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「忙しい」に潜む罠。

「忙しそうですね」

私がよく言われる言葉の一つ。

実際に、「暇」かと言われると暇ではないし、同世代の女性と比較したら、まぁまぁ1日でこなす作業量は多い方かもしれない。

家事育児
仕事
一時は介護もしてた

それを「忙しい」と言えば、そうなのかもしれないけれど、最近少し違うように思ってきた。

私は「忙しくない」のだ。

何言ってるの?と言われそうだが、本当にそう思っている。

独立当初、「もし仕事がなくなったらどうしよう」ととても不安だった。Googleカレンダーが空欄だらけになったらどうしようと、スマホを睨めっこしていた。

しかしありがたいことに、そんな不安はすぐに消え、日々仕事の追われ、まさに寝る暇もないほどだった。
おかげで独立後一度も、勤務時代の年収を下回ったこともなく、仕事の量も年収も順調に右肩上がりで増えていった。

個人事業が軌道に乗り始め、翌年には法人を作った。とはいえ、その法人は個人事業の延長で作っただけの小さい法人だったため、ただ法人と名前がついただけの形だけのものだった。

毎日仕事はあったし
あることがありがたかったし
この忙しさが自分への信頼の証なのだと
本気で思っていた。

けれど、最近になって少しだけ
「忙しさの本質」というものに気がついた

私は、忙しくはない。
というより
忙しくあってはいけないのだ。

私の役割は、今や、日々生み出される膨大な仕事をこなすことではなくなった。

日々生み出される膨大な仕事を、信頼できる「人」へ渡す。
そしてその、渡すための仕事を「生み出すこと」が、私の役割となった。
私の周りにいるチームメンバーを忙しくするのが、私の役割なのだ。

私が動かなければ、みんなが止まる。
私が動かなければ、事業は止まる。

毎朝起きて考える。
「今日は何をしたらいいんだろう?」

仕事があればこうは思わない。
「今日も仕事か。」とため息混じりに思うことすらあるだろう。

でも私はそう思える「仕事」があるようで、ない。
だから常に考えないといけない。
「私は何をしたらいいんだろう?」と。

仕事を与えられることはなく、毎日「やらないといけないこと」もない。

ゼロからやることを考えて生み出す日々。
誰かに与える仕事が
生み出されない日があれば
今度は焦りが生まれる。

それでも仕事を
与えられる役割より
与える役割を
私は選んだ。

だから今日も
私は「忙しくない」
忙しそうにしている自分がいたら
それは焦るべきだ。

もっと人に仕事を渡し、その時間を新しい仕事を生み出す時間にしなさい、と。

忙しくしてはいけない。
人を信用し
人を信頼し
仕事を渡す

そうして私は
頭を働かせ
新しい仕事を生み出す

目に見える忙しさではない
目に見えない忙しさがある

そういう働き方が、今の私の働き方となった。

だから私は今日も、「忙しくない」


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