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輝く手仕事の在るところ。長崎・ガラスの光。<瑠璃庵・538 ステンドグラス工房>【旅先案内人 vol.20】五島リトリート ray#6

普段、私たちの運営施設をご利用くださっているお客様を対象に、私たちの宿に関わる人々に焦点をあてたニュースレター、「旅先案内人」をお届けしています。

vol.15】から、数回に渡り、五島列島にまつわる連載を配信しております。この夏新しく開業した五島リトリート ray。五島列島の"地域の光"をご紹介していきます。

(温故知新 運営ホテル:瀬戸内リトリート青凪・壱岐リトリート海里村上・箱根リトリートföre &villa 1/f ・KEIRIN HOTEL 10・五島リトリートray)

日本のガラス文化はじまりの地、長崎。

いまや、私たちの生活にかかせない『ガラス』ですが、その歴史は古く、今から 5000年ほど前に、人類がつくった物質であるといわれています。日本でも太古からガラスの成形・加工が行われていましたが、ガラス文化が花開いたのは16世紀半ば以降。海外との貿易の玄関口として発展してきた長崎の地にポルトガルからその技術や工芸品がもたらされ、全国に広がっていきました。

ガラスと縁が深いこの地で、ガラス文化を伝える2人のガラス職人に出会いました。ガラス工房を40年以上営む長崎市の『瑠璃庵』、五島列島で唯一のステンドグラス工房『538 ステンドグラス工房』です。ガラス文化が伝わったこの地で紡がれる、輝く手仕事をご紹介します。

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暑い日も、寒い日も。1000度を超える炎と対峙する。

じめっと蒸し暑い陽気で、梅雨もいよいよ本番かという6月の昼下がり。長崎市内でガラス工房を営む瑠璃庵を訪ねました。

「ちょっと、暑いんですけど...」

少し申し訳なさそうに工房兼お店に向かい入れてくれたのは、ガラス職人の竹田 礼人(あやと)さん。工房とショップが併設された店舗の奥には、職人さんたちが汗を流しながら”吹きガラス”の製作に取り組む姿が。ガラスを溶かすための大きな”溶解炉”は絶え間なく火を炊いており、1000度を超える熱さです。長崎・五島列島にあるホテル『五島リトリートray』では、オリジナルの器やグラスの製作をお願いしており、客室やレストランで使用しています。今回はその製作風景を見学しにやってきたのですが、工房の熱気がお店の端まで伝わってきました。

ガラス職人の竹田 礼人(あやと)さん

炉に入れては取り出し、空気を吹き入れ形を変え、何度もガラスを重ねて作る吹きガラスの作品。窯の近くはまるでサウナのようで、じっとしているだけでも汗が流れ落ちてきます。

「うどんやそばを打つ人が、日によって毎回素材の様子が違うと言いますが、ガラスも同じです。ガラスは温度が下がると割れてしまうため、冬は炉の外に出して整形できる時間が短い。逆に夏場は、外に出しておける時間は長いけれど、暑さとの戦いです。熱を持ったガラスは1000度以上あるので、汗が一筋垂れるだけでガラスが割れてしまう。それほど繊細で、同じものはひとつもないんです。」

ガラスは海から生まれている。

「瑠璃庵の特徴は、砂を溶かしてガラスをつくるところからやっていることです。最近の主流ではガラスの塊を溶かしてつくる人も多いし、その方がガス代なども安上がりなのですが、ガラスの原材料からこだわることで、美しさを引き出しています。」

そう語りながら見せていただいたのは、ふかふか、サラサラの美しい”砂”。これが、ガラスを作るための最も大切な原料の1つです。現在は、タスマニア産の珪砂(けいしゃ)を使用しているそうですが、江戸時代などのガラス職人は、日本の海岸の砂を使っていたそうです。

「砂に、色々な成分をいれて透明度を出しているのですが、元の砂が良くなければどうにもなりません。日本の砂もこんな風に美しかった時代があったんですね。現代ではもう汚くて使えなくなってしまいました。世界的にも、美しい砂が取れる場所がどんどん消えています。地球の美しさとガラスの美しさは、いつも隣り合わせなのかもしれません。」

普段、なかなか目にすることのない、ガラスの”原料”。美しい海の砂から作られるということを知ると、ガラスの水のような透明感やきらめきの秘密が、わかったような気がします。

