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定期的に死にたくなる男の生死感 -布施の実践-

こんにちは。oniiです。

私は小学2年生の頃から、
猛烈に生きることが不安になって
「死んでしまいたい」と思うことが続いています。

なんでまだ生きてるのかといえば、
それを凌駕する楽しいこと、
幸せなことに支えられているから
なんとか生きながらえています。

しかし、
衝動的に死のうとしたこともあります。
その話はまた別でしたいですね。
センシティブでおもーい内容なので 笑


そんなわけで、今日は私の生死感として
『何のために生まれて、何をして喜ぶ』について。

タイトルにもありますが、

-他者に対して施すこと(布施の実践)-

を答えの一つとしています。

しっかり仏教に被れてるんですが、
私は仏教徒ではありません。
ただ、自己啓発の過程で得た知識で、
自分の中で腑に落ちて
素敵だなぁと思ったものなので。


「何のために生まれて、何をして喜ぶ」
これ、ある程度の年齢以下の日本人なら
ほとんどの人がピンとくるフレーズだと思います。

『アンパンマンマーチ』ですね。
やなせたかし氏作詞。
私今年で30歳になったのですが、
我々世代以下の方はだいたい
アンパンマンに育てられたんじゃないかと
思ってます。

この歌詞、
これから言葉を習得していく
可愛い幼児に向けられたものとは思えないほど、
深い内容ですよね。

そしてこの言葉をかけられ続けて育った子どもは、
その後の人生で
この問いかけに苦しめられるのです。

ナンノタメニウマレテナニヲシテヨロコブ…
わかんないよつらいよ🥺

ふとした瞬間に寂しい思いをすると、
わからないまま終わりそうで
どうしていいかわからず
消えて無くなってしまいたい…
と思うのです。

ただここ最近、
この問いかけに対して答えになりそうで
自分もちょっと楽になれたものを見つけました。
それが
「布施の実践」
という考え方です。

もーっと突き詰めて考えてしまうと、

そもそも何にも意味なんてねーよ😛

何のために生まれるかなんて
考えるだけ無駄だよ😜

という答えに至ってしまいます。
実際そうらしいです。

でも生きています。
考えてしまいます。
とても苦しいです。

だから自分は意味付けしないと
潰れて砕けて蕩けて無くなってしまう…

そこで、

何のために生まれて
→誰か・何かに施すため

何をして喜ぶ
→誰か・何かに施して喜ぶ

というふうにすると、
ちょっと楽しくなりました。


そういえば、誰かのために何かをするときって
楽しいんですよね。

先日、老人ホームに入居している祖父に
登山のときに撮った写真を送ろうと思い、
コンビニで現像してきました。
楽しかったです。

なんなら、
自分がする仕事は社会のためになっている
と思って仕事に臨むだけでも、
かなりモチベ↑↑です。

これを布施の実践とするなら、
自分が生きる意味は
「布施の実践」
と定義して、
幸せを感じながらこの生に甘んじよう。

と思うのです。


長文をバーっと書いているときの
私のメンタルって
だいたい不安定なんですよねww

自分の中で
「明日も誰かに施そう」
と言い聞かせて、
楽しく幸せに生きたいものです。

もしも、もしもね。
死にてぇわーって思ってる人が
この文章に巡り合って
最後まで読んでくれたのなら。
あなたの顔も名前も存在も
私は認識できないけれど、
私とここで関わりを持った人が
ポッといなくなってしまうのは
悲しいです。

自分は死にてーと思ってるのに、
相手には死んでほしくないです🥺
とかいうの、酷いですねww

モヤモヤしながらも、
気持ちが楽になるコトバを
思い出しながら、
一緒に生きていきましょう。




ちなみに。

アンパンマン、
やたら顔ちぎって人に配りますよね。

布施、実践してやがる。
尊敬しかねーわ。

onii

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