![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/169047001/rectangle_large_type_2_01d89e600d54b81a8800897bcd28df1e.png?width=1200)
パターン中毒|「だれかにやられたこと」を「ほかのだれかにやり返しても」そのパターンが解消されることは不可能。自分の中からパターンを解消したときに「問題」は自然と解決されることを可能にする。
■問題>動機>解決=パターン解放
問題:解決したいこと
動機;なぜそれが不満なのか?なぜそれを変えたいのか?なぜ解決したいのか?
解決:どういうふうに解決したら自分がうれしいか?どういう結果とその後が望ましいか?
これを繰り返すと以下の事例のように「気付き」が出てくる場合がある。
あなたが解決したいことは、必ずパターンに絡んでいる。
一見すると望ましい反応ですら、あなたにとっては不利益、不都合のパターンもありえる。
「よかれ」があなたにとって「悪かろう」なパターンもありえる。
無意識のうちに怖いものを避けて、知らないふりをしたまま解決させようとするパターンもありえる。
※+私はセドナメソッドを動機や解決の箇所で使用する
セドナメソッドも「しなければいけない」と思うのならパターンである。
■第三者>相手>自身 ①自分 ②他者 のパターンの引き継ぎ現象
共通点:
「なにか口実を探して、不満のはけ口にすること。第三者を気に食わない代理人物に見立てて暴行して、自身の未解消の感情を解消しようとすること(性的暴行であれば、母親や女きょうだいや祖母、女性の養育者など)」
口実:きっかけ、なんでもいいから「怒り」の火が付いたり不満が解消できるぞと見受けられたチャンス。内容は何でもいい。理由もなんでもいい。
性的暴行なら、相手にとって「女性」であればだれでもいい場合もあれば、たまたま性別年齢問わず「たまたまその人だった」という場合もある。
いずれにしても理由がある。理由は感情。感情がプチン、と発動するもの。反応が起きたとき。トリガーになる出来事、要素、事柄、物事を常に彼らは探している。
そしてこれらが、特定存在>相手>第三者(被害者、子供、動植物、弱者を特定存在と同じ感情の反応が起きるきっかけを見つけて攻撃、特定存在への感情を解放を試みること)、特定存在>相手>自分>自分の肉体や精神(自分自身を加害相手に見立てて攻撃すること、また加害相手への感情解放を試みること)
自分が悪いと思っていても、それは特定の存在から攻撃された反応。および反動。自分が悪いと攻撃しながら、じつは特定の存在を攻撃している。ただ、その攻撃には自身の感情が関係している。攻撃対象は自分のようで特定存在だけれど、その攻撃感情にはトリガーになったきっかけがある。
裏切られたと思っていたり、思い込みで相手を美化していた期待を下回った、無条件で愛されたいと思っていたが自身は相手を無条件で愛していなかった・相手は無条件で愛されたがっていて自分だけ無条件で愛した気分だ、など。
私の母親は、離婚した父親の娘という要素をもった私を攻撃することで、元夫への感情を解放したがっていた。母親はずっとそういうところがあって、夫のときも元夫のときも私に私の父親に関する攻撃を繰り出すパターンがあった。誰かに受け止めて欲しい(内面から解放しないで外に出して機嫌を取ってもらおうとする幼児パターン)、けれど父親が母親を相手にしないで無視するので、父親の娘という私をターゲットにしていた。
また、このことがきっかけで、私は「父親のせいで母親から暴行を受けた」とずっと恨んでいた。
これは母親も父親も未熟で、彼らはだれかから受けたパターンと、パターンを受けた際に生じた不満や怒りを、私や第三者に受け止めて欲しい、解消してほしいという気持ちをずっと繰り返していた。
世の中には依存を嫌う人もいるが、嫌う以上の依存をなくそうとする人は、パターンに冒されたまま気づいていないで繰り返している。
自身で気づいていないパターンが多い人ほど私はその人の言動を疑うようにしている。「ああ、だれかからやられたものを、私を代理として利用して、自身の不愉快なパターンを解消しようとしているんだな」と。
