【SS】恐怖の霧 (3094文字) #シロクマ文芸部
霧の朝が再びやってきた。霧の朝はひどい雨が降った翌日にやってくる。村人は扉を閉め窓を固く閉ざして、できるだけ霧が家の中に入って来ないようにしている。じっと息を殺して誰もいないフリを装っているのだ。特に若い娘がいる家では、娘の口に手を当てその気配を懸命に消し去ろうとしていた。この霧はどこからともなく突然にやってきて、若い娘を忽然と攫っていくので村中は恐怖に包まれることになる。
毎年一度は濃い霧が村中を包み込む朝がやってくる。そして若い娘が一人、霧に連れ去られていく。村人は何とかして争おうとしたが、抵抗した者はことごとく首を掻き切られて一瞬で殺されてしまっていた。それはまるでカマイタチの仕業のように鋭い刃物で斬られたような傷跡を首につけられ、声を出す暇もなく息絶えるのだ。そんなことが何十年も続き、村人は霧に対しすっかり怯えるようになってしまっていた。だが、村を出ていくにも当てはない。仕方なく霧の朝が来ないことを願いながら村での生活を続けていたのだった。一年に一度の悪夢のような日を凌げれば平穏な生活ができる毎日だったのだから。
大工をしている家が村の中心にあった。アレックという十六歳の兄とサイラという十四歳の妹が両親と祖父との五人で住んでいる。父のアルベルトとアレックは「次に霧が出る朝はサイラが狙われるかもしれない」と話をしていた。そこで霧が出た時に完璧に気配を消せる隠れ部屋を作ろうと計画し、村の人々には内緒で実行していたのだ。それは家の中に穴を掘って完全に密室になる地下室を作ることだった。成功すれば村人にも公開するつもりだったのだが。
霧の朝がやってきた時、アレックはサイラを起こして地下室に下ろし、しっかりと扉を閉めた。
「お兄ちゃん、ここ、暗くて怖いよ」
「少しの間だけ我慢するんだ。お兄ちゃんが扉を開けるまで絶対に声を出すんじゃないぞ」
「うん、わかった」
家族全員がじっと息を殺して霧が過ぎ去るのを待っていた。霧は壁の隙間や扉の隙間から容赦無く侵入してくる。次第に家の中も霧に包まれ、隣にいるはずの両親の姿さえ確認できなくなるくらい部屋の中が霧に包まれた。アレックは恐怖のあまり震え始めたが音を立ててはならないと自分の膝をギュッと抱えて耐えていた。やはりサイラを狙ってやってきたのだ。そう確信し、アレックたち家族はサイラのために物音を立てないように身じろぎ一つしないで霧が去るのを待った。
その時は突然やってきた。外がうっすらと明るくなったと思っていたら、部屋中が霧に包まれていたはずなのに、一瞬で霧が消え去ったのだ。
「お父さん、お母さん、おじいちゃん、みんな大丈夫」
「ああ、みんな無事だ。早くサイラを出してあげなさい。真っ暗な場所で怖がっているだろう」
「そうだね、じゃあ、地下室の扉を開けて出してあげるよ。みんなちょっと場所を開けて」
アレックに促されて部屋の真ん中にある地下室への扉の外側へとみんな移動した。アレックと父親のアルベルトは、しっかり閉じられた扉をこじ開けた。そして地下室をランプで照らし、サイラを呼んだ。
「サイラ、もう大丈夫だよ。出ておいで。もう、霧は無くなったから心配ないよ」
アレックの呼びかけに返事がない。アレックはおかしいと思いながら、ランプをもう少し下げて地下室がほんのりと見える状態にした。
「あっ」
「どうした、アレック。早く出してあげなさい」
「そ、それが、いないんだ。サイラが」
「えっ、そんなはずはないだろう」
父親のアルベルトも身を乗り出して確認している。母親も祖父も地下室を覗き込んでいる。だが人がいる気配はない。たまらずアレックは地下室に降りて行った。背筋がゾッとするほどひんやりしている。それに地下室の壁や床がなんとなく湿っているのを感じた。アレックは妹のサイラは霧が連れ去ったのだと感じた。壁に手を当ててみると父親と二人で掘った時の土の感触と明らかに違うと感じていたのだ。まるで直前まで水が貯まっていたかのように壁や地面が濡れていたのだ。
