「横たわり主義」、エッセンスとダメなところ
表題にある「横たわり主義(中国語圏では躺平主義(タンピンしゅぎ))」について興味を持ったのでネットで少し調べを継続してみたので、また書きます。
この一見珍しくもない「横たわり」の発想に興味を持ったキッカケは、過日noteした記事で紹介した日本メディアのニュースがキッカケで、その中に記された、とある中国人男性の発したと言われる下記の言葉が印象に残ったからです。(日テレニュース24の記事から引用)
「2年以上仕事がなく、ずっと遊んでいるけれど、私は何も間違っていない。いつも周囲との比較や伝統的観念から圧力を受ける。人間はそうあってはならない」。
さらにこの中国人男性は横たわりながら「思考」を続けるという主旨の言葉を発していたようだが、ここが横たわり主義のエッセンスだと思い、感心を寄せた。
ところが、メディアの反応はこの横たわり主義についてほとんど賞賛していない。以下のサイトの記事はその中でもニュートラルだと思うけど、論調は負け組の横たわり思想だとレポートしているように見受けられる。
また、中国当局はこのような若者の思想に警戒しているようで、日本語メディアにはその様子が少ししか伝わって来ていないのでどの程度警戒しているのかがイマイチ分からない。このような中国の繁栄にとって害を与えかねない思考を許すとは思えないから、きっとそのうち潰されてしまう運命なんだろうと思う。
潰すために、横たわり思想にネガティブキャンペーンをするかもしれない。そんな対向措置がありそうです。
YouTubeで横たわり主義の中国語の「躺平主義」や「躺平学」または英語訳された「フラットネスドクトリン (flatness doctrine)」で検索すると出て来る動画の中に、日本人の横たわり生活のような日常を紹介した動画がヒットし、それを観ると、横たわり生活がいかにみすぼらしくて、みじめで、どうしようもなく、このままずっと日陰の暮らしを続ける人生を暗示するかのような動画作品を眺めることができる。たぶんこのような退廃的生活を「躺平主義」と連結して、このような暮らしを続けることを強く戒め、できれば横たわろうとする当人の周辺者から同調圧力をかけて駆除するでしょう。
それで9割9分の横たわり主義者はあえなく元の勤労生活者に戻ってめでたしと、こんなシナリオで「躺平主義」という言葉はそう遠くないうちにネットからも見えなくなると思う。
一方で、横たわり主義の「横たわる」は単に象徴で、狙うところは同調圧力を避けるためのスグできる手段。さらには対立を避けて欲しい世界に近づくための戦略という点にあるのではないかなと思う。そのための具体的方法が何もせず家で横になることを続けるのは良い思いつきなんだけど、それが奇抜なもんだからメディアもちょっと引き気味に報じているのではないかな? 世論はメディアの報道に左右され易いから、結局やがてそういうのは風化する運命なんだろうと思う。
ただこのような一見退廃的に見える「横たわり主義」の思考からは日頃あまり注目しないような行動でも効果が出せる可能性を感じる。反抗するのに必ずしも対立する必要はなく、怒らず、文句言わず、静かにしていながら周囲が今は大切なものと信じている「ふつうの行動や振る舞い」をやらない!で静かに抵抗する。
これは「使える」と思う。
これを使うのは、横たわっていることは必須でもない。
そういえば日本には「笛吹けども踊らず」という諺があります(新約聖書が出展らしいです)。
ふつうは相手を行動させたいといろいろ仕向けたりしても相手はちっとも行動しない状況を表現する言い回しが「笛吹けども踊らず」。これを相手側の立場から考えたら、迷惑なこと、自分にとって望ましくないことには、笛を吹く人に文句言ったりグチを言うのでもなく、ニコニコして笛の音は聞いているけれど一切踊らないを貫いて抵抗を示すこと読み替えられる。横たわり主義はこれに通じると思う。
こういう態度がどんなときに通用するかはそのときの事情によると思う。こんな態度なヤツと分かられたら、きっとしっぺ返しはあるだろうから、横たわりをした後の自分に起きるだろう被害も想像してからでないと危なくてやれないかもしれないけど、案外できる場合もある。
端的にいうと、もしこんな態度を勤めている会社で実行したら、上司か経営者から必ず「アイツはヤル気の無いヤツだ」と烙印を押されてクビになるでしょう。でももし、その会社をおさらばして自由に生きたいと考え、その実行に着手した者であれば辞めさせられることも被害ではない。そして成りたかった暮らしを手に入れられる。
事を荒げて自分が窮地になることを未然に防ぎながら、どうしても受け入れたくない状況に陥ることへの抵抗として「横たわり主義」のエッセンスは応用できるかもしれないことは頭の中に置いていてわるくないと思う。
他方、横たわり、欲も捨てる行動は抵抗行動以外にも、結果として良い行いになるのでは?と私はそう期待している。
欲が少なくなると、消費行動は衰える。
つまり今もなおイケイケの経済成長にまい進しよう!活動一本槍の全世界的行動にブレーキをかけることに少しは繋がりやしないかと思う。
今構想されている環境問題、気候変動問題への対策はイケイケな経済成長下では改善無理なのではないか。そう思う。
世界のあちこちの国で、仕事を早く切り上げて、早く寝て寝る時間を増やす。横たわりの躺平主義にはそんな大きな副次的効果が潜んでいるような気もする。
そんなこんなの理由で、この「横たわり主義」をただの怠惰な生活の言い訳とはならないようにしたいのだけど、まあ、無理かな?
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