ふつうになりたい、でも同じくらい変でいたい
ふつうになりたいとずっと思っていた。ふつうっていうのは今の世の中だと「平均的であること」とはなんだか少し違う。ふつうの質は高い。社会的な人間という生物としての理想である。
そういうのとは縁遠い人生を送ってきた。わたしは天邪鬼で、他者が知っていることを知らず、皆があまり知らないことばかり知っている。それは私の興味関心がそういうものにばかり向いてきたからで、横道に逸れているのを楽しむたちだからで、好きなものたちが社会において「実用的でないから」である。
ふつうになれたら、と思うことも多かった。特に若い時は。皆が興味あることに興味を持てたら良かったのだけど、逆に同じくらいそんなものに興味を持ってたまるかという気持ちがあった。どうにも相反するものを持っていたのでメンタルも落ち着かなかった気がする。なんだか自分だけ大人になりきれていないような気がずっとしていた。それは今もだけれど。
最近はどうか。近頃は割と全てがどうでも良くなっている。自分を許すということができてきているので、どんな状態でもこだわらなくてよくなってきている。自分のことを嫌いになったり責めたりしないので、何か起きてもまあこんなものか、で済むようになった。
多少変でもいいかと思えるようになったことは大きい。自己紹介の場面でもまあこういう人間なんでと開き直っているので、そういう扱いをしてもらえて楽だ。わたしの側も相手の様子をこういう人なんだなとそのまま受け取れ、他者にも寛容になれる。
そのまんまで生きることは結構難しい。でも最近では環境を整えられたら結構容易にできるようになってきているんじゃないかと思う。