「父さん、霧にこの地下室は通用しなかったみたいだ。壁の土からも霧が入り込んだんだと思う。サイラは攫われたんだ」
「そんな、ああ、私のサイラ」
アレックは明るくなった外に出て他にも犠牲者がいないか村中の家を確認して回った。今回は喉を切られて死んだ者もいない、それにいなくなった若い娘もサイラ以外にはいなかった。アレックは悔やんだ。父親と一緒に作った地下室でも霧には通用しなかったということを。そして、まだ生きているかもしれないと自分に言い聞かせ、サイラを助け出しに行きたいと思っている時、父親のアルベルトが駆け寄ってきた。
「アレック。サイラはあの高い山の頂上付近にある洞窟に連れていかれた可能性が高いぞ。地下室にサイラが残した文字があったんだ。山の穴とだけ書き残されていた」
「父さん、僕行ってくるよ。そしてサイラを助け出すよ」
「しかし、頂上付近は雪が凍るくらい寒いぞ。いくらお前でも体が持たないぞ」
「いや、それでも行くよ。僕には火の妖精から貰った燃えない炎の玉があるから凍えることはないと思うよ。それより早く行かないとサイラの命が心配だ」
「そうか。じゃあアレック。お前に託すことにするよ。じいちゃんが作った最高のナイフを持っていくといい」
「えっ、あの空気も切り裂くことができるナイフを持っていっていいの」
「ああ、我が家の後取りはお前だからな。全てを託すことにするよ」
「わかった。絶対サイラを助け出して見せるよ」
こうしてアレックは、炎の玉と空気をも切り裂くナイフを持って極寒の山頂付近にある洞穴を目指すことになった。ただアレックの気掛かりは山頂まで登るのに歩いていくと三日はかかってしまうだろうということと、村人の誰一人として登ったことのない山なので何が待ち受けているかわからないということだった。同時に心の中では、村人の心に巣食っている霧に対する恐怖心を取り除いてやりたいという思いも芽生えていた。霧の正体は分かっていないが、退治できれば村はもっと明るくなれると感じていたのだ。
アレックには勇気の他に不思議な力も備わっていた。山に住む動物たちと話をすることができるのだ。小さな頃に気づいていたが、両親にも黙っていた。知っているのは妹のサイラだけだった。アレックは山頂を目指すにはきっと動物と話せる力が役に立つだろうと確信していた。
準備を終え、家を出た後、山の麓にある森の入り口にやってきて、空を仰ぎ決心を口にしていた。
「これから山頂をめざし、悪魔の霧を退治し、妹サイラを救い出す。オオワシよ、僕の声が聞こえているなら僕を山頂まで乗せて行ってくれないか」
大きな声で叫んだ時、風が吹き森の木々が揺れ枝葉が応援するようにザワザワと合唱してくれた。同時に、一羽のオオワシがアレックの足元にやってきて背中を向けた。やってきたオオワシはアレックの友達だった。アレックはオオワシの背中に乗り、一気に山頂付近を目指すことになった。胸には炎の玉が入っているので暖かい。霧の悪魔と対峙した時には空気をも切り裂くナイフで霧を切り刻んでやろうと考えていたのだ。
サイラの運命と村の未来を背負ってアレックの挑戦は始まったばかりだ。正体不明の悪魔の霧との戦いに勝つことができるのかどうか確信は無い。しかしアレックは、これが自分に課せられた運命なのだと思っていた。家の中で霧に囲まれ震えていたアレックはもうどこにもいない。使命を感じ心が成長した勇敢なアレックはオオワシの背中で凛々しい戦士のように逞しく見えている。
了
※ 解決までではなく、あえてプロローグ的な内容で終わらせてみました。
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