「ガラスは、海から生まれているんですよ。」

竹田さんの言葉が、なんともロマンティックに聴こえました。

長崎でつくらにゃいかん!この地でつくり続ける理由。

「瑠璃庵は、父と私、親子二代でものづくりをしていています。もともと父は、建築系の仕事をしていたのですが、37歳の時に会社を辞めて、日本で初めてのガラスの大学に通いなおし、一からガラスについて勉強して瑠璃庵を創業しました。その頃、長崎で販売されていたガラス製品やお土産は、ほぼ海外製のもので長崎で作られているものは、ほぼなかったそうなんです。」

長崎のガラス文化が失われていた...そんな事実を目の当たりにしたお父様の竹田 克人(かつと)さん。”長崎のガラス工芸に再び火を灯したい”そんな想いを抱き、導かれるようにガラスの世界に飛び込みました。現在、お父様の克人さんはステンドグラス職人として、息子の礼人さんは吹きガラスの職人として活動しています。今では、世界遺産にも登録されている長崎市内の『大浦天主堂』の修復を手がけるなど、確かな腕前と熱い想いで、長崎のガラス文化を伝えています。

「長崎でやるというのが、一番のこだわりであり、意味があると思っています。生まれた土地だし、歴史もあるし、ここしかない。」

「長い間、同じ場所に工房を構えていると、嬉しい出来事もあります。修学旅行生でガラスづくりを体験した子が、先生になって自分の教え子を工房に連れてきてくれたんです。“当時のあの感動を忘れられなくて、教え子にも体験させたい。今もその作品をもっている”と話してくれて。そうやって、ガラスを通じてモノや想いが続いていってくれているのを実感しました。モノには必ず、思い入れやエピソードが宿ります。手作りで作ったモノだからこそ、大切にしようと思ってくれたり、何か感じ取ってもらえるものがあるんじゃないかと、信じています。」

“大切にしたくなるもの”、それは、使うたびに作り手の顔が思い浮かんだり、自分の思い出にそっと寄り添ってくれるものではないでしょうか。丁寧に作られた瑠璃庵のガラスの作品たち。ガラスの先にいる職人さんたち、あるいは、ガラス文化を伝えた太古の人々に想いを馳せながら、長く大切に使っていきたいと感じます。

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【ガラス工房:瑠璃庵】
住所:長崎県長崎市松が枝町5-11
TEL:095-827-0737
営業時間: 9:00-18:00
休館日:毎週火曜日
HP:http://www.rurian.com/
Instagram:https://www.instagram.com/rurian_glass_studios_inc/
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五島の片隅で営む、島にひとつだけのステンドグラス工房。

穏やかな海の目の前に、ポツンと佇むレンガ造りの建物。福江島の北西部に位置する三井楽町というエリアに、島唯一のステンドグラス工房があります。ガチャリと扉を開けると、小柄な女性が大きな色ガラスと対峙する姿が。真剣なまなざしに、思わず息を飲みます。

『538 ステンドグラス工房』の濱崎由美子さん

出迎えてくれたのは、島でステンドグラスの製作を行う『538 ステンドグラス工房』の濱崎由美子さん。たくさんのガラスやパーツに囲まれた空間は、手仕事の臨場感を感じられ、なんだかわくわくしてきます。

三井楽教会のステンドグラス制作

工房がスタートしたのは、今から25年前。五島出身の方が工房を開き、当時、同エリアにある「三井楽教会」のステンドグラスを製作するという大きなプロジェクトが進行していました。

「教会といえば、ステンドグラスのイメージがあると思うのですが、三井楽教会には一切なかったんです。正確にいうと、1代目の教会にはあったのですが、建て替えで2代目になった際になくなってしまったようです。工房をはじめられた方が『とても寂しい、やっぱり教会にはステンドグラスがほしい』と感じていらしゃって。そこから、プロジェクトが立ち上がりました。」

工房がスタートしてから約一年後、濱崎さんは工房の生徒さんとして、活動に加わります。当初は、自宅のドアの一部にステンドグラスを飾りたいと考えており、個人的な製作をするために生徒募集の張り紙をみて参加をしたそうです。

