今年はあらゆる出会いと丁寧に向き合おうかな

この文章は2019年の思いを表明してから上げるつもりだったものです。思いが止まらなかったので先にアップすることとしました。1月に読んだ本。飽き性のやるシリーズ1発目にありがちな不要な長さ


『シンセミア』 1/2 ~ 1/10

以前どこかで誰かが薦めているのを見てなんとなく気になっていたシリーズ。

昨年12月のボーナスでなにも買ってないことに気付き、値段を見ずに古本屋で10冊気になる本を買おう!という自分へのプレゼント企画をやった際(帰って数えなおしたら、ちゃっかり12冊買っていた)、猫の手書店に置いてあったから手に取った文庫の4冊セット。

祖母宅で過ごす暇~なお正月、ラテンアメリカ文学にハマっている私は『百年の孤独』を読むはずだったのだが、長期休みの寝正月に鈍りきった頭にはガルシア=マルケスの文章が(もちろん邦訳だが)入ってこないし、単行本はシンプルに重い。それで、じゃあこれかな~てな軽い気持ちで『シンセミア』を読み始めた。

……のだがこれがなんともなんとも面白い。せっかくのブログだしこれは相当面白かったので、まともに感想を書く。

・歴史み

現実の出来事や人物を題材に作られた”歴史”を綴った小説が私は大好き。その中に入ったり出たりが容易なのがいい、数日間にわたって読んでいる間、なんとなく夢見心地でいられるのがいい。ただ、『シンセミア』に関してはその側面はあまり大きくなくて、”歴史”はあくまで、冒頭で語られる舞台となる地区のこれまでの背景・歩みと、人々の会話の中で先代にて起こった出来事が時々語られる程度にとどまる。この塩梅がいい。舞台が日本(山形)かつ現代なのもいい。あんまり歴史感や物語感を出してしまうと、遠いところのお話という感じがしてしまう。(一応補足しておくと、私の思う”歴史”ぽい小説は基本的にそこも魅力なのだが。)分かり易い例でいうと『三国志』とか、めちゃくちゃそれだ。どうしてもこう、「うっそ~んw」なキャッチー・オモシロ要素が多すぎて、あくまでフィクションの感触が強く残る。だが『シンセミア』はどうだろう。これが、未解決事件のWikipediaを読んでいるような感覚なのだ。長い年月を俯瞰することで初めて組み立て得る物語でありながら、現実感を損なわずに読めることは、大きな魅力だったと思う。そのある種のサスペンスぽさから来る、シリアス大真面目シーンで笑えるのもよかった。特に後半の畳み掛けシリアスは笑ってしまう。てか当たり前っちゃ当たり前なんですけど、こんなにも広く大きい(舞台は狭かろうとも、いや舞台は狭い方がいいです、少なくとも私好み)時間軸を横断しながらまとまりを持たせる構成力。とんでもない!と感嘆です。天才的なものもあるのだろうけど、コツコツ組み立てるということだから分かりやすく好感が持てて分かりやすくははあと思います。

・アニミズムみ

上で述べたような”歴史”ぽい小説で私が想定しているのは、『三国志』『鯨』『族長の秋』みたいな作品だ。(読んできた母数が少ないからこれくらいしか出てこない。オススメ教えてください。)この3作には、誰か・どこかの歴史を綴っているということと、フィクションの織り交ぜ方に共通点があると思う。それは、明かされつくしていないディティールを補完するための想像であったり、普通に動物が喋っていたり(彼らの歴史・冒険が語られたり)、そもそも魔術・呪術が日常に蔓延している世界であったり、と様々である。このような表現を「魔術的リアリズム」というらしい。挙げた3作がそうなのかは定かでない。『三國志』は歴史みはそうだけどこれはちと違うかな。(ちなみに、めちゃくちゃ悩んで『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』を外した。でも、うさぎらとその住処の描写があまりに現実だし、これってリアリズムじゃないのかな?語り手が人間じゃないだけで同じだとおもうのだ。)「魔術的リアリズム」は、ボルヘスにハマり、『ラテンアメリカ怪談集』の面白さに感動していたときに、ラテンアメリカ文学について調べて知った言葉だ。ラテンアメリカ文学というとこれらしい。そして、なんとなく『シンセミア』でググったら、これが日本における魔術的リアリズムの代表作とも言われているらしいことを知った。著者本人が何に影響を受けていたか、つまり著者による”思われ” の意図についてならともかく、基本的に私は、作品の世間からの”思われ”はそこまで重要だと思わない。だが、自分が思っていたのが先で、同じことが人々から思われているのを知るとうれしい気持ちになるからいい。今回のこれも然り。長くなってしまいましたが、日本版「魔術的リアリズム」、正確に言うと「魔術」というよりもアニミズム的な、表現・展開がとても面白かったのです。この作品は、すごい数(人物紹介が3ページにもわたっている!)の登場人物たちがそれぞれの目線で様々なシーンを語ってゆくことで、その絡まりあった複雑な人間関係と事情の中から、少しずつ物語が見えてくる構成となっている。のだが、登場する人々の全くあずかり知らないところから加えられている見えない力が常にある。もしかしたらトリガーは誰かの行動だったりするのかもしれないが、でも所在の確かめようがない力が作品中を横断している。それに対して彼らは、岩をご神体と見立てて崇めてみたり、誰かの悪行がすべての元凶と決めつけてみたり、古くに酷い目にあった誰かの呪いに怯えてみたり、目を背け続けてみたり、己の欲を追求することでいっぱいいっぱいだったり、とそれぞれのレスポンスを見せている。それらはどれも、共感できるかはともかく、想像に容易い範囲のものであるのが面白かった。登場人物が現代の日本人であるとやはり入り込みやすい。ラテンアメリカと毛色は違えど、日本にもそこかしこに川があり山があり八百万の神様に囲まれており、我々は無意識のうちに何かに祈ったり何かを呪ったりしている。そういう想起にも繋がるから魔術的リアリズムにここまで惹かれてるのかな。

なんか長くなっちゃって他の本のことも書いてたら一生ブログ上げられんのでもう上げちゃいます。

とりまアップしてみないと進まないよね〜

おやすみ〜



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?