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綿密に立てた計画が、先生に良くない影響をしたんじゃないかな?

良い活動は良い計画があってこそ!
計画は綿密であればあるほど良い!
というようなことは会社員時代の私には常識でした。これを疑ったことは無いし、「PDCAを回せ」とかいう言葉はビジネス書によく出て来るから、小学校の授業だって良い年間計画を策定し、先生とよく議論して綿密な計画書に仕上げ、授業当日は計画書から更に書いたシナリオ書を作り、役割分担や時間配分をシッカリ作って授業に臨めば完璧だ!と、私も地域の協力者も、先生方もみんなで合意してその方針で行くことにしました。と、私は思っていました。でも実際は少し事情が違ったのですね。

昨年の第一回目の授業が始まって、その後半年間の総合学習は、まさに配役とタイムラインがシッカリ練られたシナリオで授業をしました。タイムキーパー役もつくり「残り時間2分です」みたいな合図もしながらの授業展開です。だからそのおかげで実に効率よく授業が進み?一見何の不都合も無いように思われた授業で3か月ほど経ち、夏が来ました。

夏休みが終わったあたりから、私は「先生達は今年の授業をどう評価しているのだろうか?」と気になりだしました。授業は私ども地域住民の主導に任せられていまして、それは学校としてもその進め方で良いというふうになっていましたから、それはそれでいいのですが、何か引っかかるような気配を私は感じていました。

先生方から授業への意見がまったく無くて、どうですか?って聞いてみても良いことばかりしか言われないようになったような気がして、もしかしたら先生達は本音ではまったく違うことを思っているのかも?と心配になったのです。

この心配は結局最後になっても解き明かされることが無く、今でも真相は当時の先生方の胸の内で、今年の異動で他の学校へ転任されてしまったから、もうどうしようも確認できないことなのですが・・・

地元住民で話し合うに、
あまりにも住民側で綿密な授業プランをたてて授業をやってしまったから、先生方はもうそれに従うしか選択肢が無かったのではないか?
ある先生が私どもに「今年はみなさんにオンブにダッコにならないように・・・」と言っていまして、それを聞いた私は、先生が日頃行っているやり方とはぜんぜん違う方法で授業を始めてしまったもんだから昨年の先生方は「もうどうにもできない。こうなったらあの人達に任せておく他に仕方がない」と、サジを投げていたのかもしれないと、感じました。

最近になって偶然に他校の先生と話する機会があったとき、
我々教師は生徒の顔色や態度見ながら、即興でその場を盛り上げたり、持って行きたい着地点に向けて話を誘導しながら授業するんですよ。我々はそういう世界のプロですからね!と私にはなしました。

もしそういうのが学校の世界だとしたら、それとはまったく様相が違う、綿密にたてた計画とシナリオでの授業はさぞかし先生方のやる気を削いだことでしょう。真相は確認できませんが。

おそらく先生方の日常活動はPDCAではなくてOODA(見て、分かって、行動を決めて、動く)じゃないかな?と思うようになりました。即興力が勝負っていうことかもしれませんが、こういうのは私も他の協力者もあまり馴染みが無かったので、綿密な計画で間違いの無い進め方が絶対正解!と思い込んだため合わなかったのです。

一方の子ども達は、よく授業について来てくれたと私は思いました。
が、教えたはずのことがあまり分かってもらえなかったことが後で判明する事態があったのですね。教えても興味が湧かずに忘れてしまったのかもしれません。
そういえば、解説していたら、つまらなさそうにしていた子が、ノート広げて今日の感想文を書き始める、という風景を授業中に目撃したことがありました。解説がヘタクソだったのかつまらなかったようで、内職し始めたわけです。

だから昨年の総合学習授業は、一昨年を改良したつもりが、実際はそうなっていなくて授業は迷走していたのかもしれません。昨年末に私の小学生時代の恩師の先生に会ってこれらの事を話したら「その授業の主役はいったい誰なの?子ども達じゃないの?」と意味深な事を言われました。

今年もまた総合学習の授業が始まりました。
昨年の反省を踏まえて、また改良を考えました。
今年はなるべく子ども達に自由に考えてもらうことにして、あまり細かいことを決めて授業に臨まないことにしました。だから即興で臨機応変で野外観察みたいな授業をやるわけです。

どのように進むかは日記としてこの先書いて行きたいと思います。

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