地球は生きている
歌うことが好きで、何かしながらその場でテキトーな歌を作ったり、
好きな曲を口ずさんだりすることが多いのだけれど
昨日はシャワーで急にポカホンタスの曲を思い出して、歌ってひとりで号泣。w
号泣したことにちょっと笑っちゃったけど、でも何気なく歌ったこの曲の歌詞をよく思い出してみて、その理由は明白だなと思った。
わたしは幼少期に海外に住んでいた帰国子女だったので、家で観るディズニー映画はすべて英語だった。
当然ディズニー映画特有の曲もすべて英語で聞いてきたので、
英語でしか覚えていない。
これでよかったな〜と今回すごく思った。
興味本位で日本語版の歌詞を読んでみて思ったけれど、
やはり限られたスペースの中で言葉の運びをうまくはめ込むとなると削るほかないもんな。
以下が英語の歌詞:
Colors of the wind
最初の「savage(野蛮人、未開人)」のくだりは割愛します。
ポカホンタスは、白人とネイティブアメリカンのお話で、先住民族と侵略者の対立といった非常にセンシティブな歴史に触れています。
あまり深掘りすると、いまでも続いている悲しく悔しい闇の歴史をあんなふうに恋愛ものにして、とか、史実の悲惨さをまったく馬鹿にしているといったところになってしまうので、今回はこの歌詞から感じたことだけをシェアします。
「わたしは、すべての石、木や動物に
命が宿っていて、魂を持っていて、名前があることを知っている」
ここの「名前がある」
当然のことだと思うかも知れないが、名前をつける以上そこに魂が宿っていると感じるのは日本人の「言霊」といった観点からみると、とても深い響きをもった文だなと思います。
「あなたは、自分と同じような見た目と考えを持った人だけを人間だと思っている
でも、知らない人の足跡をしっかり辿ろうとすれば(相手の立場に立てば)
知らなかったことを学べるはずよ」
この歌においてこの文は白人が先住民族に対して「未開人」と呼んだことに対しての反撃ですが、
これって人間同士だけの話じゃなくて、例えば相手が動物や植物や物でも、すべて命の宿ったものだと考えれば、全く違った物事の見え方ができると感じました。
「あなたの周りに溢れている自然が与えてくれた豊かさの中を駆け巡ってごらん
今までいかにその価値を考えみなかったかを知るわ(それを当たり前と思う)」
「天候も自然も動物たちも、わたしたちは皆お互いと繋がっている
ひとつの円の中、永遠に途切れない輪となって」
「この大地を手に入れても、その声に耳を傾けられなければそれはただの”土地”でしかない」
特にぐっとくる部分を抜粋してわたしなりに訳してみました。
いま生きている自分以外の人々と、
動物や植物や大地、あらゆる生き物と
この地球に住まわせてもらっているという感謝の心を忘れちゃだめだ。
人間がイチバンと思うのはとにかく勝手だ。
あらゆるものは生きているのに
相手の声を聞こうとしないのはなぜか?
この地球は生きている。
土地の所有をめぐる人間間のいざこざの前に、
人間以外のものが、単なる「モノ」で自分以下だと思う前に、
動物や、虫や木や、石や大地は人間と同等で
同じく声を持っていて同じく地球に住む命。
心もあるし、
命も宿っているし、
魂を持っている。
名前と声がある。
だから、
ちゃんと耳を傾けて、当然と思わずいかにありがたく感謝すべきことかを忘れずに生きていこう。
地球は生きているよ。
わたし最近、職場からの帰りの電車で外を眺めるんです。
ここ数日だいぶ日が伸びて、ちょうど太陽が沈むのを見られるところを通るの。ゴルフ場だから抜けてて、川も流れてて、それはそれは絶景で。
ああなんて美しいの地球ってすごい思う。
そしてその美しさに感嘆していると、涙が出そうになる。
申し訳なくなるから。
勝手に住んで、勝手に争って、勝手に汚してごめんなさいって思う。
地球は自浄作用があるっていいます。
でもそれが追いつけないほどにわたしたちは汚してめちゃくちゃしていると思います。
わたしもその1人で、便利な生活に依存して、地球を傷つけることに加担している。
自分を責めるのが正解なんじゃなくて、
どう考えて生きるかがすごく重要だなって最近思うんです。
ありがとうって、ありがたみを持って生きるだけで、
相手が自分と同じように生きていて命が宿っていると思うだけで、
ぞんざいに扱うことは減るはず。