「モノを考えること」とは、「便利グッズ」のことである。必要な人、不要な人がいる、ただそれだけ。
思考することがえらいことだとか、すごいことだと勘違いしている人が多い。過去のオレもそうだった。「オレはこんだけモノを考えて生きてる。あいつらは思考停止のバカだ」みたいなテンションのやつ、結構いない?マジで昔のイタいオレのことでもあるが。
生きる上で、思考することが必要な人と不要な人がいる。ただそれだけのことだ。キッチンの便利グッズと同じである。必要な人にとってはどうしても必要なのに、無くていい人にはまったく必要ない。
モノを考えることは、素晴らしいことでも、えらいことでも何でもない。オレは、「幸せに生きること」こそが素晴らしいと思う。そして、オレは自分にとっての幸せって何なのか?とか、幸せになるためには何が必要なのか?などを、普段から考えている。考えないことには自分の幸せが、手に入らないように思うから。
自分の幸せを邪魔するものの存在、逆に必要なものの存在、を明確に思考の中で振り分けていきながら、恒常的な幸せに近づこうとする。うまくいかない時の方が多い。でも、自分の人生をかけて取り組むべき価値があること。
一方で、まったくモノを考えなくても幸せに生きていける人もいる。それはそれで素晴らしいじゃないの。むしろ羨ましいとさえ思う。オレの血の繋がった兄はこのタイプで以前話をしてみたことがある。
兄ちゃんさ、幸せ?って聞かれたらなんて答えるの?幸せだよって言うね。じゃあ、兄ちゃんにとっての幸せってなんなの?………、いや、わかんね。じゃあ、何で幸せって答えることができるわけ?なんとなく。別にそれで良くね?
こんなやり取りで話は終わった。たしかに、それで良いよなと、思った。本人が幸せなんだから。
考えてる(つもりの)人間にありがちなこととして、他人に対しても考えることを求めるようなことがある。また、考えてる自分は、思考停止している他人より優れているとの、勘違いもありがちである。
もう一度言う。幸せに生きることこそが、素晴らしい。自分の幸せにとって思考することが必要なひと、不要な人がいる。キッチンの便利グッズと同じだ。むしろ、便利グッズ(思考)に頼らなくても済む人の方が、言葉にはできなかったとしても感覚的に自分の幸せのなんたるかを、掴めているのかもしれない。
思考という便利グッズなしでは、なかなか自分の幸せに近づけないオレは、それを必要とせずに幸せだと言い切れる兄のような存在に、憧れすら感じることがある。
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