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正しい道を教えて守ってくれる「抵抗」の守護者


ライトワークス 天使の贈り物オラクルカード


Oracleに愚痴ったこと:もうだめ、がんばれない、つかれた。

現状・過剰:自信カード。

自信、実行、歩み続ける。これが過剰。

取り組み・不足、欠如、欠乏(必要、満足、補完):桜カード。

協力、人との触れ合い、パートナーシップ。これが不足。欠乏、欠如しているとも感じている。この部分が満たされたい要素。

アドバイス・2枚のカードの過不足を整えるバランスエッセンス:五重塔カード。祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方。


自信、実行、歩み続ける。…この要素が過剰。

自信カードに五重塔カードをあわせる。

自信過剰を緩和するのが、「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」の五重塔カード要素。

私がものすっごく不機嫌に鼻をならすワード。

端的に読めば、宇宙や見えないもの、神聖なものに頼れってことじゃね。ちっ。頼ってんじゃん!←すでに謙虚さがなく、自信過剰。

欠如している、自分にはないと思っているのが桜カードの「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」、五重塔カードで満足するとみなすと、「「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」要素。」のエッセンスで満たす。

見えないものに見守られている、助けを求めて、とかじゃね。

じゃあ謙虚とかかくなやうざい。


自信カード「自信、実行、歩み続ける」がこれで、この過剰を緩和するのが、五重塔カード「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」。

桜カード「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」が欠如、欠乏している(と意識では思っている)ので、五重塔カード「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」が満たす、充実のエッセンスになる。

自信カードは、私一人でなんでもできるー!やれるー!って感じかな。

誰にも頼らない、頼れない、頼る先もない(桜カードの要素の欠如。この場合は、協力、交流、パートナーシップ)のでひとりでやってやる!という自信過剰にならないとやっていられない状態。

桜カードは、「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」というものが自分にはない、欠如している、苦手だからしたくない、嫌な体験ばかりだからやりたくない。

五重塔カードの「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」とは程遠いだろうな。


私は今、自信過剰になっている。

それを「ひとりでやろうとするな、ひとりでできるとおもうな」と言われている気がして五重塔カードに反発している。従いたくないし命令されたくもないから。

桜カードは一人で頑張る必要がないと書かれているが、五重塔カードのアドバイスを受け入れられない。受け入れる気がない。

そもそも五重塔カードが示すものが私には傲慢に思えて鬱陶しい存在やアドバイスが書かれているので受け入れられない。受け入れたくもない。


嫌いな人に「ひとりでできることはない、宇宙に従え」みたいに言われたので「絶対に従わない」と反発している。絶対に謙虚にならないし絶対に感謝しないし絶対に祈りたくもない。

見方を変えてみよう。実行するとか歩みつづけるといったキーワードもカードには書かれているので、歩きっぱなし、やりっぱなしが過剰とも読める。

そうなると桜のカードが示す協力できる人もパートナーもいないので自分でやるしかないでしょ、と帰結する。

そこに「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」と五重塔カードがやってきても、は?となる。こまった。アドバイスカードが嫌すぎて受け入れられない。

私は宇宙の部下でもないし召使いでもないし奴隷でもない。
これ以上、先祖だの宇宙だののために働きたくない。

いままでさんざん尽くしたのに、まだ「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」といった要求をしてくるなんてなんて図々しいんだ!冗談じゃない!おまえらにくれてやるものなんてもうなにもない!

