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明けない夜はない

-プロローグ

信じることがすべて 明けない夜はないよ
信じることがすべて Love so sweet
嵐「Love so sweet」より

当時好きになった嵐の楽曲のひとつに「明けない夜はない」と二重否定して「必ず夜は明ける」と言っていた。

だが、当時の俺は「明ける夜なんかない」と、むしろ、ずっと真夜中のままだと思っていた。

誕生日前日、当日と連続でキレてしまった俺。

当然周りはお祝いすることも無く、いつの間にか声をかけてくることも無くなった。

凄く虚しく、孤独を感じてしまっていた…

-中学校2年生(続)

キレてしまった翌日、俺は新潟にいた。気分転換をするために行くことにした。

そこで見た「旅猫リポート」は今でも忘れられない。映画を見て初めて感動し、涙が出たのだ。俺もクラス内にこんな友達がいたらな…と思ってしまったのだ。

翌週、俺はとにかく静かに過ごしていた。周りもほとんど無視。声をかけてくれなかったのである。その翌週、辛かった俺はあるクラスメートに声をかけ、話すことにした。久々に話すことができてホッとした。また、他のクラスにいた友達にも積極的に話しかけて、今のクラスのことを思い出さないようにしていた。

だが、苦しい思いはずっと引きずったままだった。

その影響がバレーにも出てしまっていた。それはいじりを始めた生徒がいたからである。

本来、バレーは「6人で」戦わないと勝てないスポーツだ。だが、俺はそいつの影響もあって「1人で」戦っているような感じになっていた。

俺は真剣にやりたかった。けど、後輩たちはそいつの方を慕っていたような気がした。「俺には仲間がいないのか…」そんなことを思ってしまったのだ。

2度目の挫折だった。まさか学校でも部活でもここまでどん底な気分を味わうとは思ってもいなかったのである。これを機に「高校ではバレーはしないでいいや」と思い始め、島外の高校を進学先に考え始めていたのであった。

そんな中、三学期にクラスの雰囲気が少し変わった気がしていた。いじられることがほぼなかったのである。さっさとこのクラスから抜け出したいと思っていたから、当時はあまり気にする事は無かった。

そんな苦しく、辛い日々を過ごした2年生だった。

2年生の終盤になり、修学旅行の計画を始まった。そこで俺は嫌な人達から逃れることが出来た。自由行動になっていたけど、嫌な思いさえしなきゃどこでもいいや、とにかく行けたらいいや、そんな思いでいた。

そんな計画をしてる中、俺は3年生に上がった。

-中学校3年生(春夏)

毎年恒例のクラス替えが発表された。嫌な人達から離れることができ、仲良かったクラスメートや友達と同じクラスになることが出来た。

ようやく学校が楽しいものになっていった。

そんな中、迎えた修学旅行。行先は東京だった。座席やグループも自分たちで決めることが出来たので、仲の良かった人たちを巻き込んでみんなで近くに座ろう。と思いながら席やグループを決めれた。

グループで行くことになったディズニーシー。本当に楽しかった。途中はぐれて「あ、これやばいかも」とか思っていたが、何とか再会でき、みんなで色んなアトラクションに乗り、ご飯を食べた。ハイテンションすぎて馬鹿みたいに騒いだのは今となっていい思い出だ。

3日目には、俺の行動が俺の親友によってすべらない話になった。親友の視点から話をしてみよう。

帰りの新幹線のことなんだけど、弁当食べることになってたじゃん。んでさ、七海、いつも給食食べるのバカ早いのよ。今日の弁当は勝ちたいなと思って。それでめっちゃ早く食べたのよ。「あ、これは勝てたな!」と思って七海の方見たら、弁当閉じて窓の外眺めてた。(クラスメート大爆笑)

そう、その時俺は弁当をすぐに食べ終えていた。何故なら、小学校の時から思い出に残っていた新幹線に乗るのがこれが最後だと思っていたからだ。幼い記憶が未だ残っていたのであった。

それゆえ、長い時間移りゆく景色を楽しみたい、と思っていたので、弁当なんか食ってる暇ないやと考え、早く食べ終えたのである。まさかすべらない話になるとは思ってなかった。

また、給食でも記録と記憶を残した。当時の給食で「牛乳プリン」という、真っ白なプリンがデザートで出てきた。クラスメートはこれをあまり好んで食べていなかった。だが、俺はこの味がめっちゃ好きで「もったいないから俺食べるわ」と言ったのだ。

そしたら食べないクラスメートの分まで持ってきたのだ。結果として13か14個くらい食べたのだ。その日から牛乳プリンが出た時は必ずと言っていいほど俺にまわってくることになった。

そんな楽しいクラスで過ごしていた俺。バレーでも中学の集大成を迎えることになる。

結果は3位。県大会に出場することなく引退を迎えた。俺はほとんど活躍することは無かったけど、最後の試合はちゃんと楽しんでやることが出来た。そして、これでバレーは終わろう、そんなことを思っていた。

迎えた夏休み。俺は体育祭の応援団幹部になった。幹部はみんな仲が良く、とても協力しながら計画することが出来た。俺の好きな嵐の曲も入れて貰えたし、これはやるしかないと思いながら計画していた。

また、家族旅行にも出かけた。行先は長野県。当時、俺は戦国武将が好きで、大河ドラマ「真田丸」の影響もあり、上田に行きたい!と言っていた。家族もそこへ行くことを了承し、連れていってもらった。すごく楽しかった。今でもあそこで見た景色は忘れられないものになっている。

夏も明け、迎えた中学最後の体育祭。全部全力でやった。その裏で後輩に対しての声がけを忘れずにし続けた。その結果応援賞を獲得。最後には団長を胴上げして最後の体育祭が幕を閉じた。その後みんなでご飯にも行き、幹部として最高の思い出を残すことが出来た。

その後迎えた高校体験入学。俺は佐渡高校へ行った。緊張する中で社会の体験授業を受けたが、思った以上に楽しく、これは面白いと思った。また、その後部活にも参加させてもらった。事前に高校に行っていた先輩に連絡をとって一緒にやりたいと伝え、先生に交渉してくれた。OKが出たので一緒にやることに。

久々にバレーをした俺は本当に充実した気持ちでいっぱいだった。でもその一方で、レベルが違いすぎる…と思っていた。この1日を通して、バレーをするか凄く迷うようになった。俺はバレーを全力でするためにこの高校に入学するか、それとも勉強を全力でするために島外の高校に行くか凄く悩んでいた。

-エピローグ

3年生になってようやく夜が明け、朝が来たような気がした。「明けない夜はない」その言葉の通りになったのだ。

仲間がいる、話せる友達がいる、それだけで凄い幸せなことなんだと感じていた。だからこそ多くの人と人脈を築いて行こう、そんなことを思ったのもこの時期だった。

ようやく希望の光、朝の光が見えた俺。

だが、この後、俺の運命の歯車が回り出す出来事に会うとはまだ知らなかったのである…

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