センター試験での絶望と覚醒の話
大学受験の一次試験は、現在「大学入学共通テスト」という名称と形式で開催されている。
これはそうなる少し前の、試験中の絶望と覚醒のお話。
いよいよセンター試験の正念場を迎えようとしていた。
最も不得意であり点数のムラが激しい英語の試験開始が、僕の目前まで迫っていた。
そもそも記憶事項が多く、覚える以外の選択肢が無い場面も多々ある語学は僕の天敵で、特段英語は脳と身体のコンディションによって出来が大幅に変わってしまっていた。
良い日は、英作文で使いたいイディオムは直ぐピンと来るし、文の構造もサクッと見切れて自然な訳が出来る。
しかし悪い日は、日本語が頑なに動かないし、長文を見ると英単語ではなく単語と単語の間の空間ばかり見え始め、内容どころの騒ぎではなくなる。
単語間の空洞が浮かび上がり道が出来る「英単語空間ロード現象」に陥った日は、英語の勉強を止めていた。
これぐらい明確な白黒が発生してしまう英語は紛うことなき正念場。
果たして今日はどうなのだろう。
休憩時間に最後の準備をして、いざ試験開始。
解き始めて暫く経ち行き詰まった時、問題が発生した。
隣の受験生の貧乏揺すりが凄まじい。物凄いストレスであった。
僕自身も貧乏揺すりをしてしまうタイプであることは知っていた。
しかしそんな自分なぞ足元にも及ばない程に酷い貧乏揺すりが、視界右側で不定期開催されていた。
今までの科目は試験に集中出来ていて気が付かなかったのか。それとも隣の奴が英語から参戦したのか。受験生が入れ替わったのか。
原因は不明であったが、苦手科目の英語で手が止まり入り込めていない今、隣が目に付いて意識を掻き乱されているという結果だけは確かであった。
一度気になり始めると中々振り払えない。
見知らぬ奴が揺する度に集中は乱れ、ドンドンと英語の理解から遠退いてゆく。
そして例の「英単語空間ロード現象」が発生してしまっていた。
頑張って単語を見ても、successという文字列がs^3・uc^2・eに自動変換されてしまう今の僕に、英語の試験で得点を取得することなど不可能であった。
隣の奴の意図せぬ妨害と自らの実力不足に、絶望感と焦燥感に、激しく苛まれつつも、這う這うの体で大問5と6のマークを終え時計を確認した時、残っていた時間はたったの15分であった……。
開幕のアクセント、長文読解、文法と短文と巡回する作戦の僕は、現状大問2から4が全くの空欄。
適当にマークを塗るだけでも1分はかかりそうな物量が手付かず。
これは現実なのだろうか。
僕の脳裏に、自分の歴史上最も悲惨な点数を取っている自分の姿が過ぎる。
絶望が広がる。あーー終わったなあ。僕に諦めずに英語を教えてくれた人達に申し訳ないなあ。応援してくれた人に、何より勉強してくれた過去の自分に、申し訳ないなあ。
頭も視界も、何もかもが黒に侵食されてゆく感覚に襲われる。
とはいえ15分残っている。
全てグチャグチャになって崩壊してしまった試験ではあるが、残り15分座っているのも暇だし、一応解こう。
諦観と共に大問2を眺めると、相変わらず英語を日本語に変換することは叶わない。
しかし『設問文を目で軽くなぞると、何故かシックリ来る選択肢が一つだけ存在』していた。
理由も根拠も無い。でもコレじゃ無い?と頭が訴えてくる。
不思議さは感じるものの、まあ時間もないのでほいっとマークする。
次の設問も、その次の設問も。
一読するだけでコレかもと思う選択肢が一つ浮かび上がる。日本語は介在していない。
目でなぞる。マークをする。
淡々と、ただ淡々とそれを繰り返す。
大問3が終わった時、ふと我に返った。
そういえば、「何故僕はまだ試験用紙にマーク出来ている」のであろう。
時計を見ると試験時間がまだ5分残っていた。目を疑った。
どうやら僕は大問2と3を10分で駆け抜けたらしい。そんなバカな。
残された時間で大問4をザクっと見て、全体を軽くメンテナンスして、試験用紙は回収されていった。
解答速報が出て、いよいよ自己採点をする瞬間がきた。
僕は全く気乗りしていなかった。というか試験中に絶望し諦観し二桁すら覚悟した英語の採点で気乗りする方が不思議。不思議過ぎて不可思議不思議である。
とはいえ結果を報告しないといけないので、憂鬱さを感じつつも採点してゆく。
蓋を開けてみると、被害はちょい崩れぐらいで収まっていた。
理由は一つ。
「あの日本語が一切介在しない10分で駆け抜けた大問2と3が、全問正解だった」からである。マジか。
自分でも意味が分からなかったが、恐らく絶望し諦観したあの刹那のみ、究極の集中状態に突入し、英語を英語のまま理解出来る境地に達していたのだろうと推察した。
数学の試験中にゾーンに入って答えが見えたり飛んできたりした経験は何度かあったが、自分には底の方に英語脳も眠っていたらしい。
それなら教えてーな。
本試験を経て辿り着いた二つの教訓と、センター英語で掠め取った数十点を、僕は二次試験でふんだんに活かすことになるのであった。
後から思えば、何故試験官に試しに相談してみなかったのか等不明な点もある。
しかし恐らく、その程度の発想に至る余裕すらないぐらいまで追い詰められていたのであろう。
試験本番という極限状態を迎え緊張すると、如何に普段の当たり前が出来ないのか。それに自らが気が付けないまま負のスパイラルを歩んでいるのか。その恐ろしさが分かる。
一方で、試験は最後まで何が起こるか分からないことも、良く分かる。
積み上げてきた勉強の成果は様々な形で表れるのである。
(二つの教訓の話は続編にて。)