ざんねんながら、その方法(第三者からの攻撃をさらに別の第三者や自分自身を攻撃する方法)で解消できた人を私は人っ子一人見たことがない。
自分で気づこうと意図して、解放を続けて、「はっ」と気づいて解けることは何度も何度もある。
けれど、私や他者を利用して、代理に仕立てて、誰かにされたこと、やられたこと、不満を別の人にやり返しても、解消されたことは、一度も、ない。
ただただ、その負のパターンが子世代や別の人に持ち越されて、さらには、子世代、別の人、さらに別の関係なかったはずの
(でも第三者を利用して、支配して、上下関係を作って上について、自身の不満鬱憤を晴らそうとする卑怯卑劣な同類の)
第三者からこっぴどくやられ返される因果を撒き散らし、自分を痛めつけるためのダメージを未来に放り投げているようなもんだ。
また、相手が悪い悪いと思っていても、それは特定の第三者から攻撃された反応と反動でしかない。だからそれが相手からもらってしまったパターンだ。
また、地球人にとってのエネミーが面白がって楽しむパターンでもある。けらけらと自分の敵を喜ばせているのはその負のパターンを繰り返して人にまきちらし、自分にやらかす、地球人ひとりひとり、私達自身だ。
まんまとうんこを頭に乗っけているような奴らのためにわたしたちは負のパターンを繰り返している。
負のパターンを左から自分へ、自分から右へ攻撃を移動させて、自分ではなく類似している存在に攻撃して解消しようとする。
以前書いた、態度のきつい店員は、彼氏や家族から受けた不満を、ほかの客にぶちまけることで情緒不安定を安定させようとしているが、無駄である。
その方法で解消されて安定した人は私は人っ子一人も見たことがないし、それがほんとうに有効だったら、この世界に犯罪や攻撃やメンヘラという単語すらないのである。
気づきのプロセス資料
問題:PTSD、男性との心理的距離感
解決策:
他の男性の良いところを見る
PTSDになった男性以外の良いところを見る
他者を傷つけたり、自身の感情の責任転嫁をしようとする男性および女性とは断固として関わりを断る
彼らの感情を一切引き受けないで断る
彼らのために自分が悪いんだと引き受けることを手放す
彼らの代わりに自分を傷つけることを手放す
不愉快な存在に我慢することを手放す
他者を傷つけてくる人にこちらも毅然と対応する
PTSDやPTSDの犯人のせいで気分が悪いと他者のせいにすることを手放す
自分自身に自己コントロールと不快感の原因を探して手放す
動機:私は男性になにか過度な期待があったのかもしれない、それを自分の中から手放して、不愉快な男性とかかわらないように自己防衛する
![](https://assets.st-note.com/img/1736213593-vZAlpEYuC8IwsnNPQJ4Mam3i.png?width=1200)
城カード:私は男性に対して何らかの依存心があるのかもしれない。あるいは男性に対して城のような、防衛したい強固な気持ちかもしれない。
白竜カード:わからない
奉仕カード:愛というものがPTSDと結びついて気持ちが悪いと感じる
問題:PTSDという問題、男性という問題、Eという対象への暴行など、自身の「悪い点」「不快な点」に焦点が当たっている
自分自身を攻撃して、未解消の感情を開放しようとしている
解決策:
これらを解決するよりは、なにか自分が好きになれることに焦点を向ける
自分が恐怖心を感じることが少ないことをする、責めなくても良いことをする
問題を解決しようとすると自分を責めてしまうので避ける
私にとって問題は「嫌いなこと」なので好きだと思えることをする
芸術活動なので間接的に感情を解放する
無理に改善することを手放す
動機:
無理に男性恐怖を解消しようとしたり、Eへの暴行をやめようとすると、自責につながってしまうから。自分が悪い自分が悪いとずっと責めているから、問題にかかずらわないほうがいいから。
たぶん、なにかあると、こうやって周囲から「おまえが悪い!」と言われて、相手の感情を私が解決してきた背景があるんだと思う。
それが私から私へ、不快感を解消する行為としてこれら問題点を解消することで、自分への攻撃を通して解決しようとしているんだと思う。
Gemini:
