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テレビCMのセリフから連想したこと 意志ある孤立とは

テレビCMでぽろっと語っているにしてはやたらインパクトを感じたsalesforce.com, IncのCM中のセリフ
「意味なく群れるよりも、意思ある孤立を」

まったく同感!こうあるべきだ!と思った反面、定年で会社をあとにした世代が、それも男ばかり(のように見えるのです)が多分勘違いした"孤独の美学”に励んでいるように私には見えるのです。

意志のある孤立って、いったいどのようなものでしょうか?

私が思う「意志ある孤立」は、二つの種類があります。

ひとつめは、あえて独りだけで取り組む活動、これは趣味でもスポーツでもボランティアでも仕事でも活動のジャンルは問わずに、誰の意見も助言も助けも受けずに一人だけで100%思うように取り組むことをひとつは持っていると自分の意志がはっきりすると感じます。
自分は何をどうしたいのか、マイペースってどういうことか、そのようなことが分かってくるんです。

ふたつめは、仲間が一人減り、二人減りして自分しか残らなかったとしても、それがどうしてもやりたいことだったなら、たとえ一人になってもやって行こうとする態度、これは大事だと思っています。
なので真逆に、これをやりたいが誰も手伝ってくれない!と嘆いている人は、正直言って軽蔑します。

しかしながら、私はいつか自分一人になるだろうということはいつも計算に入れて行動しているもんだから、やることがコンパクトになり易いという欠点があります。手に負えないような大きなことは避ける、これが自身の常套になっているから、きっと私に大きな仕事はできません。だけどそれが今の自分の行動なので、これでいいのだ!です。

どちらかというと、私は独りの世界を好みます。一日の半分ぐらいは独りで考え事をする時間が持てないと、頭の中がまとまりません。人づきあいばかりだと疲れ切ってしまいます。

しかし、ずっと独りの日々が続くのも絶対に良くないのです

私は学生の頃、次に書くこんな体験をして、独りと孤独は違うと実感しました。

私は大学2年生と3年生の2年間、人間関係がゼロ付近で暮らしました。
毎日大学には通いましたが、学校の友人は少なく、その少ない友人は毎日は学校に来ないし同じ講義を受講しているわけでもありません。だから知らない誰かを周囲に感じながらも孤独な学生生活をずっと過ごしていました。

学校に通いながらも、一日の内で言葉を発したのは学食で「カレー」と注文するときぐらい、たまに実習などで友人と再会したら、嬉しくて、だけどその日授業が終わって友人と別れた後は、寂しくて飯も喉を通らないほどでした。

こんな生活が2年続いてなんか自分でも性格が変わった感じにもなって、両親に八つ当たりもしました。だけど4年生で卒業研究が始まってからはグループで活動するようになり、過去2年間の孤独感はウソのように消え去りました。だから孤立が続くことは絶対上手くいかないと実感しました。

それでも「意味なく群れるよりも、意思ある孤立を」のキャッチに惹かれるのはなぜ?

きっと自分は周囲に流され易い性格だから。

やっといいアイデア思いついたところで、ヘタに誰かにそれを喋ってネガティブな反応されたら、いいはずだった自分のアイデアがポシャる。自分の創造力を試したいときだけは孤立していた方が思い通りの方向へ持って行き易い。たぶんこれが私を独りの世界へ掻き立てる理由ではないかと考えています。

なので「意志ある孤立」はフルタイムではなくて、ときどきです。

話しは戻って、定年退職後に"孤独の美学”に励む人が多く見受けられる(ように思う)こと

私は52歳で会社生活を離れました。確かそのとき、しばらく独りになりたいと思ったような記憶があります。もう会社に疲れちゃったから、とにかく浮世を離れて自由になりたいから、放っといてくれよ!、しばらくだけでいいからさ、みたいな事を思った記憶があります。

それで自室に篭ってパソコンに向かう日が続きました。

しかし半年ぐらい経つと、あの上述した学生時代の一日で「カレー」と学食で注文するしか声を出さなかった悪い記憶が蘇り、これではマズいとボランティア活動に参加しました。私はこれでもしかしたら救われたと思います。独りの孤立する時間と、仲間と過ごす時間を両方持てて幸いです。どう幸いかといえばストレスがあまり無いという幸いです。独り孤独の上述学生時代に感じた悪いストレスと、他人に囲まれてばかりの会社生活の疲れ感が両方ともちょうどよく中和されて、今の私にこれといって胃の痛くなるようなストレスはありません。

きっと、おそらく定年退職で会社を退いた人は、しばらくのんびり過ごしたいと考えている方々が多いでしょう。実際に退職後に独りの世界に身を置くことは難しくありません。それに最初の頃はその独りきりの生活が楽しくてハマる感じがします。だけど孤立に違和感を持ち始めるときが来ます。そのときに「意味のない群れ」にもしかしたら捕まるかもしれないのです。

どういうのが意味のない群れなのか?

ある人には意味があっても、別の人には意味ない群れになる、たぶん世の中の集まり、活動という群れで居たり動いたりするものは、そういうものだと思います。

どう判断するかは「なりたい自分を、その方向に誘う群れかどうか」ということにかかっていると思います。それに合った群れなら意味のある群れになるけど、それに反していたら、または「なりたい自分」をまったく考えもしないで入っていった群れだったとしたら、きっとそれは意味のない群れになってしまうでしょう。

ただ、人はそんな具合に割り切って行動できるもんでもありません

勘違いした孤高の美学に苦しむよりも、意味のない群れに加わって刹那的な快楽を楽しんで一日を終える方がマシなのではないか?という気もします。

定年後っていう世界は、一筋縄では行かないです。

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