【SS】 最後の一葉から始まる奇跡 (3018字) #シロクマ文芸部
紅葉から語りかけられたのは、秋も半ばに入りそろそろ木枯らしに変わりそうな冷たい風が吹いている日の夕暮れ時だった。晴れている昼間はまだ暖かさが残っているのだが日暮れともなると急に気温も下がり体の芯から冷えてしまう。下っ端の経理マンとして仕事をしている康太は、いつもの様に会社帰りに近道をする為、公園を横切って歩いていた。公園を抜けたところに康太が住んでいるワンルームマンションの入り口がある。だからいつも公園を迂回しないで横切って帰っていた。まだ暖かい時は、何もない自宅の部屋に帰ってもつまらないので、公園のベンチに座ってボーッと公園の木々や空を眺めるのだが、この日は冷たい空気に阻まれ少しでも早く帰ろうと足を早めていた。
「康太さん、今日は私を見つめていってはくれないの」
康太は誰もいないはずの公園で声をかけられ驚き、思わず立ち止まり周りを見渡した。しかし、子供はおろか人っ子一人いない公園で青白い街灯が寂しくベンチを照らし始めているだけだった。時折強くなる冷たい風が木々に残っている葉っぱに吹き付けているザワザワという音だけが響いている。
「誰? 誰かいるの。いるんだったら姿を見せて」
恐る恐る声を出した康太に返事が返ってきた。
「私は貴方から見つめられている時だけが幸せを感じていられる時間なの。だから、寒くなっても私を見つめて欲しいの。それだけを楽しみに私は紅く色づいているのだから。あと三日ですべての葉たちがホッペを紅く染めて落ちてしまうわ。それまでお願いだから、私を見つめ続けて欲しいの」
「えっ、もしかして君はベンチの横の楓の木なのかい?」
「そう、私は楓の木。ここで私はいろんな人の人生を見てきたのよ。それで今度は私の番だと思い、神様にお願いしたの。そうしたら神様は私の願いを聞き入れてくださったの」
「凄いな。それでその願いって何なの」
「それは貴方があと三日間私を見つめてくれればわかるわ。だからお願い。あと三日間ここに来て私を見つめて」
「なんだか今この時間も不思議だけど、よし、分かった。毎日君を見つめに来るよ」
約束をした康太は次の日もその次の日も冷たい風の中で我慢しながら楓の木から落ちる紅く染まった葉っぱを見つめて過ごした。いよいよ約束の三日目の朝がやってきた。何となく頭が重いと感じたが、康太はベッドから起き上がった。途端に目の前がグルンと回るような眩暈に襲われた。慌てて体温計を取り出し熱を測ると何と三十九度と表示されている。康太は出勤するのは困難と考え会社に休みの連絡を入れた。食欲も失せていた。病院に行くのも無理だと判断し、そのままもう一度ベッドに潜り込んだ。
暖かくしてベッドに入り眠っていたためか夕方になり熱だけは下がっていた。一日何も食べていなかったため空腹を感じたが外に出るのは億劫だった。棚の中を探してカップのうどんを見つけ、お湯を注いで卵を落とした。温かいうどんを食べると体がポカポカしてだいぶ意識もはっきりしてきた。
「そういえば、今日が三日目だったな。約束したから何としても行かないとな。でも、まだ少しフラフラするんだよなぁ」
康太は自宅の窓から公園を見ていたが、話しかけてくれた楓は康太の部屋からは見えない。じっと公園を眺めているうちに、何としても最後の葉っぱを見つめに行かないといけないと思い始めた。約束を破るのが大嫌いな性格だったのだ。康太はダウンジャケットを羽織って寒くならないように気をつけながら、公園のいつものベンチに向かった。今日は帰り道ではなくマンションからやってきたのでいつもとは反対の方向から公園に入った。その様子を楓はじっと見ていた。
公園のベンチに腰掛けて楓を仰いで見てみると最後の一枚の葉が風に揺れていた。一際紅く色づいている。まるで康太がやってくるのを待っていたかのように康太が見た瞬間に紅くなった葉っぱは枝から離れ、美しく風に舞ながら地面へと落ちた。康太はたまらずに駆け寄り、その紅い葉っぱを優しく拾い上げた。
「約束通り、最後の一枚が落ちるのを見つめたよ。体調は最悪だけど約束が守れて良かった。これで楓の願いも叶うのかな」
そう呟いた瞬間、康太が拾い上げた紅い葉っぱがフワッと宙に舞い上がった。康太が驚いていると舞い上がった葉っぱはあっという間に真紅のドレスを纏った可愛い女性に変わったのである。しかも、康太の目の前で。
「康太さん、ありがとう、約束を守ってくれて。私、信じてました。絶対約束を守ってくれると」
「君は、一体どこから現れたんだい。まさか楓じゃないよね」
「フフ、私は楓ですよ。私の名前も楓です。私は毎朝、公園を通っていくあなたの後ろ姿を見送って夕方になるとあなたが見つめてくれるのを毎日待っていたの。雨の日以外はいつも私を見ていてくれたわよね」
「うん、何となく気持ちが落ち着くから毎日見てたね」
「そのおかげで寿命だった私は少し長生きができたの。だから、今度は私が恩返しをする番だなって思って、神様にお願いしたのよ。康太さんの人生に関わらせてくださいって」
「えっ、そ、それで人間になれたの」
「そうよ。不思議でしょ。あなたが私に飽きたら私はすぐに消えてしまうわ。だからそれまでは私に康太さんのお世話をさせてください」
康太は目の前で起きていることが信じられないくらい嬉しかった。就職してからというもの友達付き合いをするわけでもなく女の子と仲良くなる機会があるわけでもなく、友達といえば楓の木と空だけだったから。こうして可愛い女性から声をかけられることが信じられなかったのだ。
「あのう。僕みたいなつまらない男で本当にいいのかな」
「康太さんは全然つまらない男ではありませんよ。芯がしっかりした優しい男性です。私はずっと見ていて確信しました。この人しかいないって」
こうして二人は不思議な縁で結ばれることになった。不思議なことは出会いだけではなく「人」となった楓と知り合った後も続いた。会社では真面目で実直な仕事が上司に認められ昇進することになったし、たまに買っていた宝くじでも高額当選を果たし、分譲マンションも手に入れることができた。もちろん、康太と楓の城として日当たりのいいテラスがある部屋を購入できたのである。大金を手にすると人は変わるものだが康太は全く変わらなかった。楓がそばにいるだけで幸せだったし、二人の生活を永遠に続けたいとさえ思っていたのである。二人は、テラスで小さな楓の苗を育て始めた。楓は一つだけ康太に言えなかった事があった。それは楓は歳を取らない代わりに康太は倍のスピードで歳をとってしまうという事だった。テラスの小さな楓の苗の前で楓は康太に告げた。
「康太さん、私と一緒にいるあなたは、人より倍の速さで歳をとってしまうの。その代わり私は歳をとる事がないの。ごめんなさい。最初に言わなければならない事だったけど怖くて私は言えなかったわ」
「なんだ。そんなことか。そんなことはどうでもいいよ」
「えっ、でも康太さんの寿命が短くなるのよ」
「ははは、だってその分毎日が幸せなんだから。楓が歳を取らないってことは僕が死ぬまで可愛い楓のままってことだもんね。どうってことないよ、僕が歳をとることくらい」
楓は康太には内緒でテラスの苗に水を差しながらあることを依頼していた。
「ねぇ、私の代わりに神様にお願いしてくれる。私と康太さんを同じ日に死なせてくださいって」
了
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