原因不明の胸騒ぎについて、大切な2つの視点

原因不明の胸騒ぎが、たまにやってくる。こういう時、大切なことが2つある。

原因を探ろうとすることと、胸騒ぎを解決する行動を取ること。

はっきり言って、原因がわからなかったとしても、たとえその場しのぎであれこの胸騒ぎをやり過ごす事ができればいいと思う。病気と一緒で、病気の根本的な原因が分からず完治はできないとしても、症状を抑え込んで日常生活に支障がなければ生活はできる。

散々書いてきたことだが、オレの場合で言えば胸騒ぎの特効薬は文章を書くことだ。何も考えずにただ書く。書くことがなくても、「書くことがない」と書く。とにかく、紙でもスマホでもいいから、自然に溢れ出るに任せて文字を打つ。

誰の役にもなんの役にも立たない文章でいい。意味不明な言葉の羅列でいい。書くことがゴールであり、このゴールさえできれば不思議と胸騒ぎは落ち着いていたりする。

自分のバランスが崩れているとき、その原因が分かりやすい場合もあれば、そうじゃない時もある。いずれにしても、崩れたバランスを立て直す術を持っておけば、それでいい。バランスが崩れるたびにその術に頼ればいいのだ。

発作のようなもので、起こらないに越した事はないが、起こる時は起こる。しかし、この発作を抑え込む技術を身につけておけば、発作も怖いことではない。

原因不明の胸騒ぎが続く限り、言葉を吐き出し続ける。書き続ける。同じ内容のループでいい。そんなに何でもかんでもバラエティに富んだ文章が自分から出てくるわけはないのだから。「書くことがない」と、100回書いたっていい。

誰かを救うための文章じゃない。誰かの役に立とうとする文章ではないのだから。延々とループさせ続けとけば、そのうちに胸騒ぎは雲散霧消していく。経験でそれをオレは知っている。

最近は天気が安定せず、気圧の乱高下でメンタルを崩しやすい日々が続く。雨が降ったら傘を差せばいい。強い風が吹いたら壁に身を隠せばいい。そういう風にして、文章を書けばいい。

選択肢はいくつか揃えておくといいかもしれない。外を歩く、料理をする、鍋の焦げ付き落としをする、とにかく、没頭できそうな何かに没頭して、我を忘れることができるようなことがいいように思う。

瞑想を試したこともあったがオレには合わなかった。目を閉じて無になるなんて無理。あれこれ次々に考えてしまって余計憂鬱になった。修行が足りないのかもしれないが、体得するのに修行が必要なことはそもそも向いていないらしい。

修行もなにも要らないことをやる。文字を書くなんて、誰にだってできるのだし、修行なんて要らない。書き散らかすだけでいい。悪口でも愚痴でもなんでもいい。自分を褒めちぎる言葉でもいい。とにかく吐き出す。走行しているうちに、根本的な原因は解決しないにせよ、発作的な胸騒ぎは落ち着く。

それでいい。大切なのは、今を生きる自分のバランスだ。先のことなんか知ったこっちゃない。先になんかトラブルが立ちはだかったらまたその時に対処すればいい。大切なのは今、この瞬間の自分だ。

自分を守る技術を身につけておくこと。何か一つやってダメなら他の選択肢を探してみる。誰にだって別に頑張りませずにできることはきっとある。原因不明の胸騒ぎ。上等だ。いつでも襲いかかってこい。その度に書き散らかすだけだ。

あ〜、金麦飲みてぇなぁ