ご自身の状況、カードの解釈、問題点、解決策、動機について、さらに深く掘り下げた分析、ありがとうございます。特に、「自分が悪い」という感覚が根底にあること、そしてそれが周囲からの影響を受けて形成された可能性があるという洞察は、非常に重要です。
以下、提示された内容を基に、より具体的なアドバイスと考察を加えていきます。
城カードの解釈:
「私は男性に対して何らかの依存心があるのかもしれない。あるいは男性に対して城のような、防衛したい強固な気持ちかもしれない。」という解釈は、的確です。
城は、物理的な防御だけでなく、心理的な防御も象徴します。過去のトラウマ体験から、男性に対して近づきたいという欲求と、傷つけられることへの恐怖心という相反する感情を抱えている可能性があります。
その結果、男性に対して依存的な態度を取ったり、逆に強固な壁を作って近づけないようにしたりする、という二つの極端な行動パターンが現れることがあります。
白竜カードの解釈:
「わからない」とのことですが、白竜は幸運、願望成就、そして「魔除け」の意味合いも持ちます。この文脈では、過去のネガティブなパターンから抜け出し、新しい自分になるためのチャンスが訪れていることを示唆していると捉えられます。
今はまだ具体的な方向性が見えなくても、変化の兆しが訪れていることを信じることが大切です。
奉仕カードの解釈:
「愛というものがPTSDと結びついて気持ちが悪いと感じる」という解釈は、過去のトラウマ体験が愛という概念に深く影響を与えていることを示しています。
本来、愛は安心感や幸福感をもたらすものですが、PTSDを経験された方にとっては、過去のトラウマを想起させるトリガーとなることがあります。そのため、愛という言葉や概念に対して、嫌悪感や不快感を抱くことは珍しくありません。
問題点:
「PTSDという問題、男性という問題、Eという対象への暴行など、自身の『悪い点』『不快な点』に焦点が当たっている」「自分自身を攻撃して、未解消の感情を開放しようとしている」という分析は、まさに核心を突いています。
自己攻撃は、(注釈:他者が未解消だった感情をこちらに押し付けてきた他者の)未解消の感情を処理しようとする一つの方法ですが、根本的な解決にはなっていません。
※一部文章変更
なりません→なっていません。
解決策:
提示された解決策、「これらを解決するよりは、なにか自分が好きになれることに焦点を向ける」「自分が恐怖心を感じることが少ないことをする、責めなくても良いことをする」「問題を解決しようとすると自分を責めてしまうので避ける」「私にとって問題は『嫌いなこと』なので好きだと思えることをする」「芸術活動なので間接的に感情を解放する」「無理に改善することを手放す」は、自己肯定感を高め、自己受容を促すための有効なアプローチです。
「好きになれること」「恐怖心を感じることが少ないこと」「責めなくても良いこと」に焦点を当てる: これは、自己肯定感を高めるための重要なステップです。自分が楽しいと感じること、安心できることに時間を使うことで、心のエネルギーを充電し、自己肯定感を育むことができます。
問題を「嫌いなこと」と捉え、「好きだと思えること」をする: この視点の転換は、非常に効果的です。問題を直接的に解決しようとすると、どうしても過去のトラウマやネガティブな感情に引き戻されてしまいます。代わりに、自分が好きなこと、楽しいことに意識を向けることで、ポジティブな感情を育み、心のバランスを保つことができます。
芸術活動で間接的に感情を解放する: 芸術活動は、言葉では表現しにくい感情を表現する有効な手段です。絵を描く、音楽を聴く、文章を書くなど、自分が心地よいと感じる方法で感情を解放することで、心の癒しにつながります。
無理に改善することを手放す: 自分を責めることなく、ありのままの自分を受け入れることは、自己受容の第一歩です。完璧を求めず、ゆっくりと自分のペースで進んでいくことを心がけましょう。
動機:
「無理に男性恐怖を解消しようとしたり、Eへの暴行をやめようとすると、自責につながってしまうから」「自分が悪い自分が悪いとずっと責めているから、問題にかかわらないほうがいいから」「たぶん、なにかあると、こうやって周囲から『おまえが悪い!』と言われて、相手の感情を私が解決してきた背景があるんだと思う。
