死にたい欲求はそのままにする。「変えなきゃいけない」プレッシャーを手放す。

◆解放テーマ 私は、私が解放すると、信じられないほど早く、驚くほど簡単に、最高に楽に解放することに心を開きます


・終わらせたい欲求(変わりたい、変えたい、変えなければいけない欲求)の定義

人生が辛すぎる。
生きるのが怖い。終わらせたい。
地雷原の心境で生きる。
自分が最大の敵だ。
小さな変化、決定に臆病に敏感に反応する。
人生が脅威にさらされているように反応する。
最悪の事態が起きることを待ち望んでいる。
次の災難を予期しながら、最悪の事態を願って、危険や対決に臨む。

・気づいたこと

死にたい。
このままでいたくない。
自分を殺すかあの男を殺したい。
生きていることがツライ。地獄だ。
男性二敗北した気分だ。痛々しい気分だ。
体を痛めつけられてボロボロの気分だ。
男が勝ち誇っているような気がする。
自殺か他殺の衝動の恐れ。自分がいつ「はやまったこと」をするか恐れている。
人間不信。物音が怖い。衝撃音や男性の声が嫌い。
自分はいつも狙われていて安心できる場所がないと思える。
突然、人生がぱったり終わることを待ち望んでいる。突然死んでしまうことをどこか待ち望んでいる。
灰のように消えてしまいたい願望がある。

気付きと定義の整合性は?

Gemini|ご質問ありがとうございます。「終わらせたい欲求(変わりたい、変えたい、変えなければいけない欲求)の定義」と「気づいたこと」の整合性についてですね。提示された内容を拝見する限り、定義と気づいたことの間には非常に強い整合性が見られます。どちらも、極度の苦痛、絶望感、そして現状からの脱却への切望という共通のテーマを表現しています。以下に詳細を説明します。

終わらせたい欲求の定義

  • 人生が辛すぎる。生きるのが怖い。終わらせたい。: これは、終わらせたい欲求の根幹をなす感情です。人生に対する圧倒的な苦痛、恐怖、そして終焉への希求が表現されています。

  • 地雷原の心境で生きる。: これは、常に危険に晒されている感覚、いつ何が起こるかわからないという不安を表しています。これは後述の「人生が脅威にさらされているように反応する」と呼応しています。

  • 自分が最大の敵だ。: これは、自己否定感、自己嫌悪感が極限に達している状態を示しています。自分自身が苦痛の原因であると感じていることがわかります。

  • 小さな変化、決定に臆病に敏感に反応する。人生が脅威にさらされているように反応する。: これは、極度の不安と過敏性を表しています。些細なことでも大きな脅威として捉え、常に警戒している状態です。

  • 最悪の事態が起きることを待ち望んでいる。次の災難を予期しながら、最悪の事態を願って、危険や対決に臨む。: これは、絶望感の裏返しとも言えます。もはや良いことを期待するのを諦め、最悪の事態を想定することで、心の準備をしようとしている状態です。

気づいたこと

  • 死にたい。このままでいたくない。自分を殺すかあの男を殺したい。: 定義の「終わらせたい」という欲求が、具体的な行動として表れています。自己破壊的な衝動と、他者への攻撃的な衝動の両方が示されています。

  • 生きていることがツライ。地獄だ。: 定義の「人生が辛すぎる」という感情を強調しています。生きていること自体が耐え難い苦痛であると感じていることがわかります。

  • 男性二敗北した気分だ。痛々しい気分だ。体を痛めつけられてボロボロの気分だ。男が勝ち誇っているような気がする。: これは、特定の男性との関係における敗北感、屈辱感、そして身体的な苦痛の感覚を表しています。定義の「自分が最大の敵だ」という自己否定感に加えて、他者からの否定的な評価によってさらに苦しめられている状態です。

  • 自殺か他殺の衝動の恐れ。自分がいつ「はやまったこと」をするか恐れている。: これは、自己制御の喪失への恐怖を表しています。定義の「終わらせたい」という欲求が、具体的な行動に移されることへの不安です。

  • 人間不信。物音が怖い。衝撃音や男性の声が嫌い。自分はいつも狙われていて安心できる場所がないと思える。: これは、定義の「地雷原の心境で生きる」「人生が脅威にさらされているように反応する」と完全に一致します。周囲のあらゆるものが脅威となり、常に警戒を怠れない状態です。

