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マイスリーなんかトイレに吐き捨てろ

夜の精神病棟ってのは、基本的に世界で一番陰鬱で退屈な場所だ。
稀に統合失調患者が私には見えない「お友達」とパーティを始めたり、鬱病患者が泣き叫んだりと楽しげなイベントも起こらないではないが、大概の患者は睡眠薬で強制的に眠りにつかされており、動いているのは壁掛け時計の針くらいのもんだ。
病棟の夜を支配しているのがこの“睡眠薬”
夜の精神病棟では睡眠薬が王様で、患者はそれに支配される奴隷だ。

幼稚園児にオヤツを与えるかのような態度で看護師が俺に差し出してくるのは、睡眠薬マイスリー。小さく無機質なこの物体が、俺の脳みそを濁らせて意識を奪う。

マイスリーなんか大嫌いだ。13歳で反抗期真っ盛りの俺には、なんだかコイツが「俺を無理やり眠らせて支配する象徴」のように感じれて、大人しく睡眠薬という王様に服従するのが悔しくて仕方がなかったんだ。
今思えば俺の反抗期は特殊だった。健常な中学生は、支配の象徴として親や教師をあげて校舎の窓ガラスを割ったり、盗んだバイクで走り出したりするのかもしれんが、俺の支配の象徴は睡眠薬だった。

精神病棟の看護師は
「はいアーン」
と患者の口にライトを突っ込み、きちんと錠剤を飲み込んだかを口内の隅々まで確認する。服薬を拒むなんて至難の技だ。
だが、俺をそこらの素人……いや健常者と一緒にしてもらっちゃ困る。13歳ながらに達人ガイジとしての自負を持っていた。
口に錠剤を入れた瞬間、舌の裏に器用に滑り込ませる。水を口に含み喉をならせてみせて、まるでしっかり飲み込んだようなフリをする……
「よし」
看護師がまるで機械の点検をするかの如く頷いて次の患者に向かった瞬間、俺の“反抗”は達成される。
シャバの13歳が教師に反抗する時に感じる快感を、俺は薬を拒むことで得ていたんだ。

看護師が去ったことを確認したのち、俺はトイレに駆け込みマイスリーを吐き出す。いや、叩きつける。
「俺にはこんなもん必要ねぇ」
ってなもんだ。
便器の中でプカプカと浮かぶマイスリーを眺めていると、病棟内での小さな反抗を実感する。
この小さな反抗が、大人に逆らう力のない小さな13歳に唯一許されたものだった。
今だったら病棟のドアを腕力でブチ破るくらいは試みるだろう。

………シラフを保ったままで精神病棟の夜を過ごすのは酷く苦しい。病棟の天井は低く、夜の空気はどこまでも重い。でも、無理矢理にでも思考を保ち、病棟の窓から見える夜空を眺めてまた学生生活を送る希望をなんとか見出す。夜空が滲んで見えるこの視界が、俺にとって唯一の救いだった。

マイスリーなんか飲んだら、それすら奪われる。シラフを保ったままの夜の病棟は酷く退屈で苦しいが、俺が眠る時は俺自身の意思で眠る。薬に飲み込まれるくらいなら、目を開けて孤独な夜を受け入れる方が心地良いとさえ思った。

マイスリーなんかトイレに吐き捨てろ。

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