干渉しない。でも、向き合い続ける。
学級担任時代、暴力や人権侵害を除いて、子どもの人間関係やトラブルに深く関与しないスタンスでした。
小学生でよくある「◯◯さんが〜〜しました」みたいな言いつけに対しては「あらまあ」か「なんとかしてください」と答えます。
親や教師がすぐに対応するのが当たり前だった子たちは「え?」という反応をします。中には「先生は話を聞いてくれない」と親に訴える子もいます。
そのようなスタンスを取るのは、子どもたちの力を信じていることと、子どもの自立を目指しているため。教師や大人が干渉し続ければ、子どもたちはそれに甘えます。「おなかすいた」と訴えたらご飯が出てくるなんてことは、大人になればあり得ないのです。
僕は集団に語りかけ、見守り、変化を待つだけ。
すると、僕のスタンスを理解する子もあらわれます。
「どうせおに先生に言ったって『なんとかしてください』しか言わないでしょ」と言うのです。それくらいの発言が出てくる頃には、子どもたちは自分たちで問題解決をすることができています。
とはいえ、中には自分で解決できないことを抱えている子もいます。担任の僕とつながりを持っておきたい子もいます。僕と話をしたい子もいます。そんな子たちのために「振り返りジャーナル」をしていました。
一行だけ書く子もいれば、放課後残ってたくさん書く子も。普段、子どもたちに干渉しない僕ですが、ノートに書かれた子どもたちの言葉には、向き合い続けました。何度も何度も、子どもたちの素直な言葉に心を動かされました。
本当は子どもたち関わるのが好きだし、向き合おうという気持ちがあったのかもしれません。ただどうしても、日中は一人ひとりと向き合うことができないし、向き合いすぎると過干渉になることがわかっていたので、ノートのやり取りは僕に合っていました。
そんな経験が今、教室に入れない子たちに関わる上で、生きているのかもしれません。つかず離れず。「ま、よかよ」ってスタンス。子どもが必要とすれば、とことん向き合う。役割や関わる子どもは変わっても、僕自身はあまり変わってないのかもしれません。