他者の承認に依存するから自分の才能や労働を不当評価(過剰評価)しがちだったんだ
◆自己価値を低く見積もっている
「原因」
・他者の評価がいつも低かったから
・他者の低評価を高評価にしてほしくて他人に尽くしていた
・他者評価に依存していたから、悪意ある他者の評価により自分にダメ出ししながら他人に尽くしていた
さらに深めていくと、他人の悪意がどんどん見えてきた
・悪意のある他者はこちらの評価を不当に低く評価することで、こちらに高い評価を得たいと思わせる
・あえて低い評価を与えて、より高い評価を他者から受けよう、認められなければと思い込ませて悪意ある他人に尽くさせる
悪意ある他者は、不当かつ理不尽にこちらの評価を低評価する、ダメ出しや馬鹿にする
悪意ある他者が満足するような高いサービスや貢献を得られるように低評価して努力を求め続ける
悪意ある他者は当然、不当な評価を下して、最低限のサービス料を払い続ける
ときに褒めることもあるが、それは自身という高貴な(悪意ある)自身のために尽力したことを「上から目線で」見下したうえで褒めるためであり、一種のマウント行為である
「これからも強くて上の立場である(悪意ある)他者似尽くせ」と、悪意ある他者に依存させるのである
不当に評価して、こちらの能力や労働を低く罵倒することで他者のほうが強い立場であると思い込ませる
不当な扱いで尽くさせて、努力を要求し、最低限を切るような報酬で使い勝手よく利用し、ときに「上から目線で」マウンティング称賛する
そのため、他者の不当評価に依存して真に受けていると、低評価をしてきた相手に認められようと努力してしまい、不当評価をする悪意ある他者を満足させるためにずっと搾取され、自己評価も悪意ある他者の低評価のまま維持され、自己評価が向上改善されることは一生涯、ありえない。
なぜならそれを防止するために悪意ある他者は、
・常に低評価を与えて、対比として悪意ある他者の評価や立場を強いと思い込ませる
・常にバカにしたりダメ出しして精神的に弱め、相手が強いと恐怖を植え付ける
・悪意ある人に反発する人は相手を見下している(悪意ある他者と同類だ)から別の他者を見下す。反対に恐怖に陥る人はまんまと搾取される。この両タイプが人間には付随する事が多い
・ときに称賛しても、上から目線。マウンティングのために称賛して自分の立場が強いことに悪意ある他者は愉悦を覚えている
といったことをしてくるから。
私はずっと他者の高評価低評価に依存して自分を測定していた。だから低評価を与えられるとどうにかしなければと、高評価を得て認めてもらおうとしていた。
こういうのを能力の不当評価とか労働の不当搾取っていうんだろうな。
その反動で他人を低評価にしたくなる。でも自分のことも低評価にし続けて、負のスパイラル。得をするのは悪意ある糞野郎だけ。
Geminiの参考回答
他者の評価に振り回され、特に悪意のある者の評価に過度に反応してしまう状況は、多くの方が経験するところかもしれません。しかし、ご自身の状況をここまで客観的に分析し、言葉にされている点は、とても素晴らしいことです。
ご自身の分析から読み取れること
他者評価への過度の依存: ご自身の価値を他者の評価に委ねすぎている状態です。
悪意のある者の策略への気づき: 相手の意図を的確に捉え、その策略に気づいている点は、とても鋭い洞察力です。
負のスパイラル: 他者の評価に振り回されることで、自己評価が下がり、さらに負の感情が生まれ、新たな行動へと繋がっていく悪循環に陥っている状態です。
なぜこのような状況になってしまうのか
自己肯定感の低さ: ご自身の価値を十分に認めていないため、他者の評価を求めてしまう。
過去の経験: 過去の経験から、他者の評価が自分の価値を左右すると学んでしまい、そのパターンを繰り返してしまう。
完璧主義: 自分に対して高い基準を設け、常に完璧を求めてしまうため、少しでも否定的な意見を受けると、大きな打撃を受けてしまう。/
完璧主義は虐待を回避するための防止だけどなー。
親の不機嫌、他者の不機嫌を避けるために「親の不機嫌になること」を避けようとすると、どうしたって完璧以上のマシンにならざるを得ない。じゃないとストレス発散のゴミ箱扱いを受けるから失敗が「できなくなる」んだ。怖いからな。
保育園幼稚園等でそういう失敗を恐れるガキんちょがいたら、児童虐待やストレス発散の暴力を受けていると疑ったほうがいい。
虐待のメカニズムを知らない、自らも虐待を行っている保育士がこういうのを見過ごすんだよな。知識も自衛力もなくて。
それどころか、暴力を普通だと思っている人間が教育現場に腐るほど多すぎて臭。