【環境課】Re:ハガネの小鹿が砕けぬように
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環境課内、とある一室。
眼帯を付けた白髪の少女が、ひとりでお湯を沸かしている。
ここは、この少女――ヘレン・ミドルトンの研究室だ。レポートをあらかた整理し終え、休憩の為のコーヒー――無論、合成品ではあるが――を淹れているのだった。
ヘレン・ミドルトン
電霊に身をやつした大戦前の研究者。白髪の少女......少女?
研究室に置かれたガラス容器。中の小さなナナカマドに目をやる。その輪郭は僅かに歪み、周囲だけが暗くなっている。これの為に、回収班にはかなり大変な思いをさせてしまったようだ。
回収――そう、現在研究している四次元物理学における【バッテリー】の改良のため、重化ナナカマドの試料が必要であった。その為に、【函館グラビテリオリ試料回収臨時班】を組み、函館ブロックへ遠征に向かってもらったのだ。向こうではいくつか、予想外のトラブルが起こったようだ。一応は無事に回収は完了した。ただし――
重化ナナカマド
函館ブロック原産の重化生物《グラビテリオリ》
四次元座標を参照し、周囲の光を屈曲させる。ジャムにするとたのしい
――おすまし顔の小鹿に視線を移す。
「はあ、まったく......なんで私が......」
小鹿に近寄り、ビロードのような毛皮を撫でる。
ただの小鹿ではない。先日の函館ブロックへの遠征において、回収班が函館ブロックから連れ帰ってきてしまった――ついてきてしまった、とのことだ――重化生物《グラビテリオリ》のカシオペアである。
カシオペア
太宰ブロック原産の重化生物《グラビテリオリ》
灰色でビロードのような毛皮と、W型の金属質の角を持つ
それ自体は(たぶん)問題無いが、どういうわけだかこの研究室で飼育することになったのだ。
『人に懐くグラビテリオリ。これは素晴らしいですよ、ヘレンさん。お傍に置いておけば、きっと四物研究も捗る一方でしょう』
などとのたまい、共に函館遠征の指揮を執ったフェリックス・クラインはこの小鹿を押し付けていった。
フェリックス・クライン
四次元物理学の准教授。たまにひかる
「まあ、お前はおとなしいようだから、別にいいけれども......」
小鹿が研究室の扉の方に頭を向けた。
KNOCK! KNOCK!
「フェリックスか?いつになったらカシオペアを引き取って――」
「こんにちは!ヘレンさん」
がちゃりとドアを開けたのは、先日の回収班のひとり――和泉童子だった。
和泉童子(いずみどうじ)
インフラ企業で生まれたクローンの鬼。たまにふえる
「あ、すまない、和泉か。どうしたんだ?」
「ア、業務ではなくて。忙しいですか?」
和泉は後ろの小鹿を見やる。ヘレンはフッと笑った。
「なるほど。構わないよ。お茶を淹れよう」
「ありがとうございます!」
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いつの間にか、部屋には追加で国分寺周防と夜八――回収班のメンバーが何人か集まっていた。概ねの目当ては、例のおすまし顔の小鹿である。
国分寺周防(こくぶんじすおう)
大食いで足の速い船舶。ぷお
夜八(やや)
小規模の未来視演算が可能な【件】の少女。函館行って色々あった
和泉が頭を右に傾ける。小鹿は合わせて頭を向けた。
和泉が頭を左に傾ける。小鹿は合わせて頭を向けた。
右、左、右、右、左、右、左、右、左。完全追従。
三人はキャッキャと笑う。
ヘレンはそれを横目に、紅茶を含んだ。
「〝たまには賑やかなのも悪くないな......〟」
「グッ......」
ヘレンは思わず咽せそうになる。背後から突然声をかけたのは、いつの間にか部屋に入っていたホロウだった。
ホロウ(H0110w)
人間と同様の感情を持つ青髪のアンドロイド。船酔いする
ホロウがキャッキャと笑う。
「って、思ってた?」
「あのねえ......」
「ヘレンさん!」
和泉が声をかけた。
「なんだ?」
「この子、名前は決まってるんですか?」
「名前?ああ、特に無いな」
夜八が聞いた。
「名前付けてないんですか?せっかく飼ってるのに」
「いや、私が飼ってるわけじゃないんだぞ!フェリックスのやつが勝手にだな......」
和泉が声を上げる。
「じゃあ名前付けていいですか!」
「構わないが......」
「ちょっと待っててください!」
ぽかんとする一同を置いて、和泉が研究室を飛び出していった。
「おまちどおさまです!」
5分後。
何冊かの本を抱えて帰ってきた。本が机の上に置かれる。植物図鑑や動物図鑑だ。何故かレシピ本も混じっている。しっぽがぷるんとゆれた。
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「ぷお......そうですね、ジンギスカンはどうでしょう」
「それは......どうなの?」
レシピ本を見ながら提案する国分寺に、夜八が困惑して言った。和泉が続けて返す。
「そうですよぷおちゃん、ジンギスカンは羊です!」
「ぷお、確かに」
「そういうことじゃなくない?」
あれでもない、これでもないと続けていた。大きく広げられた紙に、候補が墨で書かれている。中には「無敵」「準優勝」「烏賊飯」「最強」といくつかの不吉な文字が混じっていた。
ネーミングセンス
先の大戦以降、失われて久しい。
ふと、ヘレンは和泉の持ってきた本の一冊に目をやる。それは古い星座の本だった。《カシオペア座》のページを見つける。
「カシオペアの名前の由来は知っているか?」
「ええ、確か、カシオペア座に由来しているんですよね。カシオペアの持つ〝W型のつの〟と、〝一点を見つめる〟性質などに合わせて」
ヘレンの問いに、夜八が答えた。ヘレンは、そうだ、と頷く。
「カシオペア座には約370もの変光星があり、そのWの型は主に5つの恒星によって構成される」「「〝恒星〟によって〝構成〟されるんですか」」
国分寺と和泉が繰り返した。何故か小鹿もこっちを向く。向くな。
「いや、違うぞ!そういうのじゃないぞ。おいそこ笑うな」
ニヤニヤとしているホロウを睨み、説明を続けた。
「α星、β星、γ星、δ星、ε星......それぞれ固有の名称が付けられていた」
W型を構成する恒星のひとつひとつを指さす。周りの者はそれらを目で追った。
「これらから取るのもいいんじゃないか?そうだな、例えば......」
β星の項目を指さした。Wの一端。かつての名称、現在の名称、地域ごとの俗称が記されている。その中のひとつ。それは、古い言語で《染めた手》を由来とする言葉――。ヘレンは小鹿に近寄り、頭を撫でる。
「――カフ《CAPH》。お前の名前だ」
小鹿はいつものおすまし顔でヘレンの顔を向いている。
「どうだ?」
小鹿は――カフは、重い金属音で一度だけ鳴いた。
研究室に、澄んだ残響が染み込んでいった。
了
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