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53MM その5 53歳のおじさんが「もの書き」になる物語

53歳おじさんのプロフィール パート4:大学生時代


53歳のおじさんは、1浪して、東京の多摩地区にある国立大学に入学した。その大学に7年半在籍したが、卒業できずに中退した。卒業できなかった理由は、自分自身にある。不登校になったからだ。


大学1年生の頃から、不登校の兆候は現れていた。浪人時代はそこそこ勉強したが、大学に入ってからは、あまり勉強しなかった。車の免許を取り、家庭教師のアルバイトをしながら、埼玉の自宅から2時間かけて、大学に通っていた。しかし、途中から大学に通うのが面倒になり、朝一番の講義をサボるようになった。次に午前中の講義をサボるようになり、ついには丸一日サボるようになってしまった。その結果、多くの単位を落とした。


これではいけないと思い、深夜のアルバイトを始めて、お金を貯め、大学の近くのお風呂なし、トイレ共同の4畳半、家賃2万円の下宿に引っ越すことにした。大学1年生の終わりの2月のことだった。


このマークのお店で深夜バイトをしていました


(注釈)2022年現在、このマークのお店は無くなりましたが、グループのロゴマークとして残っています。とても懐かしいです。
当時の国立大学の学費は、年間340,000円程度でしたので、学費と一人暮らしの生活費をアルバイトで稼いでいる先輩や同級生もいました。現在は、初年度の学費が817,000円となっているそうです。
著者:オニワ晃秀(電子もの書き屋オニワ)

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