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相手の立場に立てる運転手


ハワイには車が1人につき2台ある計算で車で溢れており、渋滞がひどいことで知られている。

そしてハワイ時代私は車を持っていなく(今もないけど)、交通の手段はバスか友人の車に乗せてもらうことになるが、それ以外は当然歩くことになる。

歩くことは苦じゃないし、むしろ好きだったのでそこは全くもって問題ないのだけど、問題は

車の運転手の態度

免許はあるし運転したこともあるのでわかるのだが、自分の空間(英語ではバブルとも言う。自分を覆う膜があることの意訳)を持っているわけだから、それなりに心地よくなって、それなりに横柄になって、それなりに態度が悪くなる、といった具合なんだろうとは大体想像できるんだけど。

ハワイの運転手の態度の悪さは正直、日本人が想像するアロハ〜なイメージとはかけ離れてると私は思う。
それか、単純にそういう悪い運転手を周りに引き寄せていたのか。。

例えばね。
信号のない横断歩道で歩行者を渡らせるのが交通ルールですよね。

それを当たり前と思ってふんぞり返ってるわけでは、もちろんないですよ。

なんなら日本では会釈は絶対するし、ハワイでは顎で挨拶していた。(これはハワイでは挨拶で、決して失礼ではない!Thanks ah!の気持ちである)

何にせよ、私は渡らせてください〜といった態度で車がアプローチ中の場合は待っているし、止まってくれて渡っている間もせかせか歩くしだな。
一応気を遣って生きているわけだよ!

1回本当にあと一歩行けば轢かれていただろうなと思ったことがある。

信号のない横断歩道。普段通り、無茶な渡り方はしない。
車のスピードと距離を見ながら慎重に渡るし、当然注意は怠らない。運転手の気持ちや観点も理解できるから、総合的に考えて行動している。

渡り始めて気づいた。この女見てねえな

「渡ってますよ」の意図を伝えるために運転手と目を合わせることをハワイでは特に心がけていた。何故なら前を見ながら手前を見ていない人がいるから。

あとはスマホを触っているだとか、脇見だとかも含め、歩行者が目に入っていない可能性を加味しての安全対策。自分を守るための行動。

この女見てねえな?と思ってから歩くスピードを緩めても車のスピードは落ちない。

ついに私は横断歩道の途中で立ち止まり、目の前をスピードを一切緩めずに過ぎていく車の運転手とすれ違いざまに初めて目が合う。

やっば

と思ってるのが見てわかる表情。助手席には幼い子ども。


何度も言うが自分も運転はしたことがあるので、なんとなく気持ちはわかる。おそらく

慣れ始めて心地よくなる → 当たり前になる → 調子に乗り不注意・横柄になる → 態度が悪くなる

ここいらあたりかな?と時間も経った今なら冷静に分析できます。(7年くらい前だぞ?)


何故この話をしているかと言うと。

相手の立場になって、という言葉があります。
人生で一度は聞いたこと、言われたことや言ったことがあると思います。

それは、自分の意見も持ちつつ、相手の意見も尊重することで可能になると思う。

私は、運転席でよくイライラする人を知っている。

そしてその人の運転する横の助手席からこれを見てて思ったのは、この原因ってきっと

相手の気持ちが分からないから、知ろうとしないから、自分勝手な考えに振り回されてイライラしているのではないかと思ったの。

この人は、運転の時以外でもその姿勢がよくみられた。
自分軸があって素晴らしいと思う場面もある中、ただ自分勝手になっていることの方がだんだん目立ってきて最近では会わなくなりました。

「自分勝手」と定義した出来事の中身は大体、なにか不足の事態に陥ったり、自分のペースを乱された時に間髪入れずに相手を罵倒するといったこと。

ちなみに、自分軸と自己中の違いがたまに難しくなるのですが、そこの明確な違いは

自己中は、他人に迷惑をかけることです。
自分を見てほしいという承認欲求や不足感、相手への依存もここに入ってくるらしいので、それも判断材料にお使いくださいませ。(ペコリ)


一旦お互いの立場になって考えてみるだけで、
一旦余裕のある心で相手の観点から見てみるだけで、
みんなが暖かくて優しい関係をもてるんじゃないのか。

車を運転してても、自分が自転車なら、歩行者ならどう思うか?
自分が歩行者なら反対に、車側からはどうだろう?

そんな小さな当たり前のマナーがみんなの安全を守るんだから、どうしてそれを日常に当てはめてまず否定から入ることや、受け入れようともしない姿勢がいかに危険かを認識できないんだろう。

あの時の運転手は、長年自分が運転席にいる側でいたからか、歩行者側の恐怖を想像しようともせずに運転していた。

だからきっと、自分が事故を起こすのではという緊張感も出てこない。

それ以前に、誰かを傷つけてしまう可能性があることを十分に承知していたなら、利便性の裏に大きな責任感が生まれていることを理解していたなら、

その時点で相手の立場に立てているはずで、思いやりが生まれているはず。


車の運転というところでの話でしたが、
相手の立場から物事を見ることは日常のいろーんなところで大切だと思う。

自分が意見を持つことや芯があってマイウェイをいくことが問題と言っているのではなく、それがある上で周りにも人がいることを忘れていませんか?ってことでした。

みなさんも、ぜひ横断歩道を渡る時は、運転手と目を合わせることを心がけてみてください。

私は自分の身を守りますよ。あなたはちゃんと私が見えていますか。認識できていますか。

と目で訴えてくださいね。

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