受け取る「姿勢」もだいじなんだな
いままで与えるばっかりで。
与える「姿勢」ばかり取っていた。
「与えたんだから欲しい」前のめりの姿勢を取っていたり。
受け取る姿勢があると、与えられる現象が起きるんだな。
たとえば家事や育児でいっぱいいっぱいな人は、「与えすぎ」ていて、「受け取る」ができていない。
「だっていっぱいいっぱいがんばっているんだからしょうがないでしょ!!」って姿勢になっていると思うけれど、それが与えすぎて、与えるものがなにのにがんばりすぎているので、「与えてよ!受け取るばっかり!」とピリピリいらいらしてくる。
「与えることをやめる」部分を探したり、与えるペースのなかに受け取るスペースを作ると「受け取れる」
「与えてよ受け取ってばっかりなんだから!」という前のめりの姿勢だと「与えなくていいのかな」と思われたり、「与えても受け取ってもらえていると感じないな」と思われていたり。
まさに突進しつづける人が受け取れる給水が目に入らず受け取れず、と。
はては本人が与えるばかりの姿勢で「受取拒否の状態」・・・イノシシみたいに突っ走っている状態になっている。
犬みたいにおすわりしてストップするか、猫みたいにぐでぐでして与えられたものを受け取るスペースをつくったり、受取の姿勢になると、意外とすんなり受け取れたりするらしい。
子供や自分に、
はやくはやくはやく!とか。
急いで!とか。
しっかりして!とか。
与えすぎです。プレッシャーになってます。
受け取ってください。受け取りの姿勢を取ってください。
犬がおすわりしていると撫でたくなるし・・・私は。
猫がぐでぐでしているとやっぱりなでたくなるし・・・私は。
受け取れる姿勢、受け取る姿勢ってのも大事なんだと。
彼らを見ていて思うし、与えすぎていると彼ら動物にも与えられるものも与えられなくなくて、与えたもらいたいばっかりになってしまうらしい。
癒やされたい、とか。癒やしてあげたい、癒やされて欲しいな、じゃなくなっちゃうんだよな。
それじゃ、アニマルファミリーもアニマルフレンドも疲れちゃうよな。
ほかにもギャン泣きして引っ付いてくる子供にいらいらするなら、怒ると与えることになるんで。反対に、甘えてみるのはどうだろう。甘えるのが苦手なら、なにもしないでみるとか。
甘えるのは受け取りの姿勢だ。小さい子供も受け取りたいときは甘えてくるように、それを真似て、小さい子供に疲れたからと抱きついてみるのもいいな、と思う。子供って優しいから基本的に。甘やかしてくれると思う。泣けば、慰めてくれると思う。親が泣いていると意外と涙が引っ込む子もいる。
けど、いつもいつも親に泣かれてちゃ子供が泣けなくなるので、やっぱり、与える・受け取る、その姿勢や意識のバランスなのだな。
与えすぎて疲れたら、受け取ってみる。受け取ってばなりで有り余っているなら、与えてみる。
泣く子供も泣く親も受け取りたいのだから、甘えてみればいいんだろうな、とふと思う。しっかりしすぎれば受け取ることがおろそかになって息切れするから。
受け取りと与えるのオンオフバランス感ってめちゃ、大事らしい。
なぜきゅうにそんなこと思うのか。
noteに投稿し続けてしつづけて、気付いた。
与えすぎる姿勢に。息切れが「ずっと与える姿勢」で受け取る姿勢を取っていなかったことからくる疲弊だと。
それで受け取る姿勢になるとなんとなくものごとの停滞が流れ始めたような。流れをせき止めていた土石の障害物が流されていくような、そんな「気」がしたので、自分の今度のためにも書いてみた。