2022.01.05 「出会いのない音楽」+今日のおすすめボカロ曲


失くした君への愛を認める過程を、夜へと向かう夕陽に重ねて歌う。「綺麗でさ 綺麗でさ」と繰り返すさまがエモ。メロディーラインがおしゃれすぎてびびる。特にラスサビの一回し目の最後、とても好き。

歌い出しから声がよすぎてひっくりかえった。どんなボカロの声も大好きだけれど、その中でも鏡音リンの歌声は「マジで良い声だな…」って思う機会が多い。心に触れさせないほどに冷静に奏でられる音楽なのにも関わらず、内側の熱の存在が嫌というほど伝わってくる。

ボカロリスナーこういうの好きな人多いと思う、届いてほしい。私も好き。即興演奏のような空気感を持った、ピアノ一本+初音ミクのシンプルな音楽。きゅるきゅるしたノイジーな歌声が"生"感になっていて、空間録音されたピアノと合わせて怖いくらいに純粋な印象。とても好き。この初音ミク、普通の子じゃないと思うんだけど何だろう…ポケットミクとかに近い発音に聞こえる…。


●日記

・全曲チェックという行為について考えていた。

・ニコニコ動画に投稿される合成音声オリジナル楽曲は1日に50作ほど。これをすべて聴く、という行為をしている人が世の中にはまあまあの人数いて、私御丹宮くるみも去年の夏ごろから全曲チェックをしている。ちなみに2007年当初から今にかけてずっと全曲チェックを続けている人もいる。気が狂っている。


・で、これは自分にとって全曲チェックってこうだなあというだけの話で、皆がどうって話じゃないことを前提と思ってほしいんだけど。全曲チェック、全然真摯じゃないなと最近よく思う。音楽に対して。


・「出会い」が削られている。音楽を構成する要素って音そのもの、歌詞のメッセージ、そういうものも当然強いのだけれど「誰に教えてもらった」「こういう心情のときに出会った」「聴くとこんな思い出がよみがえる」みたいなものがあると思う。機械的に毎日上から全部を聴く行為は、この部分を削いでしまう。それが最近すごく気になっている。むしろ、音楽という存在そのものをピュアにみられているという意味では真摯なのかもしれない。けれど、なんか……なんか足りないな、と思う。

・全曲チェック→気になった曲をマイリストに入れる の作業は、「出会い」ではなく「手動レコメンド」なのかもしれない。YouTubeのTOPを開いたらオススメ動画が出てくる、そのオススメの部分を自分の手と耳で作り出している。その後、リストの中から出会いなおす必要がある。この、出会いなおしの部分が最近自分は全然出来ていない。それって曲数を何曲聴いたとしたって、1曲も聴いてないのと同じではないのか。


・自分の全曲チェックは、ムカつきが原動力になっている。なめられたくなさ。怒り。そういう負の感情からきている行動だ。ボカロPに「でも俺の曲聴いてないでしょ?」って言わせないための行動でしかない。ひどく軽薄。この軽薄な行動を自分にとって「音楽を聴いている」だとするのがどんどんつらくなってきている。

・全曲チェックを辞めるっていう話ではなく、自分にとってこれが「音楽を聴いている」ではないということを自覚して、今年はちゃんと音楽を聴くをやらねばならないな、と思った、そんな話です。

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