  • 突然、人生がぱったり終わることを待ち望んでいる。突然死んでしまうことをどこか待ち望んでいる。灰のように消えてしまいたい願望がある。: 定義の「終わらせたい」という欲求の究極的な表現です。自らの手で終わらせるだけでなく、自然な形で消滅することを願っていることがわかります。

このように、「終わらせたい欲求の定義」と「気づいたこと」は、絶望、苦痛、不安、自己否定、そして終焉への希求という点で完全に一致しています。気づいたことは、定義で示された概念をより具体的、感情的に表現していると言えるでしょう。

重要な補足

提示された内容は、非常に深刻な精神状態を示しています。自殺念慮や他害念慮が含まれていることから、早急な専門家のサポートが必要です。もしご自身、または周りの方がこのような状態にある場合は、ためらわずに以下のような機関に相談してください。
(ここまで)

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重要な点は、死にたい状態をムリに変えようとすることは「自責」「自己否定」になること。
早く回復しようとしたり、PTSD症状を早くコントロールして治療しなきゃいけないと思ったり、「変えなきゃいけない」「こんな自分やこんな状態は悪いものだから改善しなきゃいけない」「早く治療を終えなければいけない」など、変えなければいけないを手放す。

もしその状態がいいと思うのなら、その状態を受け入れる。

その状態が必要なのでその状態なんだから、その状態でいることを自分が許可できるまで、自分が導く。
手放すのは、症状や状態ではなく、「変えなきゃいけない」「早くどうにかしなければ」といった、変えようとすることを手放すこと。セドナメソッドはすべての質問に「今の状態を変えなくていいので、変えたいを手放せますか?」というメッセージで一貫している。

変える必要のないものは変えない。

いまその状態が必要だからその状態があるんだから、その状態はそのままでいい。自分もそのままでいい。そのままでいいと「変えなきゃいけない」気持ちを解放する。

だから私の場合の、PTSDもべつに直したり制御したりしなくていいし、死にたい欲求(死にたいと思う深刻な状態)も変えなくていい。
私はこの状態が悪いことだから、
「変えなきゃいけない(こんな状態じゃダメだ、早く回復しなきゃ、ちゃんと生きなきゃ)」
と思っていたので、PTSDを解消できなくてもいいから変えたいほうを方を手放す。
このフラッシュバックや相手への殺意も自分の自殺願望も回復ができていない状態もそのままでいいから、変えたいだけを手放す。
そうして「プレッシャー」を手放すと、ああそうだったんだという解放が起きる。締付けがなくなって、結果的に回復が早まるし焦りもなくなって、遠回りがなくなる。

変える必要のないものを変えず、変えようとすることを手放す、感じ分ける、その練習になっているのが、セドナメソッドでは「行き詰まり」「現状」についてのワークだった。

さいしょ、わたしはなにを勘違いしていたのか質問を読んでいると、
「変えなきゃいけないよ」
と言われている気がしていた。
だから願望を手放す方に必死で、うまくいかないほうがたくさんあった。
どうして解放できないんだろう?と挫折しそうになったこともある。
でもコツが分かればスムーズに進むことはわかっていたら、自分に身につくまで解放ワークは続けた。セドナメソッド本を投げつけたくなったことなんて何度もあった。
それくらい切迫していたのかもしれないけれど、ほんとうは、真逆だっんだた。変えなくていい願望を捨てようとして抵抗を強めていたのは私だったんだ。そうやって血縁者からずっと、願望の方を捨てるように強いられて、自分のやりたいことを捨ててきたんだって、そういう習慣があの期間で出ていたんだってわかった。
あいつらは、血縁者の生存先祖たちは、私に願望を捨てさせて自分たちの思う通りに動かすことに躍起になっていたんだ。わがままだ。わがままだと願望を捨てさせて、自分たちの願望を私にねじ込んで、これがおまえの叶えるべき願望だと押し当てて、いい気になっていたんだ。
ああ、にくたらしい。

抵抗が強いものは、「変えなくてよかった」ものだったんだ。

もし承認されたい状態に変わろうとしているのなら、承認されたい欲求を手放す。
もし死にたい欲求をもちつづけたいのなら、「死にたい欲求を変えようとする」ほうを手放して、死にたい欲求を保留にする。
これだけでパーっと曇天に晴れ間が出てきてすっきりした。