「私が参加した時、既に三井楽教会のステンドグラスの製作の話がありました。メンバーは9名、私含めキリスト教の信者さんは2人しかおらず、全員ステンドグラスやガラスの知識もない初心者。大阪から先生を呼び、0から教わりながらの製作です。基本的にはボランティアとしての活動だったので、各々が空いている時に進めました。その頃私は市役所の職員だったので、仕事が休みの土日を利用し参加していました。5年で完成させる予定で、最終的には6年かかりましたね。」

ステンドグラスの製作は、細かいデザインに合わせガラスをカットしたり、気の遠くなるような作業もあれば、ケイムというガラスを嵌め込む固い鉛線をグイッと曲げるような力仕事も必要です。デザインに合わせてミリ単位で調整をしていきます。

「もちろん不安もありました。教会に納める予定のステンドグラスは、全部で34枚。仕事もしながらだったので、5年も続けられるかな、と。でも、1枚完成させるとマインドが変わりました。完成させる喜びを体感した時、本当に疲れを忘れましたね。ああ、綺麗だなあと心が動きました。」

三井楽教会のステンドグラスには、キリスト教の歴史、日本、そして五島のキリスト教の歴史が表現されています。その場所に宿るストーリーをガラスに込めて作られた大作のステンドグラスは、今や街の立派なシンボルです。

希望だ。これがあれば、私は生きていける。

工房を立ち上げた方は、三井楽教会の作品の製作期間中に身体を悪くされ、完成を見届けることなくこの世を去ってしまったそう。その後、工房では濱崎さんが中心となり、教会のステンドグラスの修復や制作を手がけています。それまでデザインやものづくりについて学んだことがなかった濱崎さんでしたが、いちから技術や知識を勉強し、現在は五島のお店などから、デザインからオーダーメイドでの製作の依頼もあるそうです。

「思い出深い製作があるんです。2011年、東日本大震災のあとのことでした。岩手県に住むカトリック信者の方から一本のお電話があって、話を聞くと津波で家から何から全て流されてしまったと。失意のどん底に落ち、これからどうやって生きていこうと思っていた時、五島へ旅した際に見た、教会の美しいステンドグラスの光景が頭に思い浮かんだそうです。『希望だ。これがあれば、私は生きていける、と思って...家に飾りたいんです』とおっしゃって頂いて、なんとか力になりたいと思いお受けしました。」

東北という遠距離からの依頼ということもあり、難易度が高いオーダーでした。それでも「ここにもあった、復活支援!」を合言葉に、粘り強く密に連絡を取り合い、4枚のステンドグラスを制作し岩手に送り届けたそうです。

「ステンドグラスは、まだ文字が読めない人々が多かった時代に、色や形で想いやその意味を伝える役割を持っていました。ガラスの色や表現されている形、全てに意味が込められています。

岩手の方に何を作ろうかと考えていた時に、ふと浮かんだ言葉が『天地創造』でした。教会のマリア様に守って頂けるようにマリア様を描き、”入口”を現す虹、”精霊”を現す鳥を描いたりなど、嵐は去ったよ、平和がやってきたよ、という想いを込めたんです。」

届ける人に想いを馳せながら、ひとつひとつのモチーフや色に意味を宿したステンドグラス。美しいガラスが人々を魅了するのは、作り手のささやかな祈りが、細部まで込められているからなのかもしれません。

作り続けていきたい。大人になってから出会ったライフワーク

市役所の職員をやりつつ、ステンドグラスの製作をしていた濱崎さんは、今から15年前、ご自身が55歳の時に職場を退職し、工房の仕事に専念をするようになります。現在は、製作のかたわら、観光客向けにステンドグラスの製作体験も行っています。

「自分の持っているもので、何かに貢献できたらという想いはあります。これからも、作り続けていきたいですね。いつまでできるかな...」

淡々と静かにガラスと向き合い、こんなにも大変な作業を何気ないことのように、少し控え目に、はにかみながら語る濱崎さん。自宅のドアのガラスを直したいという想いからはじまり、今や島の美しい文化を繋ぐガラス職人に。いくつになっても、ひたむきにやり続けることが、ライフワークにつながるということを、教えてくれたような気がします。

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【538 ステンドグラス工房】
住所:長崎県五島市三井楽町濱ノ畔806-9
定休日:不定休

※五島リトリート rayでは、アクティビティとして、ステンドグラス作り体験を行っております。体験ご希望の方はホテルまでお問合せください。
五島リトリート ray:0959-78-5551
詳細はこちら
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