雨の日に思い出すこと
「催花雨」という言葉を教えてもらった。
さいかう、と読むらしい。
春、花の咲くのをせきたてる雨という意味で、日本人の感性は素晴らしいなと感心する。
翠雨、若葉雨、白雨…雨を表すたくさんの古い言葉。どれも想像するだけで神々しい。雨は恵みで、美しいものだと考えた時代があったんだとわかる。
一方で現代の雨は嫌われ者。雨降りは履く靴を選ぶ。電車が来なくてそわそわする。訳もなく気分が重い。現代人にはもう雨の情緒は不要なんだろうな。
とまぁ、大体そんなどうでもいいことを考えている間に最寄り駅。
まっすぐ家に向かう人、コンビニに寄る人、携帯で話す人、同じ駅で降りた知らない人たちが散り散りになるのを尻目に、畳んだ傘をブンブンと振り回しながら家路に着く。
補修の浅いアスファルトに、足跡ほどの水たまりがちらほら。いつもの角を曲がると黒い猫が一匹、闇夜に紛れて小さくうずくまっていた。ドッキリして傘を落としたが、猫は逃げなかった。薄暗い街灯が続く道の向こうをじっと見つめている。猫の見ている方へ向き直り、進路を背にして歩いてみる。
後ろ向きに歩き出して水たまりを踏んずけた。水の跳ねる音がすると、猫は逃げていった。
走る猫を見て唐突に、遣らずの雨を思い出す。遣らずの雨とは、訪ねてきた人が帰るのを引き止めるかのように降り出す雨。
雨が降ってほしいと願った逢瀬なんかあっただろうか。ただ、雨の日は、駅を降りるといつも私を待つ車が一台、降る雨を喜んでいるかのような愉快なBGMで迎えてくれた。もうあれから何年経つだろう。
鼻で笑って傘をさす。あの大きい水たまりがあるのがウチだ。
猫はもういない。
Butter Toast#2「雨。」
https://www.youtube.com/watch?v=7M0Jg4JcXqU&t=95s
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