美しい本を読むと悲しくなる季節
最高に美しい物語の最後の一文を読み終える。その後ろに続く空白に胸いっぱいになりながら春の木漏れ日のような彼らの未来に想いを走らせ、本を閉じた瞬間幸せな気持ちと同時に悲しくなる。
これはこの世にはない、全部嘘なのだと。
私はずっと騙されていたのだ。
紙の上で踊る夢だけを見つめ続ける、ずっと騙されていたい青春のエゴに自分という人間の本性を探る。
いつまでも暖房設備を整えないせいで冷え切った部屋に丸くなり、外に出て残酷な強風を呪う度に春の訪れを待ち焦がれるのに春が怖い。春は死ねばいいエモい卒業ソングとかいらん。開花して綺麗な瞬間など一瞬で儚い。お前の花弁の染まり具合や凛々しさなんてクソどうでもいいのだ。春はいつだって頭がおかしくなる季節で、螺旋階段の底に巨大な生物が待ち侘びている。
そんな現実を丸ごと飲み干した後に音楽を聴きながら街を歩く。いつもどんな風に見られているのか、顔が変だとか姿勢がおかしいとか思われていないか他人視線を気にしながら、それと同時に誰もお前など気にしていないよバーカ、と靴を鳴らす。空虚を見つめながら思考に線を描く。図書館のカウンターまで行って本を返す。また今日も「ありがとうございました」ってきちんと滑らかに言えなかった。そしてまた音楽の世界に戻る。さっき読み終えたばかりの本の世界と今の自分の心の体調にピッタリな音楽を探す。本ではもっと幸せな結末だったけど、音楽ではちょっと切なく悲しいものを選ぶ。都合いい解釈、冷たすぎるミルクを一滴だけ垂らして、それだけで救われる時間がある。ずっと騙されてたい街の音楽は棘を降らせる、爪を磨く。
自分に合った心療内科を探さなくてはいけない。その前にやらないといけないこともある。
春は最高に気持ちよくなれるから大嫌いだ。
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