自信カードって、必ずしも自信満々ってわけじゃないのかもしれない。
だって自信満々なのに原因になってなにか不都合がある?なにもないじゃん。

それでまくいっているならいいけれど、自信満々なのになにかが過剰ってことは、自分の自信が満々とは限らないのかもしれない。
自信が欠如していると感じていたり、周りの方がやたら自身が過剰だと感じることがあるかもしれない。


私の現状の「いろんなとらえかた」


現状っていうのは、必ずしも「私自身(質問者自身)」とは限らないかもしれない。ひとくちに現状と言っても、

・私が置かれている現状(外周)
・私自身の現状
・私の内面の現状

など、いろいろな現状が考えられる。

なにか今回は、私の自信過剰とは違う気がする。
というか、おまえは自信過剰だな!と言われて心を開く質問者がいるだろうか。私はいないと思う。

大きな現状という意味で、私や私の外周という現状が自信カードの示す、「自信、実行、歩み続ける」と大まかに見てみよう。現状がこれなんだ。

現状、なんらかに「「自信、実行、歩み続ける」」過剰要素が見られるんだ。
でも私が自信過剰なら、ああ疲れた、もうダメだ…なんて言うだろうか。弱気になんてなるだろうか?私はどうしても腑に落ちない。

むしろ私の周辺にあるもの、外周が「自信、実行、歩み続ける」要素過剰と見たほうが自然なのでは?そのため、私は”そうせざるを得ない”のだ。

私の現状で、私の現状の私の外周が「外周が「自信、実行、歩み続ける」要素過剰」なので、私もそうせざる得ないと感じている。
あるいは、外周から「自信、実行、歩み続ける」要素過剰」を強要されている、影響を受けている、そうしないといけないのではないか?

その強迫観念による「過剰」の可能性も出てくる。半強制的に「そうしなきゃいけない」と思っている可能性だ。

それを裏付けるように、桜カードは「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」で、いま取り組むことの位置に出ていることから「弱体、虚弱、欠如、欠乏、不足」している(質問者の意識はそう感じている)ため、私もそれらが欠如している、それが「ない」「不在」だと感じている。

つまり、私は好んで、自信カードの示す状態になっているのではなく、「そうせざるを得ない状況になっていて、「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」が欠如している環境、状況になっているのかもしれない。


「抵抗する私」の話を聞く


同上


自信カードは過剰を示していて、「自信、実行、歩み続ける」が過剰。

桜カードは不足欠乏を示していて、「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」が不足。

その2枚のカードのエッセンス、過不足の解消は五重塔カード「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」
自信カードに五重塔と合わせると「嫌だな」と感じる。

承認欲求解放:一人でやってばかりの自分を誹謗中傷していた。頼らないことを悪いことだと自分に暴言を吐いていた。一人でやろうとする私をバカにしていた。いますぐ人に頼れ、宇宙に頼れ、なにをやっているんだおまえはバカなのかとまわりからの承認欲しさに周囲に頼れる私に「変えよう」としていた。男性性過剰ー自己受容不足。

自身の現状や外周を変えようとすることは「男性性過剰」やっぱり自信カード=自信過剰=自分が悪いと結びつけていた。男性性過剰だ。
すぐなにかに結びつけて狭窄視野でなんでもくくりつけて解決した気になる、短絡的問題解決思考。むしろ問題を広げているのに誇らしげにするナルシシズムも男性性過剰か。だっさっ!!!!

※女性性を回復させるために、問題解決ではなく、自分自身を受け入れるために自分自身を拒否している男性性過剰の部分を手放すため、受け入れられないでいる、拒否感を感じている自分にたいする欲求の解放、自分自身に向いて欲求を解放するようにしている。
自分を受け入れられないものが欲求という障害だと気づいた。立体的な並びにすると、対象(執着)ー抵抗する自分ー欲求ーこの意識している自分。たぶん。

制御欲求解放:他者に受け入れてほしいから、他者に言われたとおりに、他者や存在に頼れる私に変えようとしていた。他人の言いなり。他者に言われたとおりに、他者や宇宙に降参して頼れ頼れとずっと自分を他者に従わせようとしていたので私はずっと反発していた。

他者が「宇宙に降参して従え」「一人でできるなんて傲慢だ」っていう言葉を真に受けて他者の承認を得られるように他人の言いなりになろうとしていたから私の中で分裂して、対抗し合っていた。こっちだって頼りたくねえ理由があるから頼らねえんだよ。


