はじめての先生役をやって気づいたモヤモヤ感
この日は地元小学校の総合学習授業で、お手伝いの身ではありながら、本物の先生が見守る中で先生役を引き受けて4クラスに実際の授業をやりました。
総合学習の先生役になった私は、校内にある「学校ビオトープ」と名づけられた池と草原のある原っぱみたいな場所に子ども達を連れ出して「ここから見たり触ったりできるもので、自然のものと、自然でないものを付箋に書いてホワイトボードに貼りつけてください」と、こんなふうに説明しました。そして15分間ぐらい原っぱに放たれた子ども達は、めいめいに自然なもの、自然でないもの、を集めてホワイトボードにたくさん貼り付けてくれました。
自然のものは、ヒメジョオン、名前わからないけど枯れ木、たぶんこれは自然の石、バッタ、オタマジャクシと、こんなような名前が貼り出されましたし、何だか分からない生き物だということで生きた虫をセロテープで付箋に貼ってくる子もいました。
自然でないものは、校舎の建物、コンクリートの石、木の板・・・ときたので、
「どうして木は自然のはずなのに自然でないと思ったの?」と尋ねてみたら「だって切って削って平らにするとか人の手が加わっているから」と、人間の手が加えられたものは自然ではない、という考え方を持っていることをちゃんと説明してきました。
「なら、人間は自然?それとも自然ではないの?」と、私は探求させるつもりで子ども達に尋ねたら「自然だと思う。だって人類は猿から進化したから、猿は自然のものでしょ」という意見と「自然じゃないと思う。だって私のお母さんはスーパーマーケットでインスタント食品とか化学のものいっぱい使った食品買って来て私に食べさせるから、そういうものを食べて育った私は自然じゃないと思う」と、予想外の答えも出て来ました。
展開としては面白かったし、いろいろな考え方ができて探求になったのか?とも思いましたが、このように進めてしまって良かったのか?とも思えるようなこともありました。
自然のものとして、咲いていたチューリップをあげた子がいたので、私は「チューリップの花は、もともと原種の植物があって、それを何年もかけて人の手で品種改良したものだから、植物なんだけど完全に自然のものではないのだよ」ということをうっかり解説してしまいました。
それを聞いたその子は、
「チューリップは今まで自然のものだとばかり思いこんでいましたが、今日の学習で自然のものではないことがわかりました。今後間違わないようにいたします」と感想文に書いていたのを見て、複雑な気分になりました。
この授業は探求することを教えるつもりだったんだけれど、うっかり自分の見解を言ってしまったことから、それを聞いた子どもはそれが答えだと受け止めてしまったようなのです。チューリップが自然の植物ではないと言うのなら、原種はどんな植物だったのか?とか、今見られる植物でどれが自然の植物で、どれが人の手が加わったものか?とか、人が剪定した植物はもはや自然ではないのか?みたいに進んで行って欲しかった、と思ったのも後の祭り。時間が来て授業は終わってしまいました。
先生はべつにこのことを気に留めてはいませんでしたが、私としては教え方マズかったと思ったので、もっと「上手に正しく教えるにはどうしたらいいのか?」ということを考えるようになりました。
次の記事にその「上手に教える」ためにした事を書いて行くのですが、これまた思わぬマズい方向に進んで行ってしまったみたいなのです。
(次回に続きます)