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茗荷谷について

原始、女性は太陽であった。というなら男性は月であったとでも言うのだろうか。そしたら「今宵は月が綺麗ですね」というI LOVE YOUの邦訳を考えた夏目漱石はゲイだということになんかなっちゃったりして、なんてこれは良くない。ゲイ自体がまずいとか、そんな前時代的な価値観を持ちだしたいのではなくて、漱石の性的アイデンティティを会ったことも話したこともない100も歳下の僕が勝手に決めつけることが問題なわけで、まあでもそれは漱石が百合の花が咲くまでずっとお墓の前で、秋川雅史のモノマネしながら歌いださずにずっと辛抱強く待っていられていたらの話で、そもそも彼がぴんぴんしてた頃は性自認のうんぬんかんぬんの話は表沙汰になってなかったし、そのへんのことは、読者の諸君にわかってほしい。
茗荷谷という街がある。なんでそう呼ぶかは誰も知らない。我が東京の間借り家から歩いて30分強もいけばつけると思う。大したことのない街だ。大した街なんてものが存在するか、それ自体の問題には声に出してみてからいまはじめて気づくわけだけど、とにかく、大したことのない街だ。
僕はさいきん自炊をしている。自炊といっても暇つぶし程度のものだ。ほんとに、気が向いたら。時間があったら。財布に現金があったら。デートの約束がなかったら。家の前で人が倒れていて、髪をひとつ縛りにして熱心に患者の胸骨圧迫をしている若い女から、「あなたはAEDを!!!!」なんて叫ばれなかったら。そういう偶然が重なって、なんとか地面に両の足をついて自炊をすることがある。野菜は美味しいから食べるもので、僕はホリエモンみたくコロナの緊急事態宣言発令中にマスクをつけずに飲食店に怒鳴りこんで大炎上なんてしないから、野菜なんかべつだん好きじゃなくて、あまり野菜をうまく使って料理はできていない。野菜は面倒臭い。諸君もお分かりだろう。一人暮らしでは大抵もてあます。全部使い切らないんだ。実に面倒だ。取っておいてまた使えばいいじゃないって思うかもしれないけど、先述の通り僕は東大を中退して会社を立ち上げて、人生ピークの真っ只中で証券法取引違反で逮捕されたことなんてないから、好きこのんで何回も同じ野菜を消費するなんてありえない。自炊は幸運な雨の日にしかできない。だから次同じ野菜をふと思い出してもう一度使おうなんてすると、まずは野菜を探すところから旅はスタートする。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなとこにいるはずもないのに探して、くたびれた休憩に30本のタバコをふかしながら10本のビールを空けて3本の映画を観て、その頃でちょうど丑三つ時くらい、「そうだ冷蔵庫を探してみよう」という段になって、ようやく見つかったりする。彼はたいてい冷蔵庫の奥の方でぐったりした顔しながら、「見て分かりますよね、10日も経ってるんですよ、あなた様が僕の半分を切り刻んで、鍋に放り込んでから.....」なんていう話しかけてくるもんだから、おおかたどきっとして冷蔵庫を勢いよく閉めて、罪悪感から逃げるようにオナニーをしてその日は終了。これで諸君も僕が野菜を使って自炊ができない理由がわかっただろう。いつだって野菜は僕を困らせる。おかしくする。野菜を使って、自炊はできない。簡単な話だ。
僕をもっとも困らせるのは玉葱だ。美味しいんだけど、そんなにたくさんは使わない。たいてい使うのはハンバーグのときで、2週間前の今日もちょうど豆腐ハンバーグに挑戦した。豆腐ハンバーグの出来映えはばっちりで、隣に美人な女子大生でも住んでたらお裾分けしてそこから恋が始まったりなんかしちゃったりなんかして、とか妄想するかもしれないけど、実際にはいとうせいこう似の非行少年しか住んでおらず、それはとっても不幸なことかもしれないけど、同時にいとうせいこうという現存在は、仮に美人な女子大生が住んでいたとしても張り切って声をかけてお裾分けするだけの勇気も出ないであろう僕の、弱虫の免罪符としての機能を果たしてくれちゃってたりするんだと思う。つまり、豆腐ハンバーグみたく野菜なんか使わなくとも美味しく自炊はできる、ただし玉葱をのぞく。
ハンバーグはひとりで食べ切るには相当張り切らなければならない量作ったつもりだったが結局使えたのは半玉分だけだった。3玉1セットで、残り2玉はいいものの、半玉あまった分がいけない。断面はぐじゅぐじゅしていておぞましい。年輪みたいな円の連なりが、小学3年生の僕のトラウマを思い出させる。だから自然と涙が出てくる。切ってもないのに包丁で親指の背中を切ったような感覚がして、ずっとむず痒くて、無性に掻きむしりたくなる。床に鮮血だけ垂れている。とにかく玉葱は相性が悪いのだ、味をのぞいて。だから僕は半玉のことは忘れて、その日はいつものように爆音で落語をかけながら寝た。
それから2週間経って、残りの2玉をなんの料理に使ったか忘れたくらいになって、半玉のことも思い出した。あーやべえなーと思いながら帰り道、喫茶店の前を通過し、家のドアを開け、靴を脱ぎ、先述の桜木町→タバコ→ビール→映画→オナニー のホリエモンルーティーンを澱みなくこなしたあと、ついに冷蔵庫を開ける。アウト。玉葱はもう死んでいる。2000年にイオンが近くにできて、一気に廃れた田舎のアーケード街みたいな目も当てられない有様だ。処刑台の前の濡れ犬みたいな顔をして話しかけてくる半玉の声が昨日寝る前に聴いた爆音落語の語りべと声がそっくりだったから、
