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我慢しないで。でも、我慢して。
俺が与えてやったんだぞ
と映画の中の彼は言った。
彼の思う"幸せ"を。
このシーンを観て、私は母を連想した。
自分勝手だと私に罵声を浴びせた母を。
どうも、再び母をブロックした者です。
喧嘩をしてブロックしては仲直りを試みる.....を繰り返しています。
先日も勃発した口論の末、LINEとインスタをブロックせざるを得ませんで。。
ここ最近、少し変だと感じる兆候があった。
少し異様なので、母の更年期がそれを引き起こしているのかと思っていた。
(現にそれが助長させている可能性は大いにある)
今年の8月、私は家族の住む海外に帰った。
私が日本に帰国して8年も帰っていないことと、私がストレス過多で退職したタイミングが重なったことで叶ったので、私の中でこの旅はリトリート/慰安のつもりだった。
私の帰る場所は一般的な実家とは違い、ステップファーザー、その母と私の母の3者が同居している家だ。
グランマ(義父の母)はおそらく認知症で、それもだいぶ進行しているのだが(なぜ医者に行かない/行けないのかは色々あってだな....)、話を聞いていたとはいえ、実際に1日中テレビの前で座り続け終いにはそこで眠りこけてしまう様子や、ベランダに出て異常なほど鳥が集まるまで餌を与える姿を目の当たりにするのは結構ショッキングだった。
そして、それら問題を解決できそうにない義父とグランマの関係性や、それまでにあった出来事や私の母の感情や想いなどが入り混じるこの空間に居るのは、あまり居心地のいいものではなかった。
さらに言うと、実はこのリトリート(笑)の最中に自分が糖尿病であるかもしれないことを発見し(実際1型だったのだが、退職し国保申請する前に旅立ったので医者に行けず)、そのモヤモヤを抱えながら食事の制限やコンディションに対する不安が募り、なかなかにストレスフルだった。
そんな状況下で、グランマの行動に対して母が私に【またやってる...】や【あーあ...】と言っているような目配せを送ってくることが多々あって、それが次第に嫌になった私は「それが馬鹿にしているようで気分が悪いので、グランマを助けないならやめた方がいい」と伝えたのだった。
これに対して母、大激怒。
助けたくても助けられない状況(例の彼ら間の確執)がある上で出来ることはしてきた。自分は馬鹿にしているのではなく、どうしようかね..つらいね... そういった思いの表情だった。
それなのに、あなたは私のことをそういう目で見てたの?
私が人を馬鹿にするような人間だと思ってるから、そういう風に見えるんでしょ、と。
別の時に、妹と母と3人でドライブに行った時にも色々あったのだが、やはりこれに対しても、自分を馬鹿にしているように感じたと言う。
また、今回のブロックのきっかけとなった口論では
あちこちに首を突っ込んで、彼女なりに物事が”うまくいくよう”にさせようとする、このいわゆるお節介を私が「根回し」と表現したことに対して激昂。
わざわざ根回しという言葉を使ったのは、以前にこの話題で母と直接話し合った時に使ったからで、しかもこの時もうしないと母は約束した事実があったからあえて、約束したのにまたやってるね?と伝えるためだ。
リトリートとなるはずだった旅が、思いの外多くのことが起こりすぎていて、心が休まるどころかモヤモヤが溜まっていく一方だったし、
今回のブロック口論だって解決したと思ったことをまたやってんの?という気持ちがあったからなのだが、
そんなことより、自分が娘たちに馬鹿にされていると感じる
これがどうも引っかって仕方ないらしい。
確かに、妹はかなり過激で、彼女の怒り方は強烈だし、大抵の場合逆ギレのようには見える。
それを日頃から受けている母をかわいそうに思っていることも事実だ。
私に至っては、インチャヒーリングに努める中で今まで封じていた感情が爆発することが多々あって、ブロックしたりもするのでそれもこたえるだろう。
正直、娘2人が今更反抗期みたいで母を哀れに思う気持ちは強く、ごめんと思いながらも今までの我慢してきた感情を爆発させてしまうのだ。
ここで違和感に気付くだろうか?
ヒントは:
我慢してきたのは、なぜだろう?
インチャヒーリングのワークスを行うにあたり、私が生まれる前から自分の記憶があるまでの環境などを母にインタビューする機会があった。
母は渋ったし、今でも何かとインチャよりも「イマココ」が大事と言って掘り返すのを嫌がる。
しかし、どうにか説得した上で叶ったこのインタビューは2年近く前に行われた。そして最近その時のメモを改めて読み返すことがあり、それを読んで私は涙が止まらなくなってしまった。
それと同時に、恐怖を感じた。
母と父が出会った時、父は既婚者で妻子持ちだった。
前妻との離婚を前提に母に近づいたのだったかは正直思い出せないのだが、フリーの者同士のシンプルな付き合いでなかったことは明白で、母は私を身籠ったとき「父と結婚できないならせめて子どもが欲しい」と思ったそうだ。
これを聞いた2年前は今よりはるかにインチャが傷付いていたので、”自分が望まれて生まれた”ことにホッとするまであった。
しかし今聞いてみると、まったく違った印象を持つ。
父と一緒になれなくても子どもがほしかったなら、父と事実上"離婚"することになっても、何があっても、ほしいからと覚悟を決めて産んだのだから、言ってしまえば問題にならなかったのでは?
