%俺と借金
センシティブなネタなので有料にしようかと思いましたが、こんなしょーもないnoteでお金いただくわけにもいかないのでやめました。そのかわり詳細は省いています!
人生愛かお金か、なんてよく聞く言葉ではあるけど、お金がないと生きていけない。
貧乏でも美しく幸せに暮らす術はいくらでもある。それでもやっぱり、お金の余裕は心の余裕だなと思わざるを得ない場面など死ぬほど見てきた。
わたしは育ちも悪く実家が貧乏だった。上京してからの学生時代も仕送りはもらえなかったし、子供の頃はお小遣いももらえなかった。中学生の頃からバイトして携帯代も払っていた。自分の金は自分で働いて得る、が当たり前だと思っていた。
19の年から一人暮らしをしている。学生時代の時給800円のバイトでは限界があった。お金がない。
人はそんなときどうするか、
・仕事を増やす
・借りる
不用品を売るとか、悪策を弄するとかはまた別の話。
仕事を増やすに関して、本業は学生だったから時間的に無理だった。そもそもが無遅刻無欠席+課題全提出+バイト月140時間という今考えたら「お前真面目だな?」って感じの生活を送っていた。
借りるに関して。結果としてわたしは両親に頼んで借りたことがある。親子であってもうやむやにはしたくなかったため、子供ながらに「返済期限」と「利息」を設けた。
借りるに関して。友人。
借りるに関して。勤務先。
借りるに関して。消費者金融。
そういった選択肢がなかったのは、ある意味で幸福なことだった。
時を経て社会人になった。
「今大きいのしかないから立て替えといてくれる?」「今日財布忘れちゃったから1000円貸して」生活していればよくあること。
言う側も言われる側も経験した。
「金を貸すときはあげたつもりで」という言葉を初めて知ったときはとても衝撃的だった。
『お金借りて返さない人なんているの?』
『なんで貸してる側が下手に出る必要があるの?』
若かった。自分がもし人からお金を借りたら、返さないなんて選択肢がない。想像がつかなかった。
若かった。
あるとき5000円立て替えた。
「次会うとき返すから!」
返ってこなかった。
わたしにとっては5000円は大金、だけど相手にとっての5000円は大金ではなかった。それだけのこと。
5000円を失うことよりも、その友達と気まずくなることの方が怖かった。
26歳で初めて「借りたことを忘れてしまう人」がいると知った。わたしは幼かった。
2018年のことはたぶんいつまでも忘れないと思う。
当時は地場地場の地場で営業兼事務をしていた。夏がきて暑かった。
"友人"から30万円の貸付を懇願された。
「今日30万ないと殺される」なんて笑いながら。
30万といえば当時のわたしの月収より高い金額。
年上、の、自分より高収入、の、社会的信用のない人、に、なけなしの大金を貸すことが果たして正解なのか判断はつかなかった。わたしは恐ろしくバカなので、単純に困っている"友人"を無碍にできなかった。
・返済計画を立てること
・金消契約書を交わすこと
上記を条件として貸すことにした。"友人"相手に30万でこれだけするくらいなら貸すなよ!といった具合だが、わたし自身も当時の自分の思考に関しては理解に苦しむ。信用してなかったけど、助けたかった。
彼女の勤務先(職場とは言わない)と自宅、友人関係は把握していた。
「これだけ身元知られてて」「"友達"からお金を借りて」飛ぶはずがない。そう思っていた。
最終的にわたしは自らの年収のおよそ1/4を貸した。半分は返ってこなかった。
何の因果か、その年の初冬に別の"友人"が財布を盗まれたと言って連絡をしてきた。7万貸した。返ってきたのは1,000円でも10円でもなく罵詈雑言だった。
たくさんの嘘をつかれた。"罪悪感なく"嘘をつける人がいると知った。「借りたお金は貸した人のお金」を理解できない人がいると知った。
『最終的に"お金を貸してくれた人"から"返せと催促してくる悪人"に変わることも知った。』
両者の親御さんにも連絡した。「貸したお前が悪い」と言われた。
親にもお金にも社会にも見捨てられたこの人たちのことを、少しだけかわいそうだと思った。
信じたくて猶予もたくさん与えた。約束も緩和した。いっぱいいっぱい考えて案も出した。
「優しすぎるから舐められるんたよ」「1回くらい怒りなよ」周りの人に何回も何回も言われた。
もちろん家賃も公共料金も税金も滞納している人たちだった。(貸すときには嘘つかれてたョ)
わたしは恐ろしくバカなので、わたしの返済よりもそちらの支払いを優先させた。
泣きながら説いた「滞納してる裏側には困っている人がいる」「あなたが支払うべきものを支払わずに保有しているお金はあなたのお金じゃない」「家賃だって携帯代だってその先にはそのお金で暮らしてる人がいる」なんて1ミリも伝わっていなかったのにね。
お金が返ってこないことよりも、嘘をつかれたこと、わたしとの関係よりもお金が大事だったこと、それが悲しかった。
"友人"と思っていたのは、わたしだけだったのかもしれないけど。
「普通だったら親に借りるでしょ」
「親がダメならサラ金」
「親もサラ金もダメな時点で察しないと」
その通りだった。わたしが仮に困っても、友人には借りないと思う。
「お金貸してなんて言ってくる時点であなたのこと友達だと思ってないんだよ」
思い出さない日を作るのにも時間がかかった。
「彼女たちに降り注ぐ予定だった幸せはわたしに訪れる」と考えるようにした。
不幸になってほしいわけじゃないけど。
彼女たちの消息は不明。同時期にわたし以外からもお金借りていたようなので。
コロナの渦中でも頼まれたら貸した。もう返ってくるとか返ってこないとか、どうでもよかった。
生活が苦しいから、そういってわたしから5万円受け取った"友人"のインスタには新調したネイルの写真が載っていた。
「"職場を持たない人たち"のだらしなさ」そうカテゴライズするのは容易い。
「適切な"友人“を持てない自身の愚かさ」
「幼かったわたしへの教鞭」
「お金に飲まれた、負けた、」
「人徳のない自分」
どれも誤りだしどれもが正解。
あの頃よりも年収は増えた。株の利益も悪くない。仕事も順調だし、幸いしてお金に困ったこともない。だけど貧乏だった頃の気持ちも鮮明に思い出せる。
悪事の代償は、必ずある。それが形を変えて、数年後だとしても。
「借りる側の人生じゃなくてよかった」
その学びに支払った代償は、大きかったのか小さかったのか、まだわからない。
※住宅ローン、奨学金、事業融資等は"質の良い借金"と捉えています。