだ。
今までの悩みは弾け飛びました。
離婚して私は私の人生を生きる。
こんなくだらない時間潰しのような日々は終わりだ。
致命傷をありがとう。
さようなら。
ずっと他人軸で生きてきた私が初めて自分の意思表示をし、自分で自分を傷つけていたことに気がついた。
私を苦しめているのは私の思考だ。
どれほど逃げたら気が済むのか。
こんな自分嫌いだ。
暗闇の中で膝を抱えて蹲って泣いている、子供の頃の自分が遠くに見える。
私は息を切らして駆け寄る。
今までこんなにボロボロになるまで放っておいて本当にごめんね。
いっぱい我慢させちゃったね。
本当は悲しい顔してるの分かってたのに。
もう二度とこんな思いさせないからね。
私は私を抱きしめて、蔑ろにしてたことを心の底から泣いて謝った。
切り離されてた幼少期の本当の自分と一つになったような感覚だった。
どん底で最大限悩みに悩み抜いた離婚を決意し、切り出した私にはもう怖いものなんて何一つなくなりました。
夜明けです。
心が軽くて仕方ありません。
負の自分を葬り去った途端に明るく楽しい毎日が訪れます。
私はちょっとやそっとじゃキズすら付かない、強靭な鉄のハートを手に入れました。
私が成長するために絶対的に必要な期間。
無駄なことなんて一つもない。
戻りたくはないですが、やり直したいとも消し去りたいとも思いません。
このときがあったから今があるのだと、当時乗り越えた自分に拍手です。
そして私は人から優しすぎると指摘されていました。
違う。
優柔不断なだけ。
そんなしょうもない優しさなんかいらない。
ただ自分が傷つくことから逃げていただけでダメなところだ。
そんな中、小学生の頃からの理解者である親友がこんな事を教えてくれたんです。
「あんた、エンパスとかHSPって聞いたことない!?絶対あんたこれだよ!ちょっとこの記事みてみて!楽になれるかもよ?」
聞いた事がなかったですが、すぐに調べました。
こちらに関しては後編に綴りたいと思います。
話は戻ります。
自分のことより相手の気持ちを優先してしまう性分。
確かに優しいのかもしれない。
そうだ、私は優しいんだ。
それは悪いことじゃない。
自覚した上で相手も自分も大切にし、守りたいものに優しさを向けられたなら素晴らしいじゃないか。
その代わりに私を傷つけるものはいらない。
私の欠点だと思ってた部分は長所なんだ。
誰よりも空気を読み、不快感を与えず、楽しい空間を作れるなら才能みたいなものだ。
そう思ったら少し嬉しくなった。
生かすも殺すも私自身。
等身大の自分で生きていこうと勝手に背負ってた肩の荷をおろした。
それが私なんだから。
つづく