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「欲」は、定年後の身を助けることになるかも

定年後にいったい何して暮らせばいいですか?
このテーマの議論や「こうしたら?」とかいう提案はネット上にたくさん掲載されていますが、はたしてこれらの議論や提案がいったいどのぐらい当人に役立つのか? 私は役立った人の方が少ないのではないだろうかと思います。

いちばん効果的な定年退職者向けの暮らし方アドバイスは・・・
「引き続き勤め先を探して働くことを薦めますよ! その理由は・・・」と、絶対に再就職が人生いいですよ!と諭す形式の“再就職への誘い”が効果的で、ネットにあるアドバイス記事は十中八九この種です。

これがなぜ効果的と言えるかは、現在の定年(たぶん60歳から65歳を指している)後は引き続き求人に応じて再就職するという暮らし方をする人が多いからです。そんなシナリオが溢れてるから多くの人がその考えに同調しているかもしれません。再就職はちょっと勇気が要るから、その背中を押して欲しいと、この種のアドバイスは定番になっているのだと私は想像します。

巷の人達の再就職への意識は?
テレビのインタビューを見聞きし、ネットの記事を読み、身の回りの知人で再就職した人へ「なぜ再就職しましたか?」の質問をすると、彼らの回答は「そうして稼がないと生活していけないから」が定番化しているような気がします。他の種類の回答は、たまに「他にすることが無いから」が散発するぐらいです。

しかし「稼がないと暮らせない」は建前の人も結構いるかも?と思います。理由は・・・
最近の日本では、厚生年金受給者の平均年金収入(月あたり)は18万円程度だそうで。これに加えて基礎年金も加わるから月25万円程度の毎月の年金収入を確保しているサラリーマンOBはほぼ半数いるはずです。夫婦であれば配偶者の年金もここに加わるから、ゆとりを持って暮らせると言われている月36万円生活費を年金で得ている、裕福7な定年退職者がかなりいるはずです。生活費が不足する方々も現実いますから稼がないとならない事実も承知しているけど、実際は年金だけで生活できる人もけっこうな数いると見られます。

それなのに、なぜ再就職して働きたがるのでしょうか?
私の身の回りに「早く会社辞めて好きなことして暮らしたい」と公言する人はあまりいません。少数いますがほぼほぼ女性です。退職した男性リタイア世代の人は「仕方がないから、こうして暇をつぶしています」と、聞けばそう言います。まあこれは日本人独特の謙遜なのかもしれませんが、なぜ好きなことして暮らさないの??と私はすっと疑問でした。

最近になって収入度外視の好きな事三昧暮らしを標榜していた私自身も、「自分の活躍を計る尺度がお金しかない」と分かったような気がしてきました。
私自身の感覚ではサラリーマン時代もセカンドライフに移行して10年経った今も、活動の結果いただいた報酬の額は、そのままその日の充実度の物差しの目盛になっていることが実感できます。

“ふつうは”成果にお金が着いて来ないと満足感が希薄なんです!
私は会社を辞めた52歳から、ライフワークとしてボランティアをしています。ボランティアの仕事には基本お金がついて来ません。誰がなぜボランティアイ=タダ働きを決めたのか知りませんが、自治体でも民間でも募集されたボランティアは殆ど無償労働奉仕。たまに寸志を渡されることがあっても最低賃金にも遠く及ばない額です。この話しを書き出すとグチになって長くなるから止めますが、このように働いている期間がある程度続くと、空しくなることが多いです。それで辞めてしまう、このようなシナリオはかなりの確率で発生します。身の回りのかつてのボラ仲間では残っている人の方が辞めた人よりずっと多く、私自身も数多くのボラ仕事を放りだし、また次を探しました。

お金の他に「活動成果の尺度」になるものは無いのでしょうか?
では、もしお金をいただいて仕事をするのではない、お金に結び付いていない「活動」で継続の力、ヤル気の源になるもの、私はこれをずーっと考えて来ましたが、賃金というお金の単位で数えられるような“定量的”な「成果の尺度」になりそうなものは思い当たりません。

確かに成果が数になるものはあります。写した写真の数、描いた絵画の数、投稿したブログ記事の数、釣った魚の数、鉄道好きで乗車した路線のキロ数・・・これらは数えられ、まさに成果が数になったに違いないですが、それを興味ない人に話したとしたら「それが何?」でトドメを刺されて継続する力ゼロになる数です。稼いだお金は多い少ないはありますが必ずゼロ以上の評価を受けるのは間違いないでしょう。ところが上に列挙した数は話す相手によって容易にマイナス評価になるのです。

この努力の結果の数がマイナスに評価されることは、私が実際に家庭内で体験しました!「そんなの・・・単に遊んだ結果じゃない・・・」と家族にバカにされてしまう現実があります。他人に言われるのはガマンできても家族にバカにされるとかなり堪えます。だから賢い人はそれに直面するより先に読めるから再就職して「立派な賃金」を維持したくなるのでしょう。

趣味はともかくとして、せめてボランティア仕事がタダ働きではなくて、ちゃんと報酬がある「お仕事」だったら、成果はお金になり「あの努力はこうして報われた」と実感できるからお金は継続の力になるわけで、これは生活に何ら困らない裕福な人でも同じです。

しかしお金をいただく仕事は多くが自由の制約とセットになっています。お金を出す側の期待に沿う活動と結果が出ないと、基本お金はいただけません。

結局自分で努力しても自由の制約があるなら再就職して指示に従って仕事してお給料いただくのと何が違うのですか?同じなら再就職の方がおぜん立て揃っているから簡単でしょ、になり易いです。こうして一時期は定年後に好きな事して暮らす毎日に憧れたとしても、また再就職して会社勤めにカムバックする人は少なくなさそうです。

しかし、そのうち本当に最後のお勤め仕事の日、つまりもう今日を最後にこのお仕事契約は終わり!という日に、翌日からいったい何をして生きて行けばいいのでしょうか? 勤めて仕事をしている限りはそんな最後の日は必ずやって来ます。

お金でカウントできなくても、明日も続けよう!と思える意欲が湧く手段は、あります。それは「欲」と活動をつなげることです。

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