自信カードって、抵抗する私に強要しようとする私じゃないのか。

なにかに従わせようとする、従おうとする私と、その私に従うなと抵抗する私の対抗で、従おうとする私の自信カードを手放せってことじゃないのか。

自信カードに、「自信、実行、歩み続ける」の五重塔カードを合わせる。
「自信、実行、歩み続ける」を「祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方」で過剰を緩和すると…。

他者に言われたことを真に受けて信じて、絶対だと信じ込み、承認欲しさに抵抗する自分を引きずってでも歩み続けようとする私。

でもその自信のある道が、私の進みたい道と違っていたら?
私は抵抗する私を疑って他者や宇宙を信じるっていうの?
他者の言ったことが絶対でそれにしたがえばいい…それに「抵抗する私」が私を守ろうとしているのに誤った道を進もうっていうの?

「私」を宇宙や他者の言いなりにしようとする私、その他者の承認欲しさの自信のために、自分を犠牲にしていることに気づかない。
桜カードは、なにも他者や宇宙との協力ばかりじゃない。

「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」には自分との協力もパートナーシップも含まれていて、それが前提にあって人とのふれあいも適切におこなえるはずだ。

「自分にたいして」謙虚になるときでは?
目を覚ますときでは?冷静になるときでは?

他人を従わせたがる他人の言うことは他人にとって利になる話。
私が動けば得をするのは他人だ。私はただナルシシズムが強い他人に騙されているだけだ。そっちの道に行ってもうまい話などありつけはしない。他人だけが得をして自分は損をして搾取されるだけだ!

自信カード:自信、実行、歩み続ける。その自信のある考えや思い込みから目を覚まして、五重塔カード:祈り、参拝、謙虚、感謝、遥か彼方の要素で、自分自身の話を謙虚に聞くときでは?


オラクルカードは「私と私の場」


オラクルカードもやっぱり自分と自分の対話で、外野は関係ないんだ。先祖も宇宙ですらも、オラクルの場ではいまの私にとって部外者なんだ。



同上

桜カード:協力、人との触れ合い、パートナーシップの要素に、五重塔「協力、人との触れ合い、パートナーシップ」を合わせれば一目瞭然だ。自分とのパートナーシップ、協力関係を見直して再構築するときなのでは?

抵抗する私は私を守ろうとしている。
誤った道に行って自分が傷ついたりしなくて済むように守っている。

でも、私が抵抗を押し切ってそれが間違っている抵抗だと言って強行突破してしまったら自分との信頼が崩れてしまう。抵抗する私は私を守っている。

だから私は抵抗する自分を押し切るのではなく、「なぜ抵抗しているのか、なぜ私を守ろうとするのか」話を聞くほうが先決だ。他人の言うことを真に受けて突き進むのはもう、やめよう。

抵抗する私は邪魔をしているんじゃないんだ。私を守ってくれているんだ。私の味方であり、話を聞くべき生涯のパートナーなんだ。
邪険にしたり、悪だと罵ったり、どうして邪魔をするんだと話を聞かないのは、抵抗する私をむすして強行したがる私の方だ。抵抗する私は私を信じて守ってくれているだけだ。

それを裏切ってはいけない。そうじゃないのか?
散々裏切られた私が信じて守ろうとする「抵抗する私」を裏切るのか?
押しのけるのか?そんなことをしたらいままでのクソ野郎どもと同類だ!
おまえが信じているその女の言葉だっておまえを騙しているチンピラだ!
それを信じるおまえもそいつと同類になるってことかこのやろうが!

私を信じて守っている「抵抗する私」を押しのけて、私を騙して都合よく利用して悦に浸りたいだけのチンピラクソ野郎を信じるのかって言ってんだよ。



ひさしぶりに自分からパンチもらった気分。
パチっと目が覚める。


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