「埼玉県唯一の村」東秩父村を知る 村民リレーインタビュー 第1回
元民生委員会長 「写友会」メンバー
栗島富雄さん(77歳)
~地域の見守りや写真を通して恩返し~
村役場や道の駅などがある村の中心地、御堂地区在住。道の駅は東秩父村手漉き和紙の体験施設「和紙の里」、農産物直売所があり、週末などは内外からの観光客でにぎわうことも。
今回インタビューをさせていただいた栗島富雄さんは24年間、東秩父村の民生委員を務め、優しいまなざしで地元を見守ってきた人。さらに後半の12年間は民生委員会長として地域の福祉環境の向上に尽力されました。
また、平成8年に東秩父村に誕生した「写友会」のメンバーとして、写真撮影を通じ、長きに亘り東秩父村を村外の方に紹介しています。
民生委員を務めることで恩返し
民生委員は主に地域の高齢者世帯、一人暮らしの高齢者、子ども、障がい者を対象に各家を見回り、困ったことがあれば専門機関につなげる役目を担っています。
栗島さんは16歳の時父親を病気で亡くされ、祖母、母親、妹、障がいを持つ姉との暮らしを地域の人がいろいろ助けてくれ、教えてもらったこと、お世話になったことなどご恩を今も身にしみていると語ります。父親の教えである「勉強は出来なくても良いが、人に迷惑をかける事はするな」との言葉を守り、地元とのかかわりを大切にされてきました。「長く民生委員をやってきたことで、皆さんに少しは恩返しできたかな」とも。
民生委員としての活動では、特に2つのことが印象に強く残っているといいます。まず一つは埼玉県や比企地域の民生委員の会議や情報交換の席でのこと。東秩父村は今まで子どもは少ないけれどもいじめや虐待はないと話をしても「嘘だろう、隠しているだろうって言われる。村内各地区の担当民生委員から何かあれば話が上がってくる。でも上がってこない。これはこの村の自慢できる一つ」。
そしてもうひとつは、村の皆さんの温かな人間性。
「他の地域で民生委員が各家に訪問して、門前払いにあうような話も聞きますが、この村でその任にあったものとしては想像もできません。この村では逆に訪問先の高齢者の方から、ねぎらいや仕事の苦労を心配してくれるような声をかけてもらったりすることがあります。ときとして思った以上に干渉されることもあるけれども(笑)、この村にはお互いを思いやり、人のつながりを大事にする昔ながらの良さがまだ残っていますね」(栗島さん)
栗島さんは、民生委員の他に「福祉有償運送」、「公共交通委員」、「非行防止」、「高齢者対策委員会」といった生活にダイレクトに関わる取り組みにも貢献されています。そして川の増水で浸水したり橋が流されたり、道路が崩落したり、甚大な被害が発生した2019年の台風19号の折には、一人暮らしや避難に困難のありそうな方々を自家用車に乗せ、避難所に導くといったことも。
この時村内の各地区では隣近所声を掛け合って避難し、区長を中心に住人で協力して復旧作業を進めたところもあります。お互い助け合って乗り切ったという話が各地区でありました。共助の力が発揮された出来事でした。
自然と歴史と戯れた子供時代
そんな栗島さんは父親の仕事で幼少時は大阪で過ごし、終戦間際に実家であるこの村に来ました。当時はまだ3歳。父親は帰省して10年後、東京の板橋にある同じ系列の会社に、毎朝小川町まで自転車で行き東武東上線で通勤していたそうです。
ちなみに、ご実家のある御堂地区は42件中18件が「栗島」姓です。
「中学の授業で家紋を調べたことがありました。親に聞いて『丸に根笹』であると知った。栗島の本家ではないかって近所のお年寄りから聞いたことがある。今は何も残っていないけれども、石板に『栗島萬太郎』っていうのは何代か前のご先祖様で、浄蓮寺に尽くした人のようです。
上)浄蓮寺参道正面にある石板。「東秩父村の歴史」(平成17年3月31日発行 東秩父村 編集・発行)p.129によると「嘉永6年 題目三千部成就の供養塔(御堂):足立弥兵衛・栗島萬太郎が願主となり、御堂・奥沢の信者の結衆により造立された」とあります。小川町方面から来て和紙の里へ向かう途中の浄蓮寺参道入り口の通りに建っています。
下)栗島家の家紋である「丸に根笹」が象られたタイピン
子供の頃の遊びは、かくれんぼ、めんこ、ベーゴマ、山遊び、川遊び。
「山遊びは『車を作って山の道を降りていく』というもの。川遊びは村を流れる槻川。
今より水がきれいで水量も多かったからよく川で遊んだ。魚釣りもよくやった。夏は浄蓮寺の住職がいろいろ、本堂で勉強を教えてくれたり、沢でカニをとったり。山中にある栗島家のお墓の一番上腹に品物が置いてあって、それを夜一人で取りに行くという肝試しも地域の子供たちとやりましたね」(栗島さん)。
また、この村は数々の神社とともに地区ごとの祭りが盛んだった土地です。近年では、なかなか祭りの運営が難しくなっていますが、2019年には御堂地区の隣にある萩平地区の伝統的な山車である「笠鉾」が5年ぶりに曳かれました。
「私が子供の頃は祭りの笠鉾の上に子供を乗せてみんなで引っ張る。神輿や商工祭も賑わい楽しい思い出がたくさんある。私の若い頃はあちこちの地域間に横のつながりがあり、家族ぐるみでよく遊んだものです。親睦旅行、納涼会、正月は川で魚釣り、夏は川に魚をはなしてつかみ取り。」
と思い出を話してくれました。昔ながらのやり方で山の傾斜を人力で曳く姿は圧巻でした。
村の仕事、村の産業
東秩父村は昔から、人々が山間部の気候や土壌条件に合わせながら、さまざまな作物が育てられてきた土地。昔栗島さんの家では米や麦を作っていました。
「子どもも働き手の一人として手伝わされ、農繁期には1週間から10日くらい農繁休業で学校が休みになった。今は楽しんで作っているけれども、夏の麦刈りが嫌だった」
①昔は刈り取った藁を「風よけ」として家の回りに立てかけていました。
そして、この村は8割が山林で占められています。その山林を縫うように槻川が流れる御堂地区では、奥沢のエリアを中心に紙漉きを行う家がありました。手漉き和紙は水道水を使いません。現在も井戸水で紙漉きを行っています。
「この辺(御堂)は紙漉きと養蚕をやっている家が多くありました。子どもの頃、学校帰りに紙漉きをやっていた家によく寄って遊んだから、じつは紙のできるまでの工程は頭に入っているんです。自分のお婆さんが剝いた楮の皮をその家に運んだりと、身近に紙の仕事を感じる暮らしがありました。紙については子供が手伝うことはなかったけれども、和紙で凧や飛行機をよく作っていましたね。家では障子や何かを包むのに日常的に使っていました。後年、同じ地区の方々と今の「和紙の里」の土地で野菜を売っていたら、大凧で有名な神奈川県の方が大凧用に東秩父村まで和紙を買いに来たことがありました。そんなふうに知られているんだ、東秩父の紙を使ってもらいありがたいね、と話をしたものです」
2014(平成26)年、隣の小川町と東秩父村において昔ながらの工程で漉かれる「細川紙」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。細川紙は細川紙技術者協会で15年以上細川紙の生産に従事し、保持者と認定された紙漉き職人によって漉かれます。東秩父村では平成29年度より手漉き和紙の技術者研修生支援事業が始まり、現在2人が細川紙技術者協会で技術向上に取り組んでいます。
東秩父村を写真でPR
東秩父村は1年を通して遠方から写真を撮りに来る方が大勢います。「観光写真コンクール」は今年34回目を迎え、毎回村内の素敵な写真を見ることができます。伝統的な祭り、花(花桃、桜、ツツジ、ポピー、アジサイ、ヒガンバナ)、繭玉つくり、成人式、フェスティバル、白石での撮影会…。撮影の機会が多く写友会の方も大活躍です。
栗島さんが写真を始めたのは会社に勤めた10代の時。会社の写真コンテストで優勝したことがきっかけで今も撮り続けています。
「単なる風景写真でなく、景色の中に人物を入れて撮ることをモットーとし、写真を撮らせてもらった方には写真を送り、一緒に特産の和紙やお花やイベントなどの東秩父村の情報を紹介してきました。東秩父村はすごい山奥の印象で大変なところだと思われるけれども、良いところ。知らない方が多いから知ってほしいと思って写真を通して紹介し、嬉しいことにそうして知り合った方が村に来てくれて交流が始まることも」(栗島さん)。
栗島さんが、村の中でもっとも好きな撮影スポットは、スマートフォンの待ち受け画面にもしている「和紙の里の茅葺屋根(紙漉き家屋)」。特に「春の花と冬の雪景色」がお気に入りで、インタビューの折に見せていただいた待ち受け画面も桜が咲き誇る春の和紙の里でした。
昭和31年、大河原村と槻川村が合併して現在の東秩父村になったわけですが、もともと大河原村の小学校と中学校は同じ敷地内(現在の槻川小学校)にありました。大河原中学校は現在の和紙の里のある場所に移転し、昭和42年に「東中学校」と改称。その後昭和50年、当時の東・西中学校が統合され現在の中学校の場所に「東秩父中学校」として開校されます。東秩父村は村の合併と学校の統廃合で度々名前の変更が見られます。空き校舎となった東中学校は解体され昭和60年から「和紙の里」施工が始まり現在に至ります。すでに中学校の面影はないとのことですが、栗島さんは写真を撮り続けています。
今年は新型コロナウィルス感染防止のため、栗島さんたちも「例年のような撮影活動ができない」という状況が続いています。
晴れて状況が好転したならば、また新たに、村の1年1年の季節の写真を撮り続けたいと栗島さんは話してくださいました。
上)②第47回 秩父美術展(H12.10.22)特選
御堂の黄色いのポピー畑にて。毎年たくさんのカメラマンが訪れる撮影スポット「天空のポピー」の始まる以前の写真。母親に抱かれている女の子は数年前に成人式を迎えました。
下)③坂本のお祭り 毎年たくさんのカメラマンが訪れる撮影スポット。
上)④ムラサキツツジ 以前は山に咲いていた。現在は各家の庭に植えている。
下)⑤二本木のツツジ 昼間に霧が。珍しいとのこと。
上)⑥和紙の里「春と花」
下)⑦和紙の里「冬の雪景色」
和紙の里庭園の決まった場所から季節を変えて毎年写真を撮ります。茅葺の「紙漉き家屋」と花と池の組み合わせが好きなショット。自宅から近いこともあり撮影にこだわっています。
写真:①~⑦:栗島富雄さん提供
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