父と結婚できない(何にも縛られていないのだし、前妻との関係性を見てもいつか居なくならないとも限らない)のに、その先をしっかり計画していないのは覚悟が足りておらず、その場では「産みたいと」と思ったにせよ、そして父との別れが辛く過酷だったにせよ、最後まで責任を持てないのは自分の甘えじゃないのか。
余談だが、
世の中には選択的シングルマザーという生き方を選ぶ女性がいるが、私はこれにはまったくもって反対していない。父がいない子どもがかわいそうだとは思わない。両親が不仲でも子どもが成人するまで...と我慢して家の中の雰囲気が悪い方がよっぽど子どもにとって悪影響だと信じているからだ。
あたかも計画的に進めて望まれて生まれたように聞こえる私の登場はしかし、彼女の”覚悟”とやらをゆうに超えたようだった。
案の定、夜泣きが激しかった私には散々参ったらしい。
もちろん母という仕事がいかに大変か、夜泣きがいかに体力と精神を削るかは承知の上で。父と結婚できなくても子どもがほしい。そう思ったのは、あなたですよね?
あまりに夜泣きがひどくて私を車の中においてくることもあったそうだ。
言いたくはなかっただろうことをシェアしてくれたことには感謝する。でもやはり、それは子どもに関係あるだろうか?
覚悟決めていても子育てが大変なのはわかる。
でもそれは、子どもに責任があるのだろうか?
やっぱり自分の私利私欲のために産んだんだ、と思ってしまった。
自分らが"勝手に"覚悟を決めて、"勝手に"私たちをこの世に産み落とした。それを、産んでみたら思いの外耐えられなくて、やっぱりキツイですってなるのは子どものせいではない。
さらに母と祖母の関係性はあまりよいものではなかったようで、早く家を出たかったそうだ。こういう場合は大抵、母親に不満があるから自分はもっとマシな家庭を築いてやろうという仕返しの念を孕む。
とすると、「この子どもがほしい」が果たして純粋な想いかどうかも分からなくなってくる。
では、疲れ果ててしまった全マザーを責めたいのかというと、これは違う。
このインチャヒーリングは、なぜ私がこんなに自分の存在意義を見出せず自分に自信が持てないのか?この根幹を癒し、それらが招く理不尽な事態、さらには万が一自分が子を産んだとして、続くであろうサイクルを絶ちたいといった想いからくる。
認めてほしいのだ。
きれいごとを言って母親として正しいと自分を肯定したい気持ちばかりが先行していたかもしれないことを。
考え直してほしいのだ。
生まれる前から生まれるまで、そのずっと後まで、心底から私をありのまま受け入れ、大事にしたかどうかを。
だから、
1歳に上がる前に妹を身籠もられて以来、妹を超えてまで甘えることを遠慮して、常にヒステリックな母を前に我慢に我慢を重ねてきた結果いま爆発している感情を「自分勝手」と言われ、挙げ句の果てには「自分が馬鹿にされているように思う」からとキレられて、ああやっぱりか、と思った。
自分が掲げる「理想の家族像」が成立していないことに勝手に落ち込んで、慰められたいんだ。
悪いのはママじゃないよ、って言わずにいられない私のナイーブさを利用したいんだ。
やっぱり私より結局、自分が大事なんだ。
我慢してきた感情をようやく解放してインチャをヒーリングしたい。そう言っても、それが私が生きやすくなるならと思うより前に、自分が責められる恐怖が先行する。
me me me だから、
私がノーといえば、自分勝手だと罵られる。
私は、あなたの都合のいい所有物じゃないのに。
映画の中の主人公が現実に帰ろうとした時、後ろからそれを優しく引き止める彼がいた。
あんなに罵声を浴びせて、精神的にも肉体的にも追い詰めた彼が。
変わらないことへの甘い誘惑。
私は、再びその甘い問いかけや涙に向き合った時、またたじろぐのだろうか。
泣かないで、ママのせいじゃないから。
そう言ってまた自分の存在価値を母の所有物とラベル付けする許可を与えてしまうのだろうか。
怒りと悲しさでいっぱいなのに、頭の隅で、母を傷付けずに自分の想いを伝える方法を模索している自分をしばしば見つける。
ママのせいじゃないから。
そう言ってまた我慢しようとする幼い自分がいる。
もう我慢しないで。
ママが泣くのは、あなたのせいじゃない。
ママを治すのは、あなたの役目じゃない。
我慢しないで。おねがいだから。