他責思考は悪だが、自責思考はもっと悪。
色々な人と仕事をする中で、自分の内的な思考ルールとして「他責思考はしない」を強く保っている。
実際、私はいつも何かしらトラブルに見舞われた際に、一時的に「え?」と思うことはあっても、「そうさせた私のせいだな」とすぐに思考を整えることができるので、他責になることはあまりない。
そういう基本思考だからこそ、他責の人と付き合うとひどく疲弊するのも事実で、あまり積極的に関わることをやめることが多い。
しかし、他責思考以上に危険なのが、実は過度な自責思考だったりする。
自責思考の私の場合、何かしらトラブルがあった時に、その問題を引き起こした理由を「私が未熟だからだな」とか「私がその人を選んでいるからだな」と思考を落ち着かせることが多い。
自責思考が過度に出ると精神的な疲労が強まり、精神衛生上不健康になりかねない。
最近感じている自責思考のリスクとして「解決策の視野を狭める」という視点がある。
全てを自分の責任と捉えることはある意味では平和的解決だけれど、実際には問題の本質を見ずに解決策を見逃してしまう。
実際、自分の力でコントロールできる現象の数なんてたかが知れているし、自分だけが原因のはずはない。
人は一人で生活しているわけではないので、常に人を頼って生活している。
人を頼れば頼るほどエラーは起きる。
それをその都度自責として片付けていたら、結局根本的な解決策にたどり着けなくなってしまう。
さらに自分を過度に責めることで、自己肯定感は下がる。
それは、新しい挑戦へのブレーキになるため、成長に歯止めをかけてしまう。
では、どのように他責思考と自責思考のバランスを取るべきなのか?
やはり起きた事象に対して客観的視点を持って関われるかどうかにかかっているのかもしれない。基本的にヒューマンエラーは存在しない、システムエラーだと言われるように、誰かのせいなわけではないのだとしたら、それは自分のせいでもないのだというマインドが必要だ。
その上で、
客観的事実をもとに原因を探り、
解決するためのシステムを構築するしかない。
とはえ、失敗すると落ち込む。
落ち込むと、次の行動が怖くなる。
だからこそ失敗から学び、分析し、システムを作り直すことで自分のエラーが繰り返される可能性を減らすことができれば、安心して次のアクションを起こせる。
次の成功へのステップを作れれば、感情に左右されず自己肯定感を保ちながら成長することができる。
他責思考を避けることは確かに大切だけれど、その代わりに自責思考でいては、今度は別の問題を生む。
結局のところ、責任の所在を探すことで精神を削いでる暇があったら、前に進む方法を考えないといけない。ただそれだけなのかもしれない。
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