「ああ、昨晩の!!!!」
と叫んだら、
「昨晩じゃねーよ!!!!」
と叫び返されて、ああなんだ、うちの冷蔵庫とスマホのSpotifyがBluetoothでつながってるわけじゃないのね、となかば失望しつつ納得しつつ、僕は半玉をかかえて部屋を飛び出した。
僕はこいつを埋めることにしたのだ。証拠隠滅だ。仮にこいつをごみ収集所に捨ててしまった場合、こいつは何をこの街の人間に言いふらすかわからない。こいつは僕がこの2週間、この部屋のなかで何をしていたのか知ってしまっている。全人類の誰もが、決して知ってはいけない僕の秘密を知っているのだ、このデブの茎野菜めは。僕がどれだけの人の悪口をひとり呟き、どれだけいとうせいこう側の壁を殴りつけ、どれだけのコーラを枕に注いだかを知っている。あってはならないことだ。こいつは土に還さなければいけない。
朝の4時、公園には誰もいない。朝の4時に公園に人がいないのはたいへん幸運なことだ。朝の4時といえば、ランニングシャツの大学生がゴミ捨て場でスネアドラムを拾って、それをきっかけにして組んだバンドがあれよあれよという間に紅白歌合戦に出たり、サークルの合宿の前日に家に泊まりに来た後輩がひとりで勝手にすべらない話を披露しはじめたりして、割と忙しい時間帯なのに、この公園には誰もひとがいない。嬉しさに顔がほころび、高い空に向かって、スキップしながらめちゃくちゃに叫んだ。今日は自主休講で決まりだなと確信した。これから殺めることになる半玉も、わかってくれることだろう。愛はつねに一方向的であっても、決して間違っているわけではないのだ。
僕はその辺で拾ってきた野良の雌猫に土を掘らせ、報酬にもってきたCHAOちゅーるを渡して永遠の別れを告げると、早速半玉を土に埋めた。もがく玉葱は、文字通り手も足も出ない。そんな形をしているから悪いのだ。先っちょだけ卑猥にとがらせて、あとはちぎれそうにパンパンに詰まった実をして、何枚も皮を被って、自分をみっともないと思ったことがないのか。お前みたいな野菜はもう要らないんだよ、金輪際。どうして自分をこんなかたちになるように自然淘汰してしまったのか、土にもぐり直してこの地球の神様に聞いてみるがいい!!
ようやく僕は玉葱から解放された。あと少し遅かったら、朝日が昇ってしまうところだっただろう。僕は公園のベンチに腰掛けて、さっき玉葱を埋めた土を踏みにじりながら、ハイライトの先端に火をつけてタバコをふかした。あとは帰って寝るだけだ。久しぶりにお母さんをバッティングセンターに連れて行ってあげようかな。
そこで僕は、ある一つの可能性が頭に浮かんだ。
仮に玉葱を埋めて証拠を隠滅したつもりでも、もしこいつがこの公園の土に根を張ってしまったら。そこから茎が伸び玉葱の花が咲いて実り、この街に住む人々が食べたら。そうして僕と同じようにして半玉だけ使い、残りの半玉をまたこの公園に朝の4時に捨てに来て、そうしてまた、玉葱が実る。永遠のサイクルで玉葱の数は指数関数的に増えていき、そうして玉葱がこの街の名産になってしまったら。この半玉の子孫たちは、食べられる前にきっと僕の秘密をみんなにばらすだろう。親の仇だ、僕が玉葱だってそうするさ。そして捨てられた子玉葱の半玉たちから生えた孫玉葱が再び子玉葱の半玉たちを捨てた若者たちへの憎悪を謳い、そうしてこの街には憎悪が溢れかえるのだ。なんと恐ろしい。この街は玉葱と憎悪の街になる。街には犯罪が横行し、人間と玉葱のパワーバランスがくずれ、僕のようなくねくねした若者ばかりになってしまう。あってはいけないことだ。くそ、どうすればいいんだ。どっちにしろ地獄を見るのは僕じゃないか。なんで僕がこんな目に。野菜で自炊しようなんて思わなければ。僕が悪いのか?そんなことはない、世の中には野菜で自炊してる人なんてたくさんいる。なぜ僕だけこんな目にあわなきゃいけないんだ。どうせ僕が不幸になるのはわかってんだから、もう埋めたままにして、この街ごと不幸にさせちゃえばいいんじゃないか?いや、でもこの街には大好きな人がたくさん住んでいて、それはいとうせいこうもそうだし、みんなは一切悪くないのだから、僕は死んでもなお罪悪感に囚われることになるのに、地獄にはきっといとうせいこうはいなくて免罪符もない。いまから玉葱を掘り出して調理するか。いや、もうこいつは腐っている。美味しく食べることなんか無理だ。くそ、どうすれば。死にたくない。なんで。いやだ。どうしてだれもわかってくれないんだ。死にたくない。もうどうにでもなれ。うあああああああああ.....
僕は土から半玉を掘り返すと、泥も払わずその場で生のまま咀嚼した。5歳の頃、間違って飲んでしまったお母さんの缶ビールと同じ味がした。悪魔の玉葱が僕の食道を伝って胃に降りていくのと同じスピードで、太陽が東から空を昇っていった。僕ひとりの犠牲によって、この街は本来辿るはずだった「玉葱谷」の運命を回避した。

いま僕はこのノートを死にそうになりながらベッドのうえで書いている。とにかく、野菜で自炊をしてはいけない。特に玉葱は。みんなにも、わかってもらえただろう。僕は激しい腹痛に意識が朦朧としながら、100年前、ここから30分強歩いたところにある大したことのない谷底に、僕と同じようにして自炊して失敗し、あまった茗荷を捨てにいったであろう少年の、その悲しみを理解してあげられるのは僕しかいないことの悲しみに暮れていた。

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