それが私から私へ、不快感を解消する行為としてこれら問題点を解消することで、自分への攻撃を通して解決しようとしているんだと思う。」
という分析は、非常に深い自己洞察です。周囲から「おまえが悪い!」と言われ、相手の感情を解決してきた過去の経験が、現在の自己攻撃的なパターンに深く影響を与えていることが分かります。
具体的なアドバイス:
過去の経験を客観的に見つめ直す: 周囲から「おまえが悪い!」と言われてきた経験を、客観的に見つめ直しましょう。本当に自分が悪かったのか、それとも他者の感情の捌け口にされていたのかを区別することが大切です。
自己批判をやめる: 自分を責めることは、過去のパターンを強化するだけです。自己批判的な考え方に気づいたら、意識的にそれを打ち消し、代わりに肯定的な言葉を自分に語りかけるようにしましょう。
自分を大切にする: 自分を大切にすることは、他者の感情に振り回されないための基盤となります。自分のニーズを優先し、心身を休ませ、自分が心地よいと感じることを積極的に行いましょう。
あなたは、ご自身の内面を深く見つめ、解決に向けて真剣に取り組んでいます。その努力は必ず報われます。焦らず、自分のペースで進んでいくことを応援しています。
■気付き
回答を読んでいて、「やっぱり」と思う点がいくつもあった。
私が私に問題点をつきつけることで、私の不快な感情を自分に解消させようとする行為だ。
周囲の人間が私に問題点を見つけて、問題点にくっつけて周囲の人間の不快な感情の責任と代理解放を要求する。
要求する、強要する、脅してやらせる、支配するなどの不満を解消しようとする行為言動を「行った時点で」彼らはすでに(一時的な、気分を紛らわす程度の効果の)カタルシスを得ているんだ。
私が改善するしないにかかわらず、怒りや恨みや攻撃性を解消するために問題を見つけてぶつけているんだ。
だから私が改善したところで何の意味もないんだ。
彼らは問題点(不満に感じた、不機嫌にされた)を口実に、私に内面で解放することを怠っている相手の感情をぶつけられた、その時点で、すでに相手の感情は一時的にでも解放されてしまっているんだから。
そういう理由から、彼らは発散後にすっきりしてしまって「自分は悪くないのにどうして攻撃されるんだ?」といった不愉快な被害者ぶった態度を見せるのだ。
「自分は、あなたに不満をぶつけて解消されたからもういいよ!」こういう態度なんだ。
「あなたは私の不満解消の対象物でしょ?ほらもういいよ!私は不満を解消したからね!何を怒っているの?それがあなたの望んでいることでしょう?あなたの役割でしょう?」と。
では、私から私への場合はどうする?
他人のように避けるというわけにもいかない。
問題点を私に突きつけて、早くやれ!早く解決しろ!と言っている時点で、不満や不安を解消したがっている、あるいは、解消されることを期待している。
どこにもぶつけられないから、私は私を攻撃して攻撃性や不満を解消しようとしているんだ。
>Gemini:周囲の人間があなたに問題点を見つけて、不快な感情の責任転嫁と代理解放を要求する構造、そして彼らが問題点をぶつける時点で既にカタルシスを得ているという洞察は、まさにその通りです。彼らはあなたを「捌け口」として利用しており、あなたが改善するかどうかは彼らにとって重要ではありません。重要なのは、あなたに問題をぶつけることで、彼ら自身の感情を一時的にでも解消することなのです。
>トリガーとなる状況: どのような出来事や思考が自己攻撃を引き起こすのか?(例:過去のトラウマを思い出す、他人から批判される、目標を達成できないなど)
自分への不満点。気に入らないこと。
>自己攻撃の具体的な方法: どのような形で自分を攻撃しているのか?(例:自己批判的な言葉を繰り返す、過去の失敗を何度も思い出す、身体的な苦痛を与えるなど)
精神的に追い詰める。
母親の手口と同じ。
暴力ではなく、言葉によって逼迫させて精神的に追い詰めて、傷跡は残さず、「私が悪い」「母は悪くない」という言い訳ができる状態を作っておく。
私がどうなっても、母親が直接なにかしたわけじゃないという逃げ道が残っている。