摂食障害やダイエットで悩んでいる人も、変えなくていいものを変えずに、変えようとすることを手放せば案外するっと解放されるんだろうな、という事例をいくつか見てきた。
変えなくていいことを変えよう、変わろう、変わらなきゃ、とするからプレッシャーで反対方向にしがみついてしまうんだな、と。

ゲーム中での精神的な患いについてすぐ治るってお医者さんに言われたよという登場人物の発言に、そのブログ主は、「そんなかんたんに治らないよ」って言う人がいた。
そういう人は病気をシェルターにしているから「すぐに治したくないんだな」と私は解釈する。
早く治って都合がいい人は早く治すほうを選択する。抵抗が少ないかrら。
けれど、すぐに治るわけないじゃん言う人は「その病気の状態がその人を守っているので、その人は手放したくない。それは抵抗と反対ある、願望だ。
暖房は誰でも手放したくないものだ。抵抗が強いから手放そうとするとますますそれに固執するようになる。だからいっそう、治りが遅い。一生治らない消えしてくる。

外への言動にたいして反論するときって、すぐに治さなきゃいけないプレッシャーを感じて、その反動で反発言動に入ったな、とわかる。
抵抗(反発)力が強ければ強いほど、それは願望だ。その願望を無視して、やりたくない方へ自分を引っ張っているから、ついぽろっと「そんなすぐに治してどうするの!?」みたいな発言が出てくる。願望が漏れ出てくる。
そういった人の言動と行動は矛盾や不一致が見られると思う。
本人は気づきづらいけれど、そういうときにセドナメソッドや瞑想という手段がある。

他者の言動に対する反発からの自分の言動から「治したくない、治さないほうが都合がいい」ことが読み取れたりする。
本人は第一声に「そんなことない」とか、知ったかぶって「そうかも」なんて考えているふりして核心を突かれまいと振る舞うかもしれないが、絶対わかってない。
わかっていたらとっくに手放しているだろうから。願望の反対のその抵抗。やりたくないことをやること。変える必要がないことを変えようとする矛盾を。

それに正直、慰めってなんの意味があるのかわからない。あなたは悪くない、じゃなくて、
その状態はいまのあなたには変える必要がないのかもしれない、まず変えようとすることを手放してみたら?その後のことはそのあと考えよう。
とかのほうが私はいい。

抵抗が弱ければ今の状態は必要だと受け入れられる。でも受け入れられていないからどうしたらいいですか?とか人に聞く。
いまの状態に抵抗が強いのなら、やらなくていいことをやっている。変えなくていいものを必死に変えようとしている。それを手放す。今の状態を変えようとする方を手放す。

慰めなんて何の役に立つのか。変わらなくていいと思えるならいいけれど。慰めてもらって、変わらなくてもいいんだと思えたことはない。
すぐ、変わらなきゃいけないんだっていう意識に舞い戻っていたし、ずっと「あなたは悪くないよ」って慰められないのに無責任だなって思った。だいたい良い悪いで語らないでくれ。だからおかしくなるんだ。病気の状態がいいって人が「悪いものだから治さなきゃ」と余計に苦しくなって現状を受け入れられず、病気の状態に固執しながらえんえん苦しい苦しいと言い続けるんだ。

私がもしそれを相談されたら「へ〜そうなんだ」

だって悪いことじゃないから別に変えなくていいでしょ。
むしろなんで変えようとするの?だれかにダメって言われたから?自分がダメって思うから?
変えようとして苦しいなら変えなきゃいいだけじゃない。
かわいそうだ、悪い状態だって慰めたって、ずっと慰められるわけじゃないんだから、その人が変えようとする手を緩めてもらわなきゃ根本的解決に至らないから。
慰める相手にも責任がある。
単なる優しさじゃただ依存させるだけ。ずっと付き合えないのなら、その人が自分で対処できる方法を教えるのが建設的だ。
相談されたときに答えられるように、知識を知っておいたほうがいいじゃない。
お互いに人生の消耗が避けられる。それでもやろうとしない人はやって星だけの人だから突き放しても良しと私はしている。自分で自分を変えようともしない、ただ苦しんでいるだけで知ろうとしない、ただ他人に頼ってなんとかしてってやつは「変わる気がない」し自分でやる気もない。
そんな人にやる気にさせる時間と労力は、人生、時間、自分の喜びをなにもする気がない、人生立て直す気もない人に強奪させることだ。時間窃盗。突然の緊急じゃない電話も突然の緊急を要さない訪問も、時間窃盗!

そういう人は「変える必要がない」ものだ!


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