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それが美しいものだと知っていても

人生で恋愛の優先順位が高かったことがあまりなく、創作物において恋愛のことを放出してこなかった。恋愛は超個人的なもので、人それぞれ差異がありすぎ、統一した規格を設けようと努力している人々もいるが、個々で見ていくと全く当てはまらないことも多々ある。規格が自由すぎるので特に書くこともなかったが、自分を振り返るために傾向を書いてみようと思う。

私は恋愛をする時、長く恋愛をすることが多い。大体ひとりあたり4年以上は付き合う。時間の感覚が人とずれているからというのもあるけれど、相手のことを「恋愛をするための相手」ではなく「人間同士の付き合い」として見ていると最近気づいた。

もちろん相手を好きだし愛しているけど、できるだけ親友のように、一緒にいてお互い楽しいように過ごしたいのだ。相手にももちろん気兼ねしてほしくない。基本的に私のベースの性格が加点法なので、割となんでも面白がれるというのも根底にあるのかもしれない。相手のことが好きなら体毛まで愛でるタイプ。

長く続けられない人間関係なら、最初から育まないと思っている節があり、友人付き合いも恋愛も毎度かなり長くなりがちである。あと、こんな文を書くような人間であるから、会話のテンポが合っている人というのは貴重なので、毎回そういう人とお付き合いをしている。

ついでに結婚への憧れもない。家族仲がそこそこいい割に放任主義で、親戚の仲が悪いので、家族の存在には満足しており、親戚を増やすのに辟易しているのと、あまりにも自由すぎる生活をしているので(フリーランスな上にやってみたいことは何でもしてしまうし、いきなり三日間寝続けたりとかする。)自分の面倒をしっかり見たいという精神からである。

まるで放し飼いのような家族関係と、面倒くさがりで楽観的な性格、仲良い人とはずっと関係を続けるタイプなのが合わさって、このような恋愛観が構築されている。要するに、お付き合いしている人は最大手の親友であり、大好きな人である。

普段の暮らしにその人がいると嬉しいなという感じでやっているので、一緒に住むことも多い。(というか過去全員一緒に住んでいる期間がある)支え合うよりも声を掛け合って並走したい、そんな風に思っているのだなと今回書いてみて気づいた。


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