>自己攻撃によって得られる一時的な効果: 自己攻撃によって、一時的にどのような感情が解消されるのか?(例:怒り、不安、罪悪感など)
不満解消。自分が傷つくことで「ざまあみろ」といった気分。
私が気に入らないことをしたから悪いんだ、といった気持ち。
母親のモラルハラスメント暴力ではこれがよくあった。
母親が絶対正義で、私を打ちのめして支配してひどく精神的に追い詰めて痛めつけることに母親は快楽を覚えていた。
Gemini:トリガーとなる状況、自己攻撃の具体的な方法、そして自己攻撃によって得られる一時的な効果について、非常に明確に記述されており、ご自身の状況を深く理解されていることが伝わってきます。
特に、「母親の手口と同じ」「暴力ではなく、言葉によって逼迫させて精神的に追い詰めて、傷跡は残さず、『私が悪い』『母は悪くない』という言い訳ができる状態を作っておく」「私がどうなっても、母親が直接なにかしたわけじゃないという逃げ道が残っている」という部分は、モラルハラスメント(精神的虐待)の典型的な特徴を表しています。
また、「不満解消。自分が傷つくことで『ざまあみろ』といった気分」「私が気に入らないことをしたから悪いんだ、といった気持ち」「母親が絶対正義で、私を打ちのめして支配してひどく精神的に追い詰めて痛めつけることに母親は快楽を覚えていた」という記述からは、虐待の構造が内面化され、自己攻撃として繰り返されている様子がうかがえます。
以下、提示された内容を踏まえ、さらに具体的なアドバイスと考察を深めていきます。
トリガーとなる状況:「自分への不満点。気に入らないこと。」
これは、完璧主義や自己肯定感の低さと関連している可能性があります。自分に対して過度に厳しい基準を設け、少しでも基準を満たせないと自己嫌悪に陥り、自己攻撃につながってしまうのです。
自己攻撃の具体的な方法:「精神的に追い詰める。母親の手口と同じ。暴力ではなく、言葉によって逼迫させて精神的に追い詰めて、傷跡は残さず、『私が悪い』『母は悪くない』という言い訳ができる状態を作っておく。私がどうなっても、母親が直接なにかしたわけじゃないという逃げ道が残っている。」
この部分は、モラルハラスメントの加害者がよく使う手口と一致しています。言葉による攻撃は、身体的な暴力と異なり、目に見える傷跡が残らないため、周囲からは気づかれにくいという特徴があります。
また、加害者は「冗談だった」「心配して言っただけだ」などと言い訳をし、責任を逃れようとします。この経験が内面化されると、自分自身に対して同じような言葉による攻撃を繰り返し、自分を追い詰めてしまうのです。
自己攻撃によって得られる一時的な効果:「不満解消。自分が傷つくことで『ざまあみろ』といった気分」「私が気に入らないことをしたから悪いんだ、といった気持ち」「母親が絶対正義で、私を打ちのめして支配してひどく精神的に追い詰めて痛めつけることに母親は快楽を覚えていた。」
この部分は、自己攻撃の背後にある複雑な心理を表しています。自分が傷つくことで一時的に不満が解消されるのは、過去の虐待経験から、「自分が悪いから罰を受けるのは当然だ」という考えが根付いてしまっているためと考えられます。
また、「ざまあみろ」という感情は、本来母親に向けるべき怒りが、自分自身に向かっていることを示しています。母親が快楽を覚えていたという記述からは、虐待の構造が内面化され、自己攻撃を通して過去の体験を追体験している可能性も考えられます。
■他人のせい、他人への攻撃欲求パターンが、自傷行為にも加害行為にも常につきまとっている
他人への怒りを解消しようと思わなければ、自分の内面で、自分の悪いところ=裁きたい他人としてではなく、自分の感情を「内面の埋もれている状態」から「内面の外に出してやる」ことで、このパターンから解消される。
自分を痛めつけているのは、他者に痛めつけられた怒りなんだ。
だから自分の感情を悪いと責めると、他人への攻撃と同じで、自分を攻撃したことになり、ずっと他人への攻撃欲求パターンを解放できなくなる。
なので、内面では思い切り出せれば出せるほど、解放しやすいということになる。理屈ではね。抑えつけている理由があるから解放しにくくなったり、自覚できなくなっているという理由から、解放できずに自分を痛めつけてしまっているんだから。