仮説多過ぎ!だけど、総合的な学習への授業支援 試行錯誤日記
大雑把な経緯
いままで4年間にわたって地元の小学校で実施されている「総合的な学習の時間」に、地元住民支援者として参加してきましたが、昨年からそのやり方が変わってしまいました。
昨年は学校休業があり、感染予防のために学校関係者以外の校内立ち入りが禁止されたから、そういう非常事態下の授業のためにやり方を変えたのだろうなぁ、と思って私もそれにつき合うことにしましたが、その制限も緩和された今年になっても、変えたやり方が元に戻る気配はありませんでした。
以前のやり方は「住民参加での授業」の色彩が強く出ていて、なるべくたくさんの住民が子ども達の中に入ってお互いに話しをしながら式の授業だったので、授業の進め方は住民側から校長先生に提案して、ほとんどその提案どおりに1年間にわたって授業が進んで行きました。
先生役も住民の中からそのときの授業内容に合った適任者に頼んで「指導」をしてもらいました。こういう方法を「出前授業」と言うのだそうです。学校ではときどき外部の専門家に来てもらって地球環境のはなしとか、朗読とかを子ども達に提供することも出前授業としてやっているから、その方法で総合的な学習の時間も住民でやりましょう、という考えが一昨年までだったのだと思います。その授業のやり方は良さそうに思っていましたが。
感染症が広まったのと同じ時期に校長先生が新しい人にチェンジしました。
新校長へ「今年はこのプログラムでやりたいです」と私は例年やったように出前授業形式の授業プログラムを説明し、校長からも「この内容で良さそうに思う」と言われたことから『校長先生もコミットしてくれた』と思いました。
でも、授業の直前打ち合わせのとき、ちょっと席上に顔を出した教頭先生が「担任の先生の希望をよく吸い上げてやってください」と、言い捨てるように言ってその場を立ち去ったのが、やたら気になりましたが、とにかく授業はそれでスタートしました。
え!マジですか!?と、思わずのけ反った、先生からの電話
2回目までの授業が済み、3回目を予定通りにやろうと思った矢先、担任の先生から「急遽主要教科の授業を進めることになったので、1か月間は総合の授業はお休みということで」と言われました。学校方針でそうなったのだろうなぁと思い、1か月後に再打ち合わせしたところ、担任の先生から電話がかかって来ました。
「子ども達の興味が分かってきたので、その方向に進みたいからどうか予定を変更して欲しい」「子ども達は、こんなことができたらいいな!という夢を描いてみたいというから、その夢を発表すさせます。まずそれを住民の方が聞いてもらって、有意義なアドバイスが欲しい」とスマホの中の先生は言いました。
私はこのはなしを聞いたとき「ギョエッ!!!」としました。どんな夢が出て来そうなのか先生に尋ねたら「なんかもう、メルヘンなんですけど・・・要らないものを入れたらそれが幸せをもたらすモノに変わって出て来る魔法のマシンがあったらいいな」みたいな感じとか。と言いました。
私はそれを聞いてまた「ギョエッ!!!」としました。ほう一人の住民先生役の人に知らせたらその人も思わずのけ反った!らしいです。私は平常心を持ち続けなきゃ!と自分に言い聞かせました。
私はふつうそんな非現実的なことを授業で扱おうとはしません。だけど担任の先生は相談し合ったとこど「そうしよう」と決めました。私は10秒間ぐらい絶句しました。でも10秒後に揺れるアタマの中をねじ伏せて、その方向で授業につき合うことにしました。
垣間見えてきた現場の先生達の本音と決意。もう住民のやりたいようにはさせないぞ!
