%膿まない洗濯

結婚したと告げたら次に注がれる言葉は決まっている。


人によっては不妊だったり、流産を繰り返していたり、レスだったり。わたしの友人も悩んでいた。だから私は人には聞かないようにしている。

我が家は選択子なし。
だからとて上記を問われたところで気を悪くはしないけれど


当然産む物だと思っていた。小学校3年生くらいまでは。
往々にして子供というのは己の親が模範となり基本形となる。
我が母親はどうか、自分という存在がいる。「大人になったら子供を産む」それが当たり前だと思っていた。欲しいとか欲しくないとか、産むとか産まないとか、そうではなくて。
叔母には子がいなかった。子供ながらに、不思議だなと思った。


小学校中学年にもなれば、将来子供を産んだらこんな名前をつける、女の子だったらこんな服を着せる、という話に花が咲く。私も例外ではなかった。


保育園の頃にはすでに母親のことが大嫌いだったので、祖母に対し「さゆちゃん絶対お母さんのお葬式してあげないからね」とよく口にした。

正しい子育ては見たことがなかった。
側近で"子育て"の真似事をしている人にはいつだって暴力と人格否定を持ち合わせていたし、正しい"子育て"は見たこともない、してもらったこともなかった。

小学校も高学年になれば、子供が嫌いになった。自分はこんなに毎日殴られて死ねと言われて生きているのに、不自由なく無垢に育つ子供という対象が憎かった。
その子たちだってそれぞれあっただろうし、外野が幸せだと決めつけていいものではないけれど。歪んでいた。

中学生になる頃には、自分はひどく醜く悍ましい存在なのだと認識した。せざるを得なかった。そう言われて育てられたから。
お前のようなみっともない人間はどこ探してもいない、そう毎日唱えられているうちに、それは自己認識として備わった。

子を産むこと、それは自分の遺伝子を半分残すこと。
学校で習った。なんて怖いことなんだろうと思った。
私のような劣悪で陰惨な遺伝子を後世に残すこと、それを正解と思えなかった。

私にはたくさんのコンプレックスがあったし、それを遺伝子として私に宿した両親は数えきれないくらい憎んだ。こんな姿で産まないでほしかった。

10代は辛いことが多かった。母親と暮らしていたから。
幼ながらに「こんなに辛い世界に自分のエゴで子供産むってそれこそ虐待なんじゃないか」と己に問うた。将来子供を産むことはやめよう、固く誓った。


高校生にもなれば先輩や、早い子では同級生が出産をする。出産が身近になる。
「子供=可愛い」という方程式が理解できなかったし、顔の可愛い子しか愛でられなかった。他人の子供の何が可愛いの?
「冷たい」と言われた。そうだと思う。「好きな人と結婚したら欲しくなるよ」それはない、と言い切った。


20代半ばになり、両親からある程度恵まれた遺伝子を受け継いでいると気づいた。教えてくれたのは幼馴染だけど。
髪質は昔から良かったし、比較的骨格には恵まれた。まつ毛はとても長い。
だけど、スキンケアをせずとも肌が綺麗なあの子、幼少期から美女なあの子、自分より背の高いあの子、持たざる者は持つ者に羨望の眼差しを向ける。

お金持ちが羨ましかった。
なぜうちはそうではないのだろうと思う。
なぜうちは、なぜうちは、
そんなふうに考えていればすぐに夜が明ける。
なんで生まされたんだろう、と考える。


大好きな親友は言う、「自分の体からでてきたのに自分と違う意思持ってるの怖くない?」
そのときは大爆笑したけれど、そんな彼女を"斜に構えた、"などと形容するのは容易い。

結婚するにあたって1番の条件は「子供を産まなくていいこと」だった。産むくらいならずっと孤独に暮らしたい。
思惑の傍ら、想像した未来の自分は子供を殴っていたし酷い言葉を浴びせていた。自分の母親と同じ。
そんな未来を歓迎できなかった。

だって私の外見は、中身は、こうなのに
どうして普通の子供が産まれると思うの?

両親そして子、揃ってブサイクな家族を見るたびに「なんで子供産もうと思ったんだろう」と思う。スタイルの悪い両親から生まれた子供は悲惨だ。貧乏な家に産まれて気の毒だ。
少なくともそう、こんな考えをしている私よりは幸せ。

ブサイクを産んでしまうのも、ブサイクを産んで自分の子可愛さで「可愛い子」と勘違いしてしまうのもなお怖い。


学生の頃からバイトに明け暮れていたけれど、就職してより自分のお金で生きることを実感した。
本当に幸せだった。
親に依らない生活は幸せだった。

若くして出産し貧困に喘ぐ人を、ちょっとだけ可哀想だと思った。

子育てする友達の話を聞き、自己犠牲してまで子供は欲しくないなと思った。
私は自分のことが一番大事だから、自分の好きなように生きられない人生は。「無理だ。」
食べたいものを食べて好きなときに眠り、自分のためだけにお金を使いいつだって高いヒールの素敵な靴を履いていたい。

就職して以来お金に困ったことはない。
だけど、それは一人暮らしだったからかもしれないし、二人暮らしだからかもしれない。
この先も満足する収入が得られる保証はない
お金に関して苦労を強いる対象は?決まっている。

問われればおちゃらけて「だって妊娠したら足場登れないじゃん!」と言う
仲の良い人には「ブサイク生まれたら愛せないもん」と言う
「育てる自信ない」「正しい子育て見たことない」「自分の遺伝子残したくない」「わたしから生まれたらかわいそうだ」
頭で反芻する言葉たちは全てが本心

父に孫が見たいと言われるたびに聞こえないふりをする。申し訳ないけどそれが親孝行だよ、だって醜い孫を見たくないじゃない?

夫に問うたことがある。お金が莫大にあったとしたら子供が欲しいか?
答えはYESだった。
その日の夜はこっそり一人で泣いた。

私は経験則でしか物事をはかれない。
ブサイクと貧乏が子を産むことは虐待だ。
私は経験則でしか物事をはかれない。


恐怖に打ち勝てないから産まない選択をする。ただそれだけの話。


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