フラスコか、ビーカーか、それとも?
以前友人から「725はキャパが広いね」と言われたことがある。私自身はその自覚がなく、むしろ逆だと思っていたので、この言葉をきっかけに、自分がどうしてそう見えるのか、そしてそれがどういう意味を持つのかについて考えていた。
さらに昨日の晩、別の友人とのやりとりの中でも「キャパが広い」という話になったので、私は心の「間口」と「容量」について考えたので、今日はそれを言語化してみようと思う。
間口と容量
人の心の形を実際に想像してみる。
「間口」とは、人からの空気を取り込む入口のこと。
一方で「容量」とは、その空気を蓄える場所のこと。
人が放つ空気は多様で、その多様なものをどれだけ受け入れられるか。
多様さの中には、非合理的な行動ををする人もいるけれど、私は案外そう言う人に対しても、拒絶反応を示さず、「なぜこの人はこんな行動をするのだろう?」と持ち帰る。そして考える。
この性格が、多くの人から「キャパが広い」という表現になるのかもしれない。
人それぞれの心の形
で、このキャパの話。
これはそれぞれ形が違うと思っている。
例えば、丸底フラスコの様に間口を狭く、容量を広い人もいる。
この場合、自分にとってネガティブな空気が入らない様にできる。入ったものは出にくくなるけど、自分にとって必要な空気だけを貯めるように慎重に取り込めば、良いもので満たされる。
それに対して、ビーカーの様な形の人もいる。間口が広く容量もまぁ広いけれど、出入りも自由。
なんの根拠もないけれど、なんとなく多くの人が前者な気がしている。そして私はたぶん後者だ。
間口を広くすることで、いろんな人のエネルギーがダイレクトに流入する。その分疲れやストレスも多いかもしれない。けれど、出口も広いので、いっぱいになったら、出すことも容易い。
逆に、間口を狭くすると、ストレスは少なくなるかもしれない。けれど多様なエネルギーとの関わりが減る可能性もある。
どちらが良いかは、自分自身の心の状態や、その時々の状況によって変わっていくと思う。
最後に
たまたま友人から言われた「キャパ広い」というフレーズから、いろんな心の形をイメージしている。
自分自身の心の「間口」と「容量」を具体的にイメージできると、「あ、今は8割埋まってるからちょっと疲れそう」とか予防もできるように思う。
逆に満たされていない感覚に陥ったら、良いエネルギーを吹き込みに動いてみるのもいいだろう。
皆さんも、自分の心の在り方や容積を一度イメージしてみては?
そうするとどんな空気を、どんなエネルギーを取り込みたいかが見えてくる、はず。