10秒間で考えたのは、これが先生達が以前からやりたかった総合授業の進め方なのではないか?という仮説です。もっと言うと、以前にやっていた住民が考えた授業の進め方は、本当は『こんなやり方は合わないな』と思っていた可能性が高いです。
私は初めてやった最初の年度の授業内容を見直して改良版を翌年やり、そのまた改良版を次の年度にやるように、会社で耳タコになって覚えさせられたPDCAという手法をなんとなく使って「計画的に授業をやる」のが良いと考えていました。当時の校長先生もそれで良さそうに思っていたと思います。
それがどうも小学校の授業実体に合っていない。先生の今まで見せていた笑顔は本当は苦笑い
PDCAというのは総合的な学習の時間という、型にはまっていない授業には使えないかもです。総合授業のテーマは自由だし、そのテーマに沿って進むとかも教科書があるわけではないから決まっていません。子ども達の興味も反応も出たとこ勝負です。そんな状況では昨年の結果を反省して、こう改良して・・・というようなPDCA手法で作った授業の計画では痒い所に手が届かない感が担任の先生には強く感じるのではなかろうか、と思いました。私の推測では昨年に校長先生が変わって何やら担任の先生方の声が通り易くなったのでしょう??? それで今年、いわば先生一揆のように私の提案した進め方を突破する手に出て来たのだと、私はそう仮説をたててみました。
先生の判断は正しいかもしれない。私は政権を先生に返上する道を模索しました
何しろ担任の先生は毎日子ども達と授業しているわけだから、子ども達は何をやりたがっているのか、興味の方向は如実に分かっているはずです。それを観察して判断した上で「そういうことならこっちじゃなくて、あっちに進めて行こう」そうやって、今までは多分言い出しにくかっただろう「予定を変更しましょう」を言って来たのだと、また仮説をたてました。
そういえば思い出したOODAというPDCAの対抗馬
きっと小学校の担任の先生方はPDCAとかで授業の改良を考える他に、OODAというやり方を駆使しているのだと思います。OODA(ウーダ)なんて言葉は先生方は聞いたこともないと思うけど、
OODAというのは例えば、車の販売会社の展示場にお客が来た時に、営業マンが応対する一部始終がまさにOODAです。営業マンはそのお客が単に冷やかし来店者なのか、真剣に車の買い替えを考えている見込み客なのか、そしてどの車種がターゲットなのか、ダンナと奥さんのどちらに本当の購買決定権があるのか、こういうことを観察することによって瞬時に判断してそれに合った対応をその場でやってのけています。こういうやり方をOODAとして特に軍事機関では的確にOODAができるよう訓練もあるらしい。
教室にいる子ども達が、何に興味を抱いて、何をやりたがっているか、そういうのを先生は観察して分かって、だったらメルヘンでもいいから、一度子ども達にそういう理想像を絵に画かせてみるか!と対応を判断したのでしょう。これはOODAが教える答えが出せる行動の意志決定方法です。
これでもし、本当に成果が出せるのなら、今後この方法に沿った支援方法に鞍替えしよう!
私はそう考えることにしました。実際に先生が話したやり方で子ども達が描いた「理想像」の発表を先日zoomを通して聞きました。やっぱり前回までの発表と全然違って子ども達の気合いが入っているのが画面を通して分かりました。10件ぐらいの発表を聞きましたがメルヘンといっても、ちゃんと筋が通っていて、描いた「幸せを運ぶ魔法のマシン」のネーミングとか説明内容はひとつも授業のテーマから脱線していませんでした。
「子ども達は知らないだろうから教えて差し上げよう」という発想は万能ではないことを悟りました。それより子ども達のヤル気にどうやって火をつけるのかが大切なのです。そうなると先生達に嫉妬心も湧きますがグッとこらえて、そういう子ども達の興味を引き出すことは先生の方が住民より何倍も上手です、を受け入れることにしました。「なんでも自由でいいから、作りたいものを絵に画いてみよう」と子ども達に先生が言ったら、子ども達は歓声を上げたんだそうです。
だから、この授業の進め方にしばらく私はついて行きます。
ただ、今まで恒例になっていた住民参加の小学校学習支援活動は、この方法だと住民がそれについて行くのが難しいです。子ども達が発表することは直前まで何だか分からないから、出し抜けに見聞きした発表内容へのアドバイスは臨機応変過ぎて難しく。どれだけ人がアドバイスをできるでしょうか。今までも一部の住民に私がグチたれた「何もすることが無いやんけ!こんなんじゃ自分がみじめになるだけや」そんな声がまた出そう。
こんな暗雲も立ち込めて来たように思う地元小学校での総合的な学習の時間への住民支援活動は、この先どうなるか分からないけど、たぶんこのような前例はあまり無いかもしれないので、しばらく先生について行ってみようと思います。