4月も半ばになったというのにまだ肌寒く、それなのに桜はとっくに散り始めたというから、なんだか釈然としなかった。側溝に溜まる花びらから目を上げると、住宅街の先に、周りより少しだけ背の高い建物があって、灰色の壁面には太めのゴシック体で「無意味」と書かれている。あれが目的地だった。 外階段はかなり錆びていて、けれど登っていっても少しとも軋むことはなく、手すりの細かな傷などは、古老の額のしわのような貫禄さえ感じさせた。友人はここの8階に住んでいる。なんとなく階段を――エレベーターを
静かに眠る街の中を夜行列車は走っていく。すっかりとひとの消えた車内にはまるで自分しかいないかのようにさえ感じられた。んんっと大きく伸びをしたあとに、やっぱりまだ誰かいるような気がしてそろそろと触角をふるわせると、少なくともこの号車には自分しかいないようで、息をついた。 「よかったらいかがですか」車掌がそう声をかけた。「これはどうも」お茶を受け取る。「今夜は冷えますからね、お体気を付けてください」 香りを確かめて、あ、と言った。「それね、桑茶だそうです。六つ前の駅で乗ったお
――いつ止むとも知れない雨足から逃れるように、一つ、また一つと人影が灰色のビルへと吸い込まれていく。 たまたま傍を通りかかっても、この所有者不明の建造物で――内部は幾度も改造を重ねられている――何が行われているのか、思い及ぶことは無いだろう。毎週末の夜、ここで人々はひしめき合い、音と光のうねりの中へと吞み込まれる。この建物こそ、『GHOSTCLUB』――"囁かれた"者達の集まる場所だ。 ばしゃばしゃと道路の水たまりを跳ねさせ、二つの人影が建物の入り口に駆け込んだ。 「―
「ほい」 「ありがと」 差し出されたコーヒー缶を受け取って一口飲むと、もちろんそれはさっきまで自動販売機の中で冷やされていただろうから、早朝の中では体がひやっとして少し震えたけど、この時間にあえてちょっと肌寒く感じるくらいにしておくのがけっこう好きなのだった。 「どうですか、調子は」 いつものわざとらしい感じで訊いてきたので、いつものわざとらしい感じで返した。 「いや~~~ダメですね。しょっぱいっすね、今日は」 「だろうとおもってしょっぱいおにぎり持ってきたよ」 確かに小さい
例えば、この鏡の中に入れて、鏡の中の自分と干渉せずに入れ替われるとする。入ったらきっと、左右が逆のきみが居て、声とかは普通だとして、で、ぼくは普通にあいさつするよね。そうすると、同時に、こっちの君はきっと鏡から出てきた反対のぼくにあいさつをされていて、だからきみにとってはたぶんちょっと不気味で、でもぼくの方は鏡の中のきみに会っているからこっちはこっちで不気味だと思うんだ。それで、わあ本当に鏡の中の世界に入れた、対象のぼくがふたり同時に発声する。ぼくはきみに、ねえこっちは右?こ
それに気づいたのはほんとうについ最近のことで、ああなんだか気持ちの良い風が吹いているなと思っていたら、それはだれかが弾く伴奏であるのだとわかった。わたしはめったに外に出ないから、ここにピアノが置いてあるなんてことも知らなかったし、それを弾く人がいるのだということも知らなかった。それは決まった時間に演奏されるということではなくて、けれども曲はいつも同じだった。窓を開けているある晴れた日などに、気持ちのよいそよ風が吹いてくるようなときに、ふと気が付くとその風の中に音色が混じってい
それはすべてが白色の同じ材質でできていて、足元は巨大樹の根の様な有機的なうねりを持っていた。それが、螺旋状に回転しながら上へと伸びていて、その回転の捻りとともに螺旋模様がだんだんと細かくなっていき、塔のちょうど――あくまで目視できる範囲の――真ん中あたりになると、もはやつるつるとした完全な円筒になっているのだった。わたしはこの場所を知っていた。塔は、8の階層と8の名があった。 その場所は塔も地面もすべて同じ素材でできているようで、塔以外には見渡す限りに建物は無く、地面の僅か
ラーメン屋台の光が真っ暗な路地を照らしている。 顔を赤くした会社帰りの男が2人、黙々と麺を啜っている__多分醤油と塩だ__。 それを見下ろしながら、私はまた暗がりへと泳いだ。 夜の街を漂い出してから2週間ほどになる。 インターネットで調べてみると、この現象は"ゴースト・アウト"と呼ばれているようで、私の他にも夜な夜な散歩に繰り出している人たちが居るらしい。 これが単なる夢なのか、実際に体から"ゴースト"が抜け出しているのか、正直わからない。誰かに話しかけたりモノを動かすこ
To:ハガネの小鹿が砕けぬように ・・・・・・ 環境課内、とある一室。 眼帯を付けた白髪の少女が、ひとりでお湯を沸かしている。 ここは、この少女――ヘレン・ミドルトンの研究室だ。レポートをあらかた整理し終え、休憩の為のコーヒー――無論、合成品ではあるが――を淹れているのだった。 ヘレン・ミドルトン 電霊に身をやつした大戦前の研究者。白髪の少女......少女? 研究室に置かれたガラス容器。中の小さなナナカマドに目をやる。その輪郭は僅かに歪み、周囲だけが暗く
「おい赤鬼みてェだな?」 「ってことは退治だよな?ワカル?モタロ」 「アーでもこっちのが金棒になっちまうなァ!!!イヤーーーッ!!!」 凶悪なニンジャは、金棒めいた鉄の塊を打ち付けた!!!ナムサン、凶悪ニンジャ集団に赤鬼に見間違えられた不幸で善良なサラリマンの顔は無残にもネギトロめいて――否!金棒は寸前で止められていた。サラリマンの掌によって!!! 「エッ?ナンデ?」 なんたるニンジャ丹力と瞬発力か!!!そう......この赤鬼は紛れもなくニンジャなのだ!!!