「事故」から人生が変わる
こんにちは。事故といっても交通事故や人身事故ではないです。自分の予想や理想と違ったことになってしまうことを指しています。失敗ともいえると思います。今日は、自分の失敗から気付き、学び、再生に向けての過程がこの年度末・年度初めの数週間あったので、それについて記述したいと思います。
前回の投稿が「飽き」についてでした。なぜ飽きるのか? 毎日の生活で同じことが繰り返され、刺激がない、学びがない、成長がない日々だからだったと思います。確かに、前年度を振り返ると何か自分に課題意識や目標や理想というよりは、ただ毎日を消化していくという生き方になってしまっていたように思います。部活動だけは理想があり、それに向けて試行錯誤していましたが。それ以外の領域では、こなしていくだけで精一杯だったように思います。
この年度末は、新年度を迎えるにあたり「どうしていきたいか」ということに向き合った年度末・はじめでした。目の前の仕事に向き合ったとき、自分が今までやってきてそれでよしとしていたことが全然意味をなしていなかったことに気付いたのです。というのも、僕の仕事はそもそも「理想や目的」があって、「手段」があって、「実行」「評価」があって…という流れではじめて機能するのですが、そもそも「目的」というものがあいまいで、だから手段や実行の評価もできないし、次につながらない… そんなことになっていました。今こうやって書いていたら当たり前のように思えますが、まったく思いもしなかったことだったのです。そのため、僕には昨年1年間の取り組みがどうよく、ダメだったのかを言えなかったのです。
「目的」を見ようとしたら、構造が見え、戦略を工夫しようとし、努力しようという様々な世界が広がったように思います。まだまだ知りたいこと、学びたいことが無数にあるし、やりたいこともたくさん生じてきました。自分の仕事が甘かったことにも腹立たしいし、恥ずかしくもあるし、情けなくもありますが、それを受け入れるところから始め、現在地から前を向いてひとつひとつこつこつ努力していきたいと思います。そして、自分にはできることは限られています。自分のできることに目を向け、手段を考え、ひとつひとつ実行していくことが大事で、人と比べることに何の生産性もありません。
ウェルビーイングという言葉を昨年知りました。自分のあるがままを受け入れる考え方がとても好きです。自分の良さや欠点と思われるところも、受け入れることが大事だし、それと同時に他者の凸凹も受け入れることが大事だし、それがとても自然なことだなと思います。日本は偏差値とかを考えることが主流ですが、そもそも必要はないと思います。自分の現在地と、到達したい目的地があって、それに向かって自分なりに歩んでいくしかないと思います。目的地を描けたらそれは素晴らしいことだし、そのための手段を見つけられたことも素晴らしいし、それに向かって歩み始め、実行できたなら必ず成長もあるし、とても素晴らしいことだと思います。そんな自分なりの歩みを褒めながら生きていきたいですし、他者の歩みも応援していけたらと思います。
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