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ジロー

ぼくは柴犬を飼っている。
名前はジロー。じつはこの名前には理由がある。
実は数年前まで実家で飼っていた柴犬の2代目(血の繋がりはない)ということで、ジローという名前にした。

実家で飼っていた柴犬はチョロという。
ぼくが中学くらいのとき妹が飼いたいといって、父が連れてきた柴犬それがチョロだった。名前は色々考えたが、弟が「チョロチョロしてるからチョロでいいんじゃない」ということで満了一致でチョロという名前になった。
チョロはイタズラや脱走はするものの、おとなしい犬だった。芸の一つもできないバカ犬ではあったが、今思えばそこまで手のかかる犬ではなかった。

しかし、ぼくたちも大きくなり両親が離婚、兄弟は皆それぞれで住むようになった。
親である妹も離れて住むことになり、チョロは誰もいない元実家にひとり残されてしまった。
ぼくは父と住んでいた。厳密には日中父親が僕の家に来てくれて、日が落ちると誰もいない実家にかえっていく、そんな生活だった。
そんな父も僕の家の隣に住所を移し、ついにチョロはひとりになった。
親である妹はどこにいるかわからないので、かわいそうなので僕が引き取り世話することになった。
チョロはもうだいぶ老犬だったが、年の割にはげんきであった。散歩の時間キッカリになると吠えるし、アラームいらずである。
脱走はやはり何度もしたが、みんなチョロが大好きだった。押し付けられた形になった世話も苦ではなかった。
しかし日に日にご飯もたべなくなり、毎日の散歩の途中で倒れることが目立つようになった。だいぶ弱っているのを感じた。
動物病院に連れて行くと、診断結果はガンであった。
ガンだと兄弟のグループラインで共有した。
年もだいぶとっており、そのとき15~6才。
老犬だ。父はもうどのみち長くないし、いいんじゃないかと言うが、妹は治療したいという。がんの治療もけして安くはないし、治ったところで寿命も近かった。
その際はぼくにラインできつく妹にあたってしまった。「世話してるのも、治療のお金出すのもぼくなんやで」と、今思うと最低な兄だった思う。
そういって治療は流れてしまい、瀕死のチョロを箱の中に入れて世話をし、僕の部屋で数日世話をした。ご飯も食べない、嘔吐下痢を繰り返し、息も苦しそうだった。
ぼくはなんどもさすってやった。
そしてある日、チョロは動かなくなった。
最後の世話ができたぼくは、幸せだったのかでも同時にチョロの最期を見るのはとてもつらいものであった。
いつも寝ている感じでチョロは、息を引き取った。
最後は母親以外の家族みんな集まって、チョロを毛布にくるんで庭に埋め、お葬式をした。それぞれで暮らしているみんなで集まるのは久しぶりで、チョロがみんなを集めてくれたんだと思う。

そんなみんなが大好きだったチョロの面影を感じたのが、今のジローである。
6ヶ月の頃に飼うことになった。
チョロはメスだったがジローはオスである。
どちらも同じ柴犬だが、
ジローは大きくなるに連れて、やはりオスっぽい顔つきになってきた。
人見知りで臆病、それゆえによく吠えるし時々噛みつく。だからぼく以外の家族にはなつきにくくよく思われていないが、ぼくはジローが大好きだ。

…そう思うと、今亡きチョロはけっこう肝が座ってたんだなと思う。

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