尻尾を振らないボランティア選び
今日のnoteはボラ活(ボランティア活動)に参加してみたくなった場合、どのようにボラする団体を選べばいいのかがテーマです。
ボラ活それ自体は私自身いままで続け、それがやりがいになってきました。ただ表もあれば裏もあるとの諺?があるようにやってみて知る意外な面もあります。以前にそうしたボラ活裏事情も記事にしましたが、それらも入れて他の件も付け加え、ボラ活参加者視線で特に裏面に焦点を当ててnoteします。
私がボラ活を始めたのは40歳代で今は63歳になってしまいました。その間に係わった活動団体は町内会(自治会)や自身が創設したものも含めて8団体。その中で現在も続けているものは自身で設立した任意団体と最初から関わったNPOの1団体となりました。ちなみに自身で設立した任意団体で実質活動するメンバーは私一人。このように落ち着くところに落ち着きました。
このように8団体に参加したのに大半をやめてしまった理由は、何度も参加していく中で『この団体からは離れた方が自身のためになる』と分かったからです。私はこのように「離れる判断」「やめる判断」を身に着けることは人生の中で大切なことだと思います。
その一方でボラ活は会社勤め、アルバイト、学校の部活などと並んで自身の世界を広げるためのチャンスやアイデアを見つける絶好の場だとも思っています。なのでボラ活にはとても前向きで、誰かに相談されたらほぼ必ずボラ活に取り組んでみることを薦めると思います。
しかし会社勤めとボラ活とは違うものでありながら似ている点もあります。簡単に書いてしまうと会社勤めは給料がもらえるけど、ボラ活の多くは無償になることが主な相違点。一旦ボラ活に参加すると、場合によりますが、会社勤めと何が違うのか?と思うほど多忙になることも起きます。会社勤めなら給料のためと割り切れる忙しさもボラ活ではその活動内容に喜びが見いだせなければ何のためにやっているのか分かりません状態に陥ります。ボラ活参加の一番目にハードルはまさにここにあります。当のボラ団体は参加者に対して『きっとこの活動が好きだから参加したのだろう』と自動的に思ってしまうと私は見ています。しかし参加者は必ずしもそうではありません。しかし反面「何事も続けなければその価値が分からない」という精神論もあります。いったいどうすりゃいいのか?
そのヒントになるかもしれない経験談を以下に書き連ねてみます。
1.「自分が興味あること」を元にボラ団体を探すことはいいけど、続けて参加するには「団体メンバーと自分のウマが合うかどうか」で決めなければならない
ウマが合わない仲間と一緒に無償の活動を続けられたものではありません。しかし実際にウマが合うかどうかはやってみなければ分からないとも言えます。が、何度も経験を重ねると最初の活動日に合うか合わないか察知する能力を身に着けられるようになってきます。さらに進むとボラ団体の人達と事前にちょっと会話するだけでも悟れるようになってきます。
何が言いたいか、場数を踏むことでボラ活も上手くなる。そういうことだと言い切ってもいいぐらいです。これから書いて行きますが、ボラ活は会社以上に終身活動するものではありません。もっとこっちからあっちのボラへボラホップする必要性は高いでしょう。だけどホップを繰り返したあげくに元のさやに納まることも実際ありますから喧嘩別れなんて無粋なことはダメです。
2.最初から数回の活動参加は「調査」だと割り切ることがいい
尻尾を振らないとは、二度三度のボラ活参加で『ここに身を沈めよう』なんて思わないことです。みなボラ活は最初は初心者なので、そのときに感じたことは経験にはなるけど判断基準に使えません。だから最初の頃のボラ活は一つの団体だけでなく単発でいろいろな団体活動を味見する「ボラ実態調査」だと考えたらいいと思います。
そうやって場数を重ねる間に団体つまり組織になると人はどんなふるまいになるのか、世代のギャップの実態とはどんなものなのか、男性ばかり・女性ばかりの組織とそうでない組織に何か違いがあるのか、など垣間見ることもできるでしょう。そうした些細かもしれない経験がその後のボラ活、学生ボラの場合は将来の就職後の会社組織との向き合い方にも役立つと私は思います。
3.興味は薄くてもウマが合う人がいるなら、あえて調査参加するのは大変良い
