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空欄と超生物マルコポーロ

(有料パートは、空欄とマルコポーロの小噺と、試験という概念の本質と空欄ついて。)


序文

 僕は解答用紙を空欄がある状態で提出するのがとにかく嫌だった。意地でも何か書きたがった。
 模試などの試験中諦めてずっと寝ている同級生には「寝ても良いけど記号問題ぐらい何か書いてから寝えや」とつい窘めてしまっていた。


空欄を避ける訳

 思わず他者にも指摘してしまう程空欄を嫌悪する理由は色々とある。

 一つ目は、思い立った現時点からの最善を尽くすというポリシーを持っているからである。
 準備が不足した状態で試験開始という今を迎えてしまったことは反省すべきではある。本当は試験前に思い立ち最善を尽くした方が良かった。
 しかしながら、時空間を破壊する程の労力を割いて過去を変えようとするぐらいならば、今出来る最善の努力を重ねた方が、お手軽であるし得る事物も多い。反省は後で良い。
 そして試験中に無理をしてでも空欄を埋めようとすることで、発見出来ることも意外とあったりする。
 試験というのは不思議な物で、現状の全力を以て対峙すると普段よりも頭が回ったりする。ピンと来ていなかった物事に、試験中に気が付き理解し学べたりするのである。これそういうことやったんかあ。
 特段過去を引き摺りがちな僕は、分かっていても後悔ばかりしていたので、このポリシーを強く持っている。そして副産物もあるので、他者にオススメもしている。本当は常日頃最善を尽くすべきであるが、それは恐ろしく大変なことである。だからせめて思い立った瞬間だけでも。

 二つ目は、単純に点数の期待値が高いからである。
 該当する選択肢が無い場合は空白にせよとか、答えが空白の二文字になるから何も書かないことが正解とかの問題を除けば、空白で提出することは即ち0点を意味する。
 しかし勘でも何でも書いておけば、点数が発生するかもしれない。即0点ではない。
 特に記号問題は、労力の割に点数の期待値が高いので埋め切るべきである。選択肢に使われている記号がどれかは注意しよう。
 また記述問題も文字数さえ足りていれば、加点式なら意外と要素を拾って部分点をくれるし、減点式なら細かく引かれまくってもちょっと残ったりする。
 試験会場に足を運んでいるということは、点数が欲しい気持ちが一応はあるはず。それならば少しでも得点の期待値が上がる行動を選択し実行して欲しい。端から寝る気ならば、会場よりも快眠出来る場所に行くべきなのである。
 実際、勘で書く行為は馬鹿に出来ない。高二の英語の全国模試において、記号問題だけ爆速で勘で埋めてから直ぐ寝た奴に、記述問題まで全部真面目に解いた僕が負けたことがあった。そんなバカな。奴には暫くの間ネタにされた。

 三つ目は、見映えが良いからである。
 テストに取り組み解答用紙を埋め切った光景を美しいと感じていた。なんかやった感あるやん。一歩一歩進んで山登り切って振り返った時見える絶景みたいな。
 それに作成者にとっての見映えもある。
 授業をしたのに見当違いの間違えだらけな解答用紙も悲しいは悲しいが、解答用紙がそもそも真っ白だともっと残念な気持ちが湧いてくる。一応時間費やしてテスト作ってるのになあ、教えたこと自体が迷惑だったのかなあ、試験時間暇やったやろうなあ、他にしてやれること何かあったかなあ、みたいな。
 そして白紙解答した子が、仮に気持ちを入れ替えてもう一度教えを乞うて来たとしても、最初と全く同じ気持ちで教えることは出来ない。
 自分の前向きな姿勢を伝えておくという意味でも、埋めるという行為は大切なのである。
 空欄は未来の可能性も消している。


超生物マルコポーロからの贈り物

 僕は歴史の試験を目前にして椅子に座っていた。
 日本史や世界史に関係なく歴史という科目に、そして固有名詞を覚えるという行為に、意味や価値を見出せていなかった僕は、またもや頭スッカラカンで試験開始の瞬間を迎えてしまっていた。
 お決まりの文句を言った所で、歴史が意味もなくボンヤリと好きなだけの権力者の気が変わって学習課程から本日付けで外されたり、自分に学校から謎めいた100点が付与されたりすることはない。
 仕方がないなあ。
 僕はいつも通り、現時点からの最善を尽くすことを決意し、シャープペンシルを右手で拾い上げた。

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