「コーラは骨が溶けるから飲んじゃダメ」「これを食べていいけれどこれはダメ」もう嫌だ、指図しないで、
「コーラは骨が溶けるから飲んじゃダメ」「これを食べていいけれどこれはダメ」もう嫌だ、指図しないで、私はペットじゃない、好きに食べたいし好きに飲みたかった。
オラクルカードを引いていて「食べるものや取り込むものに気をつけなさい」と書かれていて、反射的に「やめて!」拒否する抵抗が生まれた。
小さい頃から飲むものや文房具、ランドセルの色、着るものも髪型も、なにもかもまわりが決めて私が選んでこられなかった。
選びたくても太っていておしゃれがしたくてもできなくて、自主的に選択することがわからなくなっていた。
自分で選んだらいけないような、選べないような気がしていた。
私は何も自分で選んでこなかった。
お金になるかどうかばかり選んでいた。
家族の金のなる木になろうとしていた。
優等生として遊びを捨てて感情を捨ててロボットみたいに労働が人生になった、優等生=生きている人形になっていた。
自分が助けを求めていること、この家から逃げ出したいことも忘れていた。
私は自分で選んで自分で決断する機会を逸してきたから、自分で選んだから怖いと感じるし、自分で選ぶことが「未知」すぎてわからない。