ボラ活は、実は自分の興味なんかより楽しい仲間がいるところに参加する方がずっと成功します。気の合った仲間どうしで食事会するように、食事ではなくて別の活動をするようなものがボラ活だと言い切ってもいいぐらいです。
ただ成功すると言えるのはいつ分かるのでしょうか?これは難しいことです。気の合う仲間ともいつかはすれ違うようになる日が来てしまうものです。活動参加者の入れ替わりもあります。こんなことを眺めだすとワケが分からなくなりそうですが、ややボラ活に慣れてくる頃、キーパーソンの存在に気づく日が来ます。そのキーパーソンと自分のウマが合えばシメタもので、かなり長いこと一緒に楽しくたれる日々が続けられることでしょう。
4.いずれにしろ参加開始から10回目ぐらいまでは参加するごとに楽しさがましていく自分を感じるが、これは要注意
楽しさは参加10回目ぐらいから急激に下がって行くのがよくあるパターン。前述した「何事も続けなければその価値が分からない」という精神論はきっとこのことを言っているんだろうと思います。楽しさが下がりきった後だんだんまた楽しさが上がっていくことがあるから、そのときがやって来るまで根性入れて頑張りましょうとの精神論は、まあそうなったらいいなぁと期待したいとことです。
が、そうは言うけど楽しさが上がっていくのか、飼いならされて使われる自分に慣れていくだけなのか、よく見分けた方が良いタイミングが開始から数回目ぐらいで『なんだか違和感あるんだけど・・・』と感じたときがその時です。
だから、活動参加開始から少なくても数回あるいは10回目が過ぎて「ま、続けられるかな」と自信のようなものが持てるまでは「ちょっとまだ続けられるかどうか分かりませ~ん」とか言いながらやったらいかがかと思います。
5.ここらで二匹目のドジョウを追ってみるのがいいと思う
その裏で別のことを始めたらいいと思う。活動参加数回目でなーんか感じる違和感の正体はよく考えても分からないことが多いです。だから行こうかやめとこか思い悩むと思いますが、それよりいっそ他の活動団体を探して二つ目のボラ団体に参加して、またしばらく10回とは言わないけど数回参加してみることを薦めます。
そして最初の団体とこの二つ目団体の良いところ悪いところに思いを巡らせてみたらいい。そこで出た結論を元に、どちらの団体に引き続き参加するか、あるいは両方に参加するか、どっちもやめるか決めることができると思う。
6.複数のボラ活をするのは悪くないことだけど、これも要注意
要するにタダ働きばっかりしてどうするの?問題が起きるかもしれない。これは稼ぎが無いと金欠になるという実質的問題よりも家族などから「バカなことばっかりしれるんじゃないの!」と参加反対ののろしを上げられる可能性もはらんでいる。これはたぶん定年全後に始めるシニアの社会貢献意識でボラ活して起きる悲劇にありがちなことです。実際この問題は深刻になり私の知る限り2例の離婚がボラ活によ勃発したことを知っています。なぜこんなことになるのか?理由は家族のことは後回しにしてボラ活ばかりにうつつを抜かすことです。しかも収入はボラ活故に無いのがふつう。幸い報酬があってもほんほ僅か。それがボラの実態です。
実際私が8つの活動から最終2つに絞ったことも半分はこのようなボラ活をめぐる夫婦喧嘩が原因しています。夫婦喧嘩はしたけれどボラ活理由では決して喧嘩に勝てません。なぜなら収入なしでは会社勤めやアルバイトのように家族にせめてお金で恩を返すこともできないからです。半面家族はボラする家族がいることで相応の不便を味わっていることは間違いない。だからボラ活はほどほどにするのが正解と言えます。
7.ボラ活から手を引く段取りはいつもしておく
ボラ活はほぼ無償なので、突然やめることはそう難しくはないです。「事情により辞めます」で済むと思うし、今まで私はそうしてやめてきました。「なんで・・・」と引き留められることはあると思うけどやめる決心をしていれば「もう続けられないんですぅ」を振り回して出てきてしまえば済むことです。
ただ、たまに有償ボランティアの場合、あなた無しでは活動頓挫の重要人物になっている場合、あなたという人物以外にあなたが持ち込んだ私物で活動が回っている場合、とか妙な関わり合いが生じている場合はただちに「サヨナラ」でき難い構造上の問題が起きている場合もあり得ます。
