自己嫌悪は非生産的か否か
こんにちは。note民の皆様は今日も元気に自己嫌悪の感情を抱いているいるでしょうか?
“文章を書く”なんて行為は無駄な事を考えすぎてしまう人間の為の救済処置みたいなコンテンツで、そんなコンテンツに従事して無駄な事を考えすぎる癖を何とか生産的な行為に昇華させようと奮起している皆様は、自己嫌悪の感情を抱きまくってることでしょうナ(大偏見)
三島由紀夫もこんなことを言っていますが、まぁ彼も最終的には自殺で生涯を終えてるわけですからね。
FFさんの記事を読んでいると、以下の文章が目に留まります。
僕は芸術の分野に対する教養は限りなくゼロに近いので、的外れな事を言っていたら申し訳ないのですが、
この記事では、自撮りを撮りその自撮りの自己嫌悪を感じる箇所を訂正していくことで綺麗な作品が作れるんじゃないか?といったことを試みた様子が書かれています。
精神は削られはしたものの、良い感じの作品が作れたとのこと。詳しくは座標000氏の記事に飛んでください。
座標000氏は「モデルやボディビルダーは毎日これの消去に努め〜」と書いておりますが、モデルやボディビルにおいては、自己嫌悪を強く感じる人間の方が向いているんじゃないかと思ったわけです。
自己肯定感が高く、自身の肉体に満足感を感じているボディビルダーと
自己肯定感が低く、
「筋肉に左右差がある……」
「俺は大胸筋が弱いんだ……」
なんて自己嫌悪かましているボディビルダー、どちらがコンテストで勝つかと言われれば、後者だと思うんですよね。ここでいう自己嫌悪って言い換えれば「自身の弱点によく気がつく」ってことですから。
またモデル、美容関係におきましても、自己肯定感が高く自身の容姿に満足している人よりも、自己肯定感が低く「中顔面が〜」「骨格が〜」なんて自己嫌悪かましながらTwitterの奇形界隈(馬鹿にしているわけではなく、本当にそういう界隈があるのです)に張り付いている人の方が美容に関する知識は格段に高いでしょうし、自己研鑽を積んでいくうちに自己肯定感が高い人より単純な美しさで勝るなんてこともありえる。
僕は中学時代醜形恐怖症を発症し、それはまぁ自分の容姿に酷い自己嫌悪を感じメイクを始め、鏡を見て号泣しながら、悲しくて涙が出ているのかアイプチの二重線を作る用のスティックが自身の眼球をゴリゴリと刺激して涙が出ているのかわからないような状態で顔面グシャグシャにしながらメイク技術向上に力を注いでいた時期があるのですが、そこらの男性よりかは確実にメイク技術がある自信があります。何も誇れることではございませんがね(号泣(中学時代のメイク中を思い出します。何枚鏡割ったことやら……
まぁ幸福なのはボディビルにしても美容にしても前者の自己肯定感が高い人なんでしょうがね(笑)
でも、身体的、造形的な素質が全く同じだとして、どちらの精神状態の者がコンテストで上位に食い込むかと言われれば後者でしょう。
これらのことから、自己嫌悪って感情は一部の分野に置いてはプラスに働くことも無いでは無い。
ボディビルや美容なんかは、自己嫌悪が強すぎる人の救済になり得るんじゃ無いかと思うわけです。つまり自己嫌悪は非生産的か?
否‼️生産的なんだ‼️
……でもね、この記事を書くにあたって、最初はタイトルを
「美容整形とボディビルに共通する“狂気”」
にする予定だったんですよ。座標さんの記事を読んで変えたわけですが。
このタイトルじゃ僕の記事を読んでくれているメイン層の精神を病んでいる系の人達はクリックしてくれなさそうですからね……
自己嫌悪が強く、ボディビルにしろ美容にしろ自分を改造しようと力を入れ込んだ時、どんな界隈でも“狂気”が宿ると僕は思っています。
ボディビルダーが使用するステロイド(筋肉増強剤。様々な副作用や死亡リスクもある)
常識を逸脱した、失明しようが骨折しようが構わないといった自傷行為のような気の狂ったトレーニング……
美容に力を入れている人が使用するマンジャロ(本来は糖尿病治療に使用される皮下注射剤。ダイエット効果が望めるとか……)
顔面の骨を切るような大掛かりな整形手術……
こう、自身の健康や寿命なんかを賭してでも、自分を改造しようという“狂気”が生まれてくる。自己嫌悪がそこまで酷く無い人間なら「健康を賭してまでそんな……」とストッパーがかかるんでしょうが、強い自己嫌悪を抱えて生きている人間にそんなストッパーがあるかは疑問であります。
こうなってくると、一般的な幸福からはどんどん遠ざかっていっちゃうんじゃ無いかなと思う。ボディビルなんかは体育会系の色が強いですから、ステロイドを指す隠語として“覚悟”なんてものがあったりと、自身が“狂気”側の人間なんだというのを承知の上でやっている人が多いような印象を受けますが、美容なんかは自身が時既に“狂気”にいることに気づいていないような人も多いように感じます。
果たしてこれは生産的なのか。何をもってして生産的というかにもよりますが、一般的な幸福を得ることを生産的というんであれば、自己嫌悪を抱えて健康を賭すような過度な自己研鑽に励むことは非生産的とも捉えられます。
狂気の先に栄光は待っているのか?否、待っているのは大抵の場合破滅です。
私はアンチドーピング意識が強いのです(話に関係があるのやら無いのやら……)
仏教では嫉妬や怒りに支配された人間は死後修羅道という世界に行くとされています。神々と同じような力を持てる代わりに、常に戦いを強いられる苦しい世界とのこと。
ま、私は創価3世なので仏教のことは詳しく知りません(爆笑)
強い自己嫌悪を抱えている人間は現世で修羅道を歩んでいるように感じます。自己嫌悪が強い故に日々自己研鑽に励み、特定の世界で神のような力を得れるが、常に戦いを強いられ苦しいと……いや、神のような力を得られればまだ報われますが、得られない人間がほとんどでしょう。
でも、やるしか無いんです。自己嫌悪を抱えていますからね。
結局、自己嫌悪は非生産的なのか否か、どっちなんだい⁉️
結論わかりません(??????????)
生産的にも非生産的にもどっちにもなりえます。生産性の定義が、世間一般的な幸せなのか、狂気の先にある栄光なのかは人によって違うでしょうが、自身の定義する生産性のために、自己嫌悪の感情というのをうまく飼い慣らさなければいけませんワナ。
「わからない」と開き直れば良いだけのことを、こんな長ったらしい文章にしなければいけないほど、私が非生産的な人間だということだけは確かですね😅