メモと文章 使い分けた方がいい理由、それにマインドマップのはなし
メモはズバリ「単語」か「曖昧」に
メモは走り書き、「あとで忘れないように」するためなので、今日中か遅くても明日明後日までぐらいに用済みになるような事を書き残すメモだと思う
そういう走り書きメモにはどうも二種類の使い方があると薄々感じている
ひとつは、忘れちゃいけないモノや行動を「あ!そうだった」と頭に蘇らせる道具としてのメモ
こうしたメモは「豆腐」「冷凍ギョーザ」とか「ゴミ捨て」みたいに単語を並べる式で誰もが書いているんじゃないかと思う
ふたつめ、閃いたアイデアを書き留めておくためのメモ
『そうだ!・・・こんなことしたらいいんじゃね!?』みたいなことを突然閃いたときに書き残すための走り書き
noteのようなブログを頻繁に書いている人はいつもテーマ探しをしていると思う
テーマはいつ閃くか分からない
歩いているときもあれば眠ろうとしているときに閃いてしまうときもある
しかも閃きは一瞬で、とてもデリケートで、あとでその閃きの続きを考えようとしても「えーとなんだっけ???」になってしまうことが多い
だから閃いたらメモを書いておくことがおすすめだけど、このときのメモはどんなシチュでそういうこと閃いたか、何をどう書いたら言いたいこと伝わるnote書けるか、読んだら閃きが頭の中で蘇ってくることが大事
このふたつ目のメモをどう書くかが難しい
勢い長い文章を書いてメモにすると余計に分からなくなって『あのとき何だかつまらないこと考えていたのかもしれん』とせっかくの閃いたアイデアの卵をボツにしてしまう
こうした勿体ないを無くすには、メモ書い当日の間にそのメモ眺めながらnoteを書き上げてしまうことが良さそう
しかもそのときに眺めるメモはわざと読みにくい字や絵や記号をちりばめ『このメモを描いたときの気持ちは・・・』と当時の自分の深層心理に踏み込めるようなものが良さそう、そう感じたもんだからここにnoteしておきたくなった
そんな絵や記号でなくとも、短い走り書き、もっと乱暴に殴り書きぐらいの方があとあとnoteを文章にする段になると創造力がアイデアを閃いた時に舞い戻るようでスラスラ書けることが簡単になる・・・ときどき思い出せないこともあるけど
一方で完成したnote記事のような「文章」は、まさに完成品
以前からなーんとなく感じていたんだけど、
一度ちゃんとした文章を作ってしまうと、そこから先なかなか進歩しずらいような感じがする
私の場合は思いついたことを記事化することがもっぱらで、そういう思いつきは、思いついた先々で変化も進化もするはずなんだけど、一旦記事化したらもうなかなか二度見、三度見しないし、たまーに過去記事読み返して『こんなヘンな事考えていた頃もあったっけ』なことがたくさん起きる
そういう時って、自分で書いた内容に恥ずかしくなって消してしまいたい記事もあり、でも中には消すの勿体ないから内容リニューアルして再投稿することも
それで過去の自分の恥ずかしい記事は掃除されて気持ちよくなる、
けど、やっぱり当時記事を書いたときの閃きは旧記事読んでも生生しくは蘇って来ない
つい1か月前の過去記事を読み直しても同様だ
これはきっと
時間が経ったから思い出せないという理由と、それの他に投稿用のかしこまった文章にしてしまったがために「完成品」になってしまい『あまり大きく手を入れられないなぁ』とか、そんな心理が働てしまうのではなかろうか
一度完成品に手を入れ始めたら、自分の書いたものが全部土台から壊れてしまうんじゃないかな?なんて思ってしまったりして
閃いたアイデアは、どう保存したらいいのだろうか
走り書きメモも賞味期限は短くて、数日後には書いた文字も解読できなくなってしまう
こうならないように、パソコンにメモ書いて残しておきたいが、書いた単語や走り書きがどうつながるのかも後から眺めて分かるようにしたい
この要件をなんとかするには、やっぱりマインドマップかな?という気がする
マインドマップは『あのとき自分は何考えていたんだっけ?』を後から追跡することができそうです