なのでこのような活動団体に根っこを生やすような行為は活動開始から数年間はやらない方がいいです。数年たてばここに根を生やしても良さそうかどうかは見えてくるし、そのような時期になると生やした根っこをどう抜くかも見通しが効くようになってきます。だから活度参加に初期段階では自分の「体ひとつ」で無償参加し「もっと積極参加して!」と言われても丁重に辞退している方がいいと思う。
8.表彰も辞退した方がいい
これは地域団体などにありがちな一種のワナ。このワナはやりがい搾取につながっていると言えます。
思いっきり極端なことを書くけど、これは本当のことだからまあ読んで欲しい。表彰を受けるということは『これで自分は世の中に認められた』ことを刷り込まれる「誤解装置」を渡されたということです。世の中には例えば会社にはエライ?人に「肩書」があります。これを誤解装置といいます。肩書のある社員は平社員より広い机と良い椅子を与えられエラくなったと誤解させ、その誤解力で職務に一層邁進できる精神的エネルギーを与えられるとい仕組みです。この誤解装置は退職後にまだ自分に備わっていると更なる誤解がありボラ活上で困るとの指摘もあるぐらいです。
ボラ活で表彰されることもまったく同様で、あなたはとても良い貢献をしているからこれからもずーっと末永くこの調子でやってくださいね!お約束の証にこの表彰状を渡しますというものです。まさに表彰されたことで「やりがい」という誤解が刷り込まれるかもしれないのです。これでいいですか?本当に。表彰のはなしが出てきたらよく考えて欲しいと私は思います。
9.ボラ活には「この指とまれ型」と「掃除当番型」がある
「ウチの団体はこんな活動やってまーす。やりたい人は参加できますよー」と言っている団体は「この指とまれ型」。多くのボラ団体はこの型です。それに対して「掃除当番型」は町内会なんかです。町内会はたぶん町内会を作って近隣住民の暮らしを楽しくしましょうまたは守りましょうだと思いますからたぶんボラ活団体なのでしょう。
ただ自称ボラ活団体の町内会でも「ではみなさん自分の好きな活動をやってくださいね」とはなっていません。「あなたは今年コレをやる当番です」みたいな。嫌といったら「そんなこと言い出したら活動なんてできなくなるでしょ」が定番のリプライのような。
実は私が創設したボラ団体の出発点が「掃除当番型」の町内会だったので、その後の活動に齟齬をきたした苦い経験があります。私は設立後にさっそく「この指とまれ型」で活動開始しましたところ、掃除当番方式がアタリマエと思っている人にさんざん文句言われました。それで今は私の「ひとり団体」に至っています。
10.もしボラ団体を自分で作ったら、終わらせるのもボラ仕事のうち
私はボラ活は人生勉強のひとつだと意識したらいいと思います。だから一旦始めた活動や団体は長続きさせようとか考えなくていいのではないかと実感します。
いつでも始動できて、用済み後にいつでも終わりにできるボラ組織。こうしたプロジェクト型のボラ組織作りに私は注力しています。
その方法は、今属しているボラ団体はほとんど上下構造になっていなくて代表以外は全員スタッフになっていることを活用し、これらスタッフの「やりたい人」をLINEで募ってちょっとした別活動を立ち上げたいと画策しています。その画策はたとえば1年間やってみる式の短期活動の繰り返し。ボラ活団体の中で違う活動をしている何組かの有志グループがそれぞれ別に活動し、それら活動を「しましょう!」と言い出した人がリーダーになり短期間だけ活動する。こんな仕組みをトライしています。
こんなであれば始めるのも終わらせるのも簡単になるって、そういう期待あります。
こんなこと思いついたのも長年続けているボラ団体の活動内容が時代に合わなくなっているにも拘わらず、同じことを毎年続けようとしている場に居合わせた経験が私にはあります。いつの間にか必要があって始めたボラ活とその推進組織の主客逆転が起きてしまい、組織を壊さないがためのボラ活になってしまっている。そんなことも目にしました。
ボラ活は酸いも甘いもありましたが、果たしてどちらが多かったかよく分かりません。ただいろいろ世間見て考える材料はたくさんあります。私にはそれが一番大事なものです。