寡黙な父親の一言
僕の父親は寡黙な人であった。自分のこともあまり話さない。
しかしこと勉強に関しては、高校生の入り口頃まではよく口出しをしてきた。何だかいつも怒られてばかりだったような。
大体は自分も悪いので「すいません」と言いつつも、そんなに怒らなくても良いじゃんと思う時もあった。
だが、妹の相手が忙しくなったのか、成績がマシになったからなのか、誰かから何かしらの話を聞いて考えや気持ちに変化があったのか、諦観したり疲労を感じたりしたのか、単なる気まぐれなのか。
僕には分からないが、高校生になったぐらいからメッキリ何も言ってこなくなった。本当に何も。
高校生時代は廊下を通る時偶に僕の勉強部屋を覗く程度で、受験生活終盤の頃に一言だけ「そんな感じの勉強方法で大丈夫なんか?」と問いかけられた時は、寧ろ驚いてしまったぐらいである。
そして時は流れ、紆余曲折を経て僕は京都大学に合格した。
それからしばらく経ったある日、父と二人でお昼を食べに行く機会があった。
父とは別に仲が悪いわけではないが、お互い態々喋る性分でもないし特に話すことも無い所為で、子供の頃から妙な距離感がある。
しかし、休日に時折朝マックやすき焼きランチなどの食事に誘ってくれて、少しだけ言葉を交わしたり各々の時間を楽しんだりする一時を過ごす。そんな関係性。
その食事の最中、不意に言ってきたのである。
「ホンマにあの京大に受かれるとは思ってなかった」
「あの京大って大袈裟やなあ」
僕は紛うことなき本音を述べた。すると父も本音を述べてきた。
「いやいや。高一の頃の模試の志望校に京都大学って書いてるの見て、何の冗談やと思ったから。でも全然変える気配無いし、こいつ本気なんやって驚いてた」
「ええ、そんなん知らんかったわ」
「うん。言ってないから」
合格報告した時もいつも通りやったのに、そんなこと考えてたんかいっ。
その時改めて、合格したんだなあと実感した。少し温かくなった。
あと、それ以来父の態度がなんか少し変わった気がする。なんでやねん。
僕自身は高一の時もある程度本気で合格するつもりで勉強していたし、周囲に京大合格を志す同級生が山程存在していたことも手伝って、目指す行為自体に特別何かを感じることは無かった。
しかし父は、そして周囲は、そうではなかったようであった。
こんなにも捉え方が異なるのか。想像以上であった。
合格したことに対して、色々な方から祝福の言葉を頂いた。
家族や友人は勿論、僕が数学を教えていた子達やお世話になった歴代の先生方。話をしたのが昔過ぎて記憶を持ち合わせていない親戚から電話が掛かってきたりもした。
程度の差はあれども、勿論全て嬉しかった。
しかし一番印象に残ったのは、